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【マナリからレーへ】タクランラ峠の過酷な長距離移動だってへっちゃらにしてくれる絶景

この記事は2014年に書かれたものですが修正して2019年に更新しています。

2014年の為替は1インドルピー=1.6円です。

次の旅に向けて準備

2014年8月16日  世界一周343日目

昨日は膀胱炎の再燃(再発)に苦しんだミゾヨコでしたが、クランベリージュースをがぶ飲みして膀胱洗浄したらなんとか落ち着きました。

今日はマナリからバスに乗ってレー・ラダックを目指します。

しかしその為のバスは夜中出発ということで、昼間のうちに4キロほど歩いたところにある滝を見に行くことにしました。

マナリから2キロほどにあるバシスト村を過ぎてさらに奥に進むと、そこは完全な森です。

お寺も近くにあり、すごく静かでシャンティー(日本語では平和とか穏やかと訳すかな?)

足の悪いババが話しかけてきて、この奥の村で今日はタダ飯が食べれるから一緒に行こうと誘われました。

マナリはリシケシ同様に観光客が多いぶん、チャラいババも多い。

黙々と森を駆け抜けると、突如滝があらわれた。

が、ミゾヨコの視線はその下にある集落に行っていました。

さっきのババが言ってたイベントのようです。

インド北部の民族衣装はまた南のそれとは雰囲気が違います。ちょっと地味な印象。男性はネパール人のような帽子を身につけています。

広場には住民が集まり、なにやら赤い布をまとった坊さんのような人が中央で火を焚いて祈りをあげていました。

このお祈りの後、みんなに食事が振舞われていました。ババは一緒に食べようと言ってくれたのだけれど、今晩から丸1日はかかるハードな長距離移動。腹を壊しては大変なので遠慮しました。

女性は川で食器洗い。

再びバシスト方面に歩きます。

バシストは温泉もあるしヒッピーが集まることでも有名。外国人が好きそうなレストランも何件かあり、行ってみることにしました。

韓国人とインド人がやっているレストランに到着。

韓国料理が大好きなだけに嬉しい。

久々の美味しいご飯を食べて感動。おいしそうな料理ばかりで、沈没したらここは絶対危険な場所。

レーに向けてバス停へ

マナリは小さな町で、治安もそんなに悪くない。数年前、欧米人女性がヒッチハイクしてレイプされたのが大きく報道されていたけど、平和すぎてうっかりヒッチハイクする気持ちもわからなくもない。しないけど。

宿からバスターミナルまでは歩いて5分ほど。

バス会社からは12時にターミナルにと言ったけど、人もまばらで不安になってきた。まさか、乗り過ごしてはないよね・・・・・。

渡されたチケットにはドライバーの連絡先も書いてあったので、早速電話をしてみた。すると、出ない・・・・・。

ますます焦る・・・・。

そしてバスターミナルを徘徊し、チベタンのお坊さんに話しかけた。

これから行くところは中国との国境が近く、その先にあるチベット自治区から亡命してきたチベット人が多い。それにともないチベット仏教のお坊さんも沢山いて、インドの北部に散らばるチベット亡命先からレー・ラダックに修行に行く人も多い。ヒンズー教のババは偽物も多く観光客を食い物にするけど、チベット系のお坊さんは本当に真面目な人ばかりで信頼性がある。

その坊さんは英語こそ喋れなかったが、どうやらまだレー行きのバスは来ていないこと、ここにいれば乗り過ごすこともないと言うことはなんとなくわかった。

ほとんどライトのない真っ暗なターミナル。時々ドライバーに電話をかけながら、待っていた。相変わらず応答なし。

夜中の1時半になった。さっきの坊さんの言うことも信用できなくなり始めた時、ドライバーはやっと電話に出た。しかも、完全なる寝起きの声。

「は?12時から待ってますけど(怒)」

それでも悪びれた様子はなく「2時に行くからムニャムニャ・・・」まだ眠そう。

無駄に外で待たされること更に30分、やっとバスが来た。

やっとの思いでバスに乗ったものの、今後は私の予約した席がダブルブッキング。そして、周りを見ると他にも予約が一杯で乗れない人がいて揉めている。

私はと言うと、ドライバーにチケットを見せると最初に予約しておいた席に座っていいと言うことでひと安心し、最後にトイレを済ませて出発の準備を整えた。

後は乗っておくだけ。寝ていればそのうち朝になるだろう。

出発

オーバーブッキングの揉め事がおさまらず、結局出発したのは夜中の3時をすぎていた。

私はと言うと、服を着込んで寝る準備完了。バスはどんどん真っ暗な山奥へ進んでいき、やがてくねくねした砂地を走り始めた。

今回の行程は標高1800mから標高4000mの峠を1回、5000m以上を3回も超える全長470kmの旅。インドでも有数の過酷な移動ルートになる。

全行程の累積標高は登り9582mと降り8060mでエベレストの高さを余裕で超えるほど。

なんとこの過酷な道を自転車で縦断する人もいるのだとか。ミゾヨコも基本的には変態ですが、世の中にはミゾヨコの想像さえ軽く超えたど変態がまだまだ沢山いらっしゃいます。

