日本国内のマラソンの記録をまとめました。
前回に引き続き、特に有益な情報はありません。暇つぶし程度に読んでもらえると嬉しいです。
2010.11.3 ひろしま国際平和マラソン 10㎞ 57分10秒
2011.2.6 香川丸亀国際ハーフマラソン 記録紛失
2012.1.29 星の郷ふれあい健康マラソン 10㎞ 51分34秒
2012.3.18 ふくやまマラソン 記録紛失
2012.11.3 ひろしま国際平和マラソン 10km 52分19秒
2012.11.25 神戸マラソン フル 4時間32分45秒
2013.2.3 サザン・セト大島ロードレース ハーフ 1時間57分16秒
2013.3.3 錦帯橋ロードレース ハーフ 2時間14分25秒
2015.2.11 諭鶴羽古道トレイルラン 記録紛失
2015.2.15 矢掛本陣マラソン全国大会 1時間52分21秒
2015.2.22 そうじゃ吉備路マラソン 4時間40分20秒
2015.3.14 神戸六甲縦走トレイルラン 記録紛失
2019.4.21 おかやま西大寺マラソン 10km 1時間11分31秒
2019.11.10 おかやまマラソン フル 5時間59分
2020.1.26 【棄権】星の郷ふれあい健康マラソン
2020.2.23 【開催中止】そうじゃ吉備路マラソン
2020.3.22 【開催中止】とくしまマラソン2020
以下に携帯に残っている写真と記憶に残ったことだけ書いていきます。
前日から瀬戸大橋をわたり
日ごろはあんまり食べないように気を付けている炭水化物を食べに
やっぱり香川のうどん最高!
ひと玉と、おでんを食べたらお次は・・・・・・
骨付き鳥!ミゾヨコは親鳥派です。
って、以前より値上がりしてる!?!?1本1000円以上してびっくり。
そして、時間があるのでゆるーりドライブしながら淡路島方向へ行く途中
あ、また寄っちゃった(笑
私はカレーうどん(爆
さすがに、昼からうどん⇒骨付き鳥⇒カレーうどんは選択ミス(笑)
食べ過ぎたーーーーーー! ほんと卑しすぎw
そりゃね、そんだけ食べてたら太るよ・・・・。
わかってるんだけどね、わかってるんだけどね(2回目)
日本食美味しすぎて歯止めがきかないのです・・・。
誰か私に肉・油・甘いもの食べると具合が悪くなるというマインドコントロールかけてください!
うっぷうっぷしながら淡路島に移動
そして、出発地点でもあるゆずりは荘で一泊し、翌朝スタート地点の玄関へ
神社の神主さんにご祈祷してもらい、スタートラインへ
そして、スタート!
緩ーい感じでスタートし、登山道へ
結構な傾斜
エベレストで1か月、低酸素トレーニングを積んだミゾヨコはモリモリ進んで・・・・・・行くはずが、
全く周りの方々と変わらないペース
・・・・・・というか、ついていくのに必死(笑
そりゃそうだよな、もう2か月経ってるし登りの練習もしてなかったし。
そして、何とか頂上へ
そして、緩やかな下りへ。土が湿ってて滑りやすい。
シーズン真っ最中、こんなところでまた足首ぐねったら大変だから気をつk
っゴリ!!
がーんがーんがーんがーーーーーーん
左足、ぐねりました・・・・・(泣
コースに座り込んだミゾヨコ。今後のレースのことが頭をよぎる。
あと3回分、申し込んじゃったよ(泣
わーん!もうトレランなんか大嫌いだ!
自分のどんくささに、ほとほと嫌気がさしたミゾヨコでしたが、意外にも痛みはすぐ引いてレース再開できた。
アスファルトの下り坂で絶景を見ながら進みます
そして、後半はまた登り。エベレストの辛かった思い出に浸りながら、・・・でもあの時より呼吸は楽だな、とか考えながらふーふーひーひー言いながらゴール地点まで登り、ゴール!
