この記事は2014年に書かれたものですが修正して2019年に更新しています。
2014年の為替は1インドルピー=1.6円です。
ヌブラバレーは、レーから北にあるShayok川に沿って標高3200mの山々に囲まれた渓谷。ここに行くためには、世界一標高が高いと言われる車道をで峠を越えなければならない。
2014年8月20日 世界一周347日目
朝4時に起床し宿をチェックアウトしたミゾヨコは、旅仲間となったJさんと合流しました。
朝食を済ませ荷物の確認。荷物をバイクにくくりつけて
いざ出発!
宿から細い路地を走行し、慎重にT字路を左せ・・・
げ!砂地!?!?
思ったときには時遅し。
後輪が見事に砂地の上を走り、右にスライドしすってんころり。
砂地でブレーキかけ過ぎて、出発から約30秒ほどで速攻転倒してしまいました。
ゆっくりこけたので身体は負傷なし。
倒れたバイクからはガソリンが流れ出してたけど、これも想定内。
よし!身体もバイクも問題なし!っと思ったら
エンジンガードがひん曲がってた。
※エンジンガードとはバイクが転倒した時のダメージからエンジンを守ってくれるカバーのようなものです→こんなやつ
げー!あんなにレンタル屋で傷の確認やらしてたのに、当の本人がこけてバイク負傷とは情けない・・・・・。
しかもまだ宿から見える距離でこれ。
さっきまで冒険の始まりでドキドキ・ワクワクしていたのに、一瞬で自信をなくし今度は不安で胸が重くなった。
でも、へこんでいても仕方ない。とりあえずどうやってこのひん曲がったエンジンガードを直そうか。
すると、Jさんがおもむろにエンジンガードを掴み、「ふんッ」てエンジンガードを元どおりに戻してくれました。
なにこの怪力男!?ハルク!?
とびっくりしましたが、どうやら、ガードを固定するのネジが緩んでいたようで、少しの衝撃でもひん曲がる設定になってたみたい。
もはやエンジンガードの意味なし!頑丈そうに見えた鉄のガードはただの飾りとういことが判明しました。
さて、テンションは下がり気味ですが気を取り直して再出発!!!
まずは世界一標高の高い車道と言われる「カルドンラ峠(Khardong La)」と言うポイントをまずめざします。
レーの町を見下ろす山にある王宮を過ぎ、どんどん山奥に向かって進んでいるところで朝日が昇ってきた。
朝日に照らされた灰色の山が神々しい。ついつい見とれそうにはなるけど、岩だらけのボコボコ道を運転するので必死なミゾヨコ。
気分はオフロードで障害物競走です。
砂利道など、日本ではあまり走らない苛酷な道がずーっと続くんです。
おまけにヘアピンカーブ多発のクネクネの山道にはガードレールなんてありません。
そして車のインド人は、クラクション鳴らせばこっちがよけてくれると思っているのか、全くバイクに対していたわりを感じさせない走り。
突進してくるジープをなんとかかわすと目の前に大きな穴ぼこが出現し、なんとか避けたところにまた大きな穴ぼこ出現。よろけて転倒してしまった。
Jさんはすでに50m先。
早くバイクを起こさないと、また暴走ジープもやってくる。焦っていると後ろから来たインド人カップルが助けてくれた。
さらに進むとどんどん標高が高くなり、ペラペラの手袋では寒さがしのげなくなりました。
しばらく極寒に耐えながら進むとチェックポイントがあり、チャイ屋があった。
外国人はここで許可書を提示して先に進む。中には防寒着も売っていて助かった。
チャイで暖を取りつつ、靴下を2枚重ねて履き、追加で手袋を購入。
それでもまだまだ寒いので、とりあえず日が当たるようになるのを待って再出発することにした。
日が出たら今度は眩しい!!!濃いめのサングラスも追加で購入して再出発。
パワーupしたミゾヨコはどんどん標高5000mまでつきすすんd・・・・・・・・・・
ストン・・・・・。
えっと、今度は停車するたびにバイクが止まりはじめた。
それもそのはず、5000mって確か空気中の酸素が半分なんだもん。。。。
キックでやっとかかったと思ったらスタートに手惑い、エンストって言うコースを繰り返しながらなんとか涙の登頂(バイクでね)
と、ここまでの絶景は全くカメラを手に取る余裕などなく、Jさんについていくのが精いっぱいでした。
頂上からはこんな感じの景色。(本当はもっと壮大なんだけど)
頂上にはチベタンフラグがかかっていて、チベット文化圏にいることを再認識させてくれます。
標高が高いと流石に雲ひとつないお天気。日差しは痛いが、気温は低い。酸素も薄くて体がおかしくなりそうです。
これは、ヒンズー教のお寺とお土産屋
これってものがあったら買いたかったけど、ラダックで買えるようなものばかり。秘境だから観光産業が発達してないんだね。
そしてチャイ飲んで再スタート
出発しようにも、バイクのエンジンが中々かからない。
せっかくエンジンがかかっても、アクセルを戻すと同時にエンジンも切れてしまう。
汗だくで必死にキックしていると、今度は頭がモウロウとしてきてよろけて倒れた。
マジできついわ・・・・。
ふと昨日のバイク屋とのやりとりを思い出した。バイクのランプ系はほぼ全滅、スピードメーター類もピクリともせず、ステップ、クラッチ類もひん曲がっている。エンジンガードも全くの飾り。おまけにオイルを補充してわかったことだが、オイルもチョロチョロ漏れている。オイルの件はオーナーが絶対大丈夫と言っていたけど、こんなバイクに乗ってよくこんなところまできたな。