ドライバーの窓が

とりあえず眠りにはついたものの、標高が高くなるにつれ車内の気温もどんどん下がり始めました。それもそのはず、ドライバーが窓を全開にして運転しているのです。

富士山に登ったことがある人は知っているかもしれませんが、夏とはいえ標高4000m付近には万年雪が残るほど気温は低いのです。

そこで窓全開ですよ。

いくら着込んだところで寒いに決まっています。

でも事前の調査によると、これは避けては通れない行程のようでした。他の人のブログを読んでみても、やはりドライバーの窓全開説が出ていたのです。

ドライバーに居眠りされては困る。

でも、超寒い。

周りを見渡すと同じく凍えている人多数だが、誰も文句を言わずじっと耐えている。

それに、標高5300mまで乱高下するクネクネの砂利道をただひたすら走るのは、一杯に人と荷物を詰め込んだおんぼろのバン。

車酔いと高山病のダブルパンチで気分不良者が出るのも予想がつく。高山病は頭を冷やしてはいけないが、この状況で車内が暖かいと嘔吐するものが出てきてさらにこのバスは地獄の乗り物となる。

ここは皆を見習い、おしんのようにひたすら耐えるしかない。

それにしても寒い・・・。

ばっちゃん、しばれるよ・・・・。

悪路と極寒

しばれたのは、治りかけの膀胱だった。炎症を起こした後の膀胱粘膜は、ただでさえ過敏になっている。それなのに、こうも寒いとトイレがさらに弾む。気にし始めると余計に行きたくなるので、考えないように精神を統一して黙祷。

誰かがトイレを言い出すまで、おしんは耐えようと思った。

だけど、続く悪路でバスが飛び跳ね膀胱を刺激する。それに、何度も言うが本当に寒い。

内と外からの刺激で膀胱もかなり限界。

空が白み始めた頃、標高4000mの峠を一つ越えたバスは谷へくだり始めた。外は一面草木の生えていない岩山に、ところどころにある掘っ建て小屋のみ。

この荒野で明るくなると、野でおしっこするにも隠れるものもない。

余計とトイレがしにくくなると判断し、おしんは意を決してドライバーに止まるように頼んだ。

「後5分」

ほんまですか!?

このシチュエーションの「5分」は最低でも10分から15分をさしていいることをおしんは知っていた。

それでも5分と言われたら、それ以上返す言葉はない。あとは耐えるのみ。

後部座席で窓を開ける音がし、同時に「おろろろろ」と外に吐いている人がいた。しかし今は膀胱がパンパンすぎて、人の行動など全く気にならないおしんであった。

ここでも・・・!

案の定、15分経ってもバスは止まる様子なし。それどころか、道はもっとガタガタになり、膀胱を刺激した。

行く先に建物が見え始めると、おしんはトイレ休憩への期待を膨らませた。しかしバスは素通りし、まんまと裏切られるの繰り返し。

やっとバスが止まったのは1時間は過ぎたであろう、朝日が顔を出した後だった。

インド北部のジャンムーカシミールは、パキスタンと中国の国境がある州で度々パキスタンとの内戦が起こる。ここに止まったのは、警察の検問のためで全員パスポートを見せてチェックを受ける。

おしんはトイレに行きたいと言った自分のことなどすっかり忘れてパスポートを集めようとするドライバーに、それを押し付けてバスを飛び出した。

走っては漏れるので競歩でトイレに行くと、今度はトイレの前で仁王立ちのインド人。

インドの公衆トイレは小銭を払って入るのだが、緊迫したおしんの様子を知ってか知らずか、番人は表示価格の2倍の料金を請求してきた。

そして運の悪いことに、おしんの財布にも2倍の料金の紙幣しかなく、もちろんインド人もお釣りを払う気など一切なかった。

腹たつーーー!なんでここでもまたぼったくり!!!

でも、膀胱はすでに限界を迎えており、「絶対後でお釣もらうからね!」と吐き捨てトイレに駆け込んだ。

ダライ・ラマの教え

無事にトイレを済ませた「耐える」おしんは、すでにカーリー神に変わりかけていた。

足元見て2倍の料金払わせるなんて酷いにもほどがある!!!