ゴール地点の神社で無事(というか軽傷)にゴールできたことを神さまに感謝して
めでたく福女に認定してもらいましたとさ
最後に諭鶴羽神社でサングラスを落として帰ったのが心残り。気がついたのは下山した後で、また登る気力がなかった・・・。
地元のアットホームな大会。
ストレッチしてレース直前にレッドブルを飲んでスタート地点へ移動します。
岡山だけに桃太郎のコスチュームの人がいました!
私もいつかやりたい。
そしてスタート。
割と前の辺からスタートしただけあって、周りのペースがやたらと早い。でも、何となくそのペースで巻き込まれながら進んで行ってしまいましたが、途中で大きなペースダウンもすることなく走り切れました!
一緒に行った相方は最後にバテて歩いていると、沿道の小学生が「走れー!!!」と松岡修造顔負けの応援をしてくれたらしい。
結果は自己新記録の1時間52分でした!参加人数も少なかったのだろうけど、7位入賞しました。嬉しい!!
なんとこの大会は東京マラソンと同じ日に開催していることから、「東の東京マラソン、西の吉備路マラソン」と呼ばれている。歴史も長く、よくこんな田舎にこれだけの人が集まったなってくらい人であふれ、沿道でも切れ間なく沢山の応援を受けました。
レース当日、降水確率が高くテンション低めで会場に向かう。そして、前回のハーフが調子良かったのであわよくばサブ4を目指しスタート。
勢いよくスタートしたものの、前夜に食べたとんかつと寒さのせいでレース中に何度かトイレに駆込む・・・。
そしてiPhoneのバッテリーも切れてさらにテンションが下がる。(どうやらランニング用アプリの画面のままにしているとバッテリーの消費が早いことが後の調べで分かった。)
次第に小雨が降り始め、追い討ちをかけるかのように30キロ過ぎから脚が痛みだす。フルマラソンくらいになると、膝関節だけではなく股関節に激痛が走り、嫌でも一歩一歩を痛みとともに噛み締めながら進むようになる。結局痛みに耐えられず、途中から歩いたり走ったりしながら何度かゴールを目指す。
そもそも、なんでレース前にとんかつ食ってんだっていうと、決してレースで『勝つ』とか願っていたわけではない。美味しいご飯を相方に食べさせたかっただけで、たまたま地元で一番美味しいと思った料理がとんかつだったのだ。
それが倉敷の商店街にある「名代とんかつ かっぱ」という、昔からあるお店なのです。
小さい頃、夜市の後に父に連れられて来たここのとんかつがたまらなく好きで、食にうるさい相方とご飯を食べに行くのにここ以外考えられなかったのだ。今でも県外からの友達とランチに行くときは必ず連れて行くほど地元を代表するお店です。
というわけで、カーボローディングをするわけでもなく大会に挑んでしまったミゾヨコのタイムは
4時間40分でした。
初めて神戸マラソンでフルを走った時は、この時より5キロ以上も太ってたのに5分早かった。その前の週にハーフでいいタイムだったので残念でした。
この大会は関西で有名な縦走路・六甲をトレイルランで楽しむことができる。ゴールが有馬温泉なのでレースが終わってからも楽しみが多い。先月フルマラソンを走ったので、調子に乗って40Kmもあるこのレースに申し込んだ。
須磨浦公園からスタート。途中のコースが狭いからか、ウエーブスタートと言って少しずつスタートに時差をつけて出発する。
あいにくの天気、小雨でのレーススタート。
スタート開始からすぐに登り。
普段は登りのための筋肉なんか使ってなかったミゾヨコ。トレーニングもできていなかったので、ふくらはぎと膝上の筋肉が開始30分経たずプルプル言いだす。
さすが都会なだけに、頂上からの景色は緑より住宅やビルが多い。
そして下りると今度は住宅街を通りぬけ、次の山へ上がるって言うのを何度か繰り返しました。
時々危険な個所があり走らず歩いて進む指示がある。
崖を降りると今後は住宅街へ。
また登り。
やっと第2のエイドステーション
ドリンクとチョコチップ、グラノーラとお塩等の差し入れあり。九時前にスタートし、11㎞のこの時点で11時半・・・・・・
ちなみにあと30分でこのエイドステーションは閉鎖する。
この時点で既に大分体力使っていたけど、もう少し頑張ってみることにして再出発した。
そしてさらに進んでいくと酷使した膝が徐々に痛みが強くなり、ついに登りも下りも辛くなってしまった。
次のエイドステーションまでほとんど走ることなく到着。
ここで食べたクラッカー、はちみつかけて食べると激ウマでした。(普通にお腹空いていただけか?)