気がつくと、周りはインド人の人だかりができていてミゾヨコを見守ってるではないか。
そりゃそうだよな。この国では女がマニュアルのバイク乗るのも物珍しいのに、ネパール人だか中国人だか知らないけどアジア人なんだもんな・・・・。
低酸素の体を奮い立たせて、エンジン始動を試みる。時々キックを変わってくれる人もいたけど、最終的には自分でエンジン始動しふかし気味にバイクをスタート。Jさんに追いつくことができた。
ここからは長い下り坂。
アーミーも使っている道路なのでそれなりに道は広いけど、それでもミゾヨコのへなちょこ運転では危険が一杯。
ここまでの道と同様にヘアピンカーブをそろりそろりおりていく。このカーブでジープと重なることを想像するだけでも怖かったが、なんとか避けることができた。
ある程度降りると、またしてもチェックポスト
ここでさらにチャイ飲んでご飯を食べて先を急ぎます。
標高が下がった分、エンジンがかかりやすくなりました。
チェックポストを過ぎ、標高4000mを下回るころにはどんどん景色が開けてきて
道路もややましになりました。
真っ青な空と荒野に圧倒されながらの走行。
これは車でも楽しいだろうけど、バイクの方が楽しさ倍増のアドベンチャーです。
山裾に現れた小さな村(?)いったいどんな人たちがどんな風に暮らしているのか気になります。
東に向かったら温泉、西に向かったら戦争時代にガソリン缶で造られたというヒンズー教のお寺がある村にたどり着く予定。
ミゾヨコ一行は西のTurtuk村を目指して進みます。
突然広がる砂漠地帯。CGかのような絶景。
ここでキャメルサファリして満月だったら相当雰囲気ありますね。
遊牧民?アーミー?よくわかりませんがテントで生活されているようです。
このあたりはイスラム圏だから肉食の人が多く、どんどん食料となる鶏が運ばれてます。
この後、軍事施設に入って行ってました。
本日のお宿。
チェックインして部屋でゆっくりしていると、どこからかガソリンの匂い。
どうやらJさんが調理用のストーブの燃料にガソリンを入れていたらしく、それがバッグの中でぶちまけられたらしい。
バッグがガソリン臭くなったことで超不機嫌なJさん。本当はバッグを外で乾かしたいのに、誰かに取られたら大変なので部屋干しする。すると今後はガソリンの匂いで二人とも自爆。仕方がないので廊下に投げ出してみた。
ラダックのシーズンはもう終わりかけということで、宿泊者はミゾヨコ一行とインド人バイカー1組みのみ。フロアが少々ガソリン臭いけど、文句言われなくてよかった。
その間に食料を探して散歩してみたけど、Hunder村にはほとんど商店がない。唯一、来るときにい空いていた軍事施設の売店も、今は閉店していた。
宿でご飯を食べ、少しだけ生暖かいお湯の出るシャワーを浴びて早々に就寝する。
朝6時半に起床。Jさんもおっさんなだけに朝目覚めるのが早い。
しかも、超がつくほどのチェーンスモーカー。標高が高いのもあって、まるでギャグなのかと思うくらい、少し歩いては息を切らせていた。それなのに、タバコは欠かさず吸うという。
今日の行程は3.5時間で目的地に着くはず。
自前のガソリンをタンクに継ぎ足し、ゆっくり用意する。するとインド人バイカーがオイルを分けて欲しいと言ってきて、Jさんが一緒に外に出て行った。
なかなか帰ってこないから心配していると、どうやらインド人のバイクは鍵が途中で折れてしまい、エンジンがかけれなくなったらしい。
仕方がないので直結でかけたとのこと。直結というのは鍵穴を回さないでもバイクのエンジンを裏技的にかける方法。
そんなことするのは、暴走族が15の夜にバイクを盗んで走り出すときだけだと思っていたけど、本来はこういう応急処置として知っておいて損はない知識なのだと妙に納得した。
そして私のバイクが一番不幸だと思ったけど、このインド人も結構不幸なので妙に親近感が湧いたミゾヨコ。不謹慎ながらも少し元気をもらった。
そして、一行は今日の目的地、Trutuk村へと進みます。
道沿いにゴンパが沢山。
この時カメラの調子が悪いのか、太陽光が強すぎるのか、私の腕が未熟なのかはわからないんですけど、ホワイトバランスがうまく合わせれませんでした。
こちらはお経を石に刻んだもの。
村ごとに特徴があり、観光客が増えることによって持ち去りの被害にもあっているようです・・・。
今日は標高差はほとんどなく、フラットな道が多い。
アスファルトの道も時々ありました。
道沿いに時々あるチャイ屋
もちろん一杯いただきます。
これは使われていない防空壕?ところどころに岩でカモフラージュされた小屋があります。
またチェックポスト
今度は印パ戦争の慰霊碑がありました。
この地方は平和ですが西側は資源が多く眠っているため、パキスタンとの国境争いが多いそうです。
そしてクネクネしながらの山道をひたすら進みます。
こんな生命が全く育ちそうにない場所に、本当に村はあるのかな?って言う気持ちにさせられる。
すれ違う車もバイクもごくわずか。
そして今日の目的地に到着。
最近外国人に開放されたの中では最北端のTrutuk村に付きました。
ここからパキスタンの国境まで10㎞だそうです。
次回に続く!
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