意気揚々とトイレを出ると、先ほどのインド人とチベタンの坊さんが何やら話をしていた。

すると、先ほどのインド人はつまらなそうな顔して私にお金を半分返してくれた。

どうやら、お坊さんは先ほどのやりとりを見ていてインド人に交渉してくれたようだ。なんと言うことでしょう。ダライ・ラマの教えはこんなところで私を助けてくれた。

世の中がダライ・ラマだけになったら、今ある戦争や憎しみ合いは本当になくなるような気がした。

夜が明けると見えてきた絶景

さて、標高も下がりお日様が出たところでバスの気温もすっかり適温になりました。思わぬところでダライ・ラマに愛にも触れ、ほっこりしたミゾヨコを待ち受けていたのは絶景につぐ絶景でした。

標高3000mほどの山々は緑に覆われ、まるでスイスにでもいるかのよう。

ちなみに暖かくなったバスの中では昨晩の睡眠不足を取り戻すかのように外界をシャットアウトしてひたすら寝ている人もいます。

ミゾヨコの隣は田舎から出てきたと思われるインドの若い軍人。

異国の地からやってきた外国人を初めて見たようで、ミゾヨコの挙動と所持品を舐めるように観察。うっかり目を離すとスーパーの袋に入った私のお菓子(もちろんインド産)まで覗き込んでいるから気が休まらない。

スイスと勘違いしそうになるけど、赤・青・黄色のチベタンフラグでヒマラヤ山脈にいることを再確認します。

じわじわと標高が上がってくると、緑が減ってきます。

5月ごろだとこの道は山の雪解け水が大きな川を作っているので通れない。通行可能になるのは夏場の3ヶ月間ほど。9月の上旬には山に雪が降り積もり、再び通行止めとなる。

またチェックポスト。

内戦があって物騒な地域は、この州の中でも西側のパキスタンとの国境。私たちは東側で中国寄りなんだけど、それでも警備は厳重のようです。

お昼休憩です。

外は陽射しがあっても高所のため肌寒い。

中で暖かいものをいただきます。

チベタンカレー風。美味でした。

日差しが殺人的にキツイ。外で休憩したら皮膚が大火傷しそうです。

そしてバスは土埃を巻き上げながらさらに進みます。

荒野をひた走る。

急な山道を縫うように上がっていきます。

結構なスピードで行くのでスリル満点。

て言うか、半分落ちかけて引っかかったままになっている車を見ると、ドキドキします。こんなところで怪我しても、助けに来てくれるのは半日後だと考えると余計怖い。

そうこうしてる内に、このレーまでの道で一番標高の高い地点へ

デジタルが壊れてて分かりづらいですが、実測で5,130メートル地点です。

流石に酸素が薄くなってきた。でも標高4000m位までならこれまでもネパールで体験している。一度高度に順応した体は、それから半年間は高山病にはなりにくいと言うのでミゾヨコは楽勝。

そして今度はなだらかな下り道。

日本でいう一級河川を2倍は大きくした大河。ヒマラヤの雪解け水が流れる季節に足を踏み入れることができないのが残念。

ベージュ色の山々と薄水色の川の水が綺麗すぎて見ていて飽きない。

工事中。マナリからレーまでのこの道を大きくしてバイパスを作る予定。

中には裸足の者もいる。日本のように労働者の安全に配慮がないのがちょっと切ない。

今度来るときにはもっと快適な道になってるといいな。

バイクや自転車で縦断する人発見

ここはインド人にも憧れの道らしく、バイカーも結構います。

ずーっと砂利道。

時々雪解け水が道を塞いでいるため、結構大変なコースです。

今度は欧米人夫婦のチャリダー。ミゾヨコが尊敬するド変態のかたです。

ちなみに車で1日弱のところ、自転車では一週間かかるそうです。

日差しも強いし大変だけど、一度は挑戦してみたい。歳を取ってもこんな冒険が一緒にできる相方が欲しいと願うミゾヨコ。

そしてまた休憩

そしてまた休憩。テントの上にカラスを発見。ご飯探すのも一苦労だろうな・・・・。

インドのハーレーダビッドソンという異名を持つロイヤルエンフィールドの団体。

日本では曲がりなりにもスポーツスターの乗り手であるミゾヨコ。インドのハーレーにも是非乗ってみたい。

しかもこの絶景。バイクで走ったらどんなに気持ちがいいことか・・・・。と思っていた矢先、遠くから一台のバイクがやってきた。

しかも、なんとなく雰囲気から女子?!

いいなーーーー!!!!絶対気持ちいいに決まってる!!!!

見てるだけなのに、うれションしそうなほどテンションが上がるミゾヨコ。

インドでバイク乗るのはちょっと怖いけど、思い切ってレンタルしてツーリングするのもありじゃない?

こんな景色を見ながら自問自答するのでした。

荷物が

日も暮れてきた頃、バスは突然路肩に止まりました。

どうやらこの悪路でに荷台の紐が緩み、荷物が落ちたらしい。

まじかよーーー!!!

急いで確認すると、幸運にも私のは無事。

路上に投げ出された荷物は、少し引き返して無事に荷物を回収できたみたい。

待っている間にふっと目に入ってきたのがこの花

荒野に咲く花は地味なものが多い気がするけど、乾燥した地にしっかりと根を張っていて力強い。

到着

そして夜になってやっとレーに到着!

次の日、ミゾヨコはなんと

自分の運命を変えてしまう人に出会うのでした

mizoyoko