そして、ここから歩いて新神戸駅まで5キロくらい(?)ということで、なんと生涯初めてリタイアしたのでした。
記録は22k 約5時間
完走できなくてくやしー!っていうより、苦しいことから解放されることが幸せでした。
その後もエイドステーションに入り浸り、クラッカーを爆食い。
帰り道のお茶屋でまた一服した。
とぼとぼと歩く二人の姿はどことなく哀愁が漂っていたことでしょう。ゴールの有馬温泉まで市電で移動しました。
有馬温泉に到着すると変な看板が目を引きました。
飛び出し注意の看板が怖すぎ。夜中におっさんの顔が照らされるとかなり不気味だろうな。
そして、ゴール地点へ荷物を取りに行きミゾヨコのトレラン40kの挑戦は幕を下ろしたのでした。
この大会は世界一周中に度々登場してくる旅仲間のHさんを、マラソンの世界に誘うべく参加した大会です。Hさんはミゾヨコより少し歳下で、同じく独身女子。飯島直子似の美人さんだけど、内向的な性格で長い間彼氏がいません。干上がる彼女に出会いの場を広げるべく、まずは彼女が得意とする有酸素系の趣味としてマラソンを始めることを提案したのです。
酷使し続けている膝に不安を覚えたミゾヨコは、レース前にエイドステーションに行きテーピングをしてもらうことにしました。
これで少しでも膝の負担が減ればいいのですが。
今回は久々のマラソン大会。実は練習もほとんどしておらず、私の体重も今世紀最大を記録する巨漢になってしまったので10キロくらいがちょうどいい。
スタートして早速Hさんははるか彼方に消えていった。私は私のペースで完走できれば良い。地元の応援を受けながら走るのは気持ちいい。
終盤に風情のある商店街やお寺の中を通り抜け、大太鼓で応援があったのが励まされた。
と、思っていたのだけど、この後しばらく走ることすらできないほどに膝が痛むようになる。
人気のマラソンだけにどうせ当たらない、当たったらラッキーくらいのノリでHさんと応募しました。しかし県外者と初回の申し込みだったからか、すんなり当選してしまい罰当たりながら私は仕方なく参加しました。
参加人数1万5千人だけあって、前日のエキスポからして大にぎわいでした。協賛している会社も多く、結構なお祭り騒ぎです。ミゾヨコ一行は血管年齢を測ってもらいました。
すると血管年齢が10歳以上若いと結果が出ました。ムッチャ嬉しい!
前夜からHさんが泊まりこみで来てくれたもんだから、張り切ってカーボローディングしました。トマトソースのパスタ400グラムを二人で完食し、翌日も朝からパスタをキメるという張り切りよう。
しかしその張り切りが、レースを最悪な方向へと導いてしまった。
おかやまマラソンは給食エイドにかなり力を入れており、名産の白桃、マスカット、きびだんごにまんじゅうなど、エイドごとに魅力的な食べ物が並んでいる。
自称フードファイター2号(1号はHさん)のミゾヨコはエイドを通る度に食べ物をたいらげ、10キロ過ぎた頃には胃が痙攣を起こすほどになってしまった。それもそのはず、そもそも胃に物が入った状態でランニングしたことがないで胃がびっくりしたのだ。さらに、私はここ半年ほど炭水化物を極力食べない食生活をしていた。急に大量に炭水化物をとることも胃腸に負担をかけるのだと後で知った。アホにもほどがある。
走ると衝撃で胃に激痛が走る。仕方がないので2キロほど歩きながら消化するの待った。それでも改善する様子はみられず、一旦トイレで出せるものを出す。すると、少しずつ胃の痛みは軽減していった。
15キロを過ぎた頃だろうか、後ろから「ミゾちゃん?」と呼ぶ声がする。
振り返ると、なんと姪っ子だった。彼女もマラソンに参加するのは知っていたが、まさかこんなところでへばっている姿を見られるとは思っていなかった。せっかくなら、フルマラソンを4時間台で走り、標高6000mの山に登るかっこいい叔母の姿を見せたかったよ・・・・。姪っ子は颯爽と走り抜け、私は最後のペースランナーについていくようにやっとの思いで走り出した。
それからも各関門を制限時間ギリギリでクリアし、エイドの名物であるラーメンにたどり着いた。しかしそれに手をつける胃袋のスペースも時間の余裕もなく、足を動かし前に進み続けた。
膝は相変わらず不調だし、無理のない程度でやれるところまでやろう。そう思っていたのに、生まれ持ったスポ根魂は私が休むことを許さなかった。
ゴールが近くなると沿道からの応援もさらに大きくなり「あと5キロ!頑張って!」などと激励の言葉をかけてもらえる。
(あと5キロか・・・)
と、それを真に受けていると、その先500m進んでから『残り5キロ』と書かれた看板を見つける事になり、物凄く裏切られた気分にさせられる。さっきのおばちゃんのところからだと、あと4キロと500mのはずなのに・・・・。500m長く走らされることが、この時ほど辛いことはない。そこはあと6キロって言って欲しかった・・・。こんなことが幾度かあった。
なんとか6時間を数十秒切るタイムでゴールイン。無事に走り(歩き)きることができた。
完走メダルは岡山特産の備前焼で作られたもの。
Hさんは私とは違い、途中のエイドで食べるものを厳選し、ラーメンを食べて無事に4時間台でゴールした。私もゴールできてよかった。
こちらもHさんと一緒に参加の予定だったのですが、この1ヶ月前にインドで参加したマラソン大会の後から、膝の痛みが悪化したので大事をとって辞退しました。この後に吉備路マラソンのハーフと、救護ボランティア班としてとくしまマラソンのフルに参加する予定になっていたので膝の温存目的です。
Hさんは無事に1時間程度でゴールしました。
その後も膝はよくならないため、いつも診てもらっていたスポーツ整形のあるH病院ではなく、小さなクリニックに受診しました。
すると、衝撃の事実がわかりました・・・。
軟骨がなくなってる(泣)
医師からは「今後は走ったり山登ったりなど膝を酷使することはできない」と言われる。
こうしてあっけなく、ミゾヨコのマラソンと登山生活は幕を閉じてしまうのでした。いや正確には、まだ終わってはいないのだけれど、当分はドクターストップ。軟骨のリモデリングを期待しながら、うまく残りの軟骨を温存して生活しなければならない。もしくは、どのタイミングで積極的な治療をするのかを考えなければいけなくなりました。
以前診てもらっていたH病院では一度もMRIを取らず、「冷却をしっかりしてどんどん動かして行くように」とだけ言われていただけに、軟骨が損傷していると知った時には流石にショックが大きかった。
しかし同じスポーツ整形の医師でさえ、膝の軟骨に対する考え方は様々である。誰が正しい、もしくは間違っているとは一丸には言えず、誰を信じるかは結局本人との相性なのだと思います。
正直なところ、一時期ひどく落ち込んでいる時もありました。でも考え方によっては、これまで世界中のいろんな山に登ることができたし、『山登り好きの変態』が『ただの凡人』になっただけだと思えるようになりました。日常生活に支障があるわけではないし、またいつか変態行為に及びたくなったら、今度はドーバー海峡を泳いで渡る事に挑戦しようと思っています。
今は膝に負荷をかける運動を控えて、痛みのない生活を送っています。これ以上膝を悪化させないように、今は減量と筋トレをしながら信頼できるクリニックでしばらくリハビリに励んで行く予定です。
今後は、気が向いたら膝の治療や役に立つリハビリの方法なども患者の立場から発信していけたらと思います。
Hさんとの旅の話はこちら↓
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