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【ヌブラ渓谷】バイクでインドの最果てまで行ってまさかの○○○!?

レーから世界で一番天国に近い車道を通ってヌブラバレーまで来たミゾヨコ一行は、外国人が踏み入れることのできるパキスタンの国境に一番近い村トゥルトゥクまでやってきた。

トゥルトゥク(Turtuk)村に到着

今日のお宿はこちら。(詳細忘れた)

昨日の朝、インド人にエンジンオイル分けてあげたJさん。今度は外国人にタイヤのチューブを欲しいと言われた。パンクが塞ぐことができなかったのか、新品のチューブを譲ってくれと言うのだ。

困ったときはお互い様ではある。しかし、予備のチューブを渡してしまってはこちらのが無くなり、もしもの時に今度はこちらがどうしようもなくなってしまう。

申し訳ないけど、協力はできない。宿の人に頼んで助けを呼んでもらう事にして、ミゾヨコ一行は村の散策に出かけた。

村散策

ここ、インド最北端の街TRUTUK村は日本の田舎にも似た光景で、農家の方は麦の刈り取りに忙しそう。

家族で稲刈り。日本ではいつまでこうやって人の手だけでやっていたのだろうか。

あんず?のようなものを天日干し中

気温は低いけど、標高が高いし乾燥しているため、直射日光を当てたらすぐ乾きそう。

その横でお食事タイム。

生活用水はこの水なのか?ずーと水が出ていました。

ミゾヨコ一行はロンリープラネットに載ってある、戦争中にガソリン缶で造られたというヒンズー教のお寺を探すことにしました。

山に向かって登って行くと、村を見渡せるようになりました。

ヌブラバレーは灰色の山々と緑の配色二択で彩られています。

そして、「テンプルどこ?」村人に聞きながら進んで行くと

お寺がありました。

戦争中に建てられたヒンズー教寺院

戦争中の物資がない中、死を隣り合わせにしたヒンズー教の軍人たちがここに寺を建て、毎日祈ってたのかな。

このガソリン缶はジープに乗せていた予備のガソリン用のものだそうです。

日本が戦争中は鉄不足だった為、ガソリン缶でお寺を立てる発想は無かったと思う。地域や時代によって足りないものも違うし、戦い方も違う。原爆こそ落ちてはいないが、形を変えて戦争は今も続いている。

戦争がなくなる日って、来る時があるのだろうか。

このあたりはもともとパキスタンの領土で、村人たちもイスラム教。

ここにたどり着く間にも、道沿いにあったヒンズー教お寺の神さまの顔がもがれていたりして、宗教間の争いの怖さと言うか、平和からは程遠い現実を目の当たりにした。

村散策再開

それから村に戻り、小さい路地散策していると人懐こい子どもたちが寄ってきた。

そのまま道を歩いていくと、イスラム教のモスクが見えてきた。

お祈りの時間表

コーランです。

帽子を忘れた方には無料の貸出の帽子。

少しばかり寄付をして移動します。

最果てへ

実は今回ヌブラに来るための許可証には、ツング村というここよりも更に国境に近い村まで行けるようになっている。

Jさんの希望でその国境ギリギリの村まで行ってみることにした。

さっそくバイクで進みましたが、結局5キロほど進んだところのチェックポイントでスタック。

「えーだって、このパーミットにはTUNG村と言うもっと奥の村まで行けるって書いてるじゃん?」

本当にパーミットにはそう書いてあるんだけど、旅行代理店やインターネットで調べる限り私たちがいけるのはTURTUKまで。

困った顔の兵士さんに「とにかくダメなんだよ〜」と言われ、やっぱり断念することになった。

記念にここでバイクを停め、最北端の食堂に行き

モモを食べて帰りました。

デスキットまで移動

トゥルトゥク村からまずは来た道を帰ります。

割と新しそうなお寺

荒野をひたすら走ります。

フンダル村でランチ

フンダル(Hundar)村まで帰り、軍の基地の横にあるカフェで休憩します。

観光客でも使えるのが嬉しい。

ブレッドオムレツを注文しました。

こんな感じです。

北部のタバコ事情

余談ですが、喫煙者はレーで前もって沢山買ってくることをお勧めします。地元民や旅行者にたかられるうえ、なかなか入手できません。ここのお店でもビリーしかありませんでした。

デスキット村

ずーっと絶景を進む事、約5時間。デスキット村に着きました。ここはレーに帰る道と、パナミックという温泉のある村に行く道との分かれ道であるためやや栄えている。

今朝の外国人もここのバイク屋に助けに来てもらったのかな。

Diskit村まで帰って一泊。

トイレとシャワーは共同だったが、まずまず居心地よし。

温泉に向けて出発

2014年8月23日  世界一周(350日目)

今日はDiskitを後にし、今度は温泉の湧いているPANAMIKという村を目指します。

ここで今までの走行距離と消費ガソリンから、改めて今後必要なガソリンの量を計算した。

多分大丈夫だけど、ちょっと怪しいかも・・・・・・

デスキットで唯一見たガソリンスタンドも、残念ながら閉まっていた。

そもそもこのガソリンスタンドは住民への配給として定期的にガソリンが運ばれてくるだけであって、私たちのような観光客に分けるような在庫はないとのこと。

う〜ん。微妙。おそらく足りるけど不安は残る。

ダメもとで宿のオーナーに聞いてみた。最初は「げっ」て感じだったが、バイクだし必要なのはたった数リットルだったので快く譲っていただきました。

村はこんな感じ。

商店が所々閉まっていて少し寂しい感じ。

そして温泉に向けてどんどん進んでいきます。

道はほとんどアスファルトに舗装されていてスイスイ走れました。

絶景続きの僻地

壮大なヒマラヤ山脈と、どこまでも続く緑と川の流れを見ながらバイクを走らせるとこ数時間。

ここでまさかのトラブル発生!

Jさんがアスファルトから側道の砂利道を走っているのにつられて走っていたら、釘を踏んでしまったみたい。

ミゾヨコのバイクがパンクしてしまいました。

おーまいがー

道がいいとは言っても、ここ、ガチの僻地だよ。

でも、こんな時に頼れるのがJさん。

インドを1年以上バイクで旅する予定のJさんは、ささっと工具を出し、ちゃきちゃき作業に取り掛かる。

タイヤを外し、ゴムチューブを取り外す。

穴が開いた場所に数か所パッチを貼ってまた戻します。

そして空気を入れ直して再出発!

のはずが・・・・・

使っているうちにうまく空気が入らなくなり…

今度は、空気入れぶち壊れてしまった。

なんでだよう・・・・・・・

なんでこんなときにだよぅ・・・・・・・。

こうして、私たちだけでこのバイクを直すのは限界となり、助けを呼ぶことになりました。

助けを呼ぶミゾヨコ

車やバイクは滅多に通らない。それがバイクであろうが軍のトラックであろうが関係なしに必死に呼び止めること数十分。

「ハローハロー!空気入れ持ってますか?」

何度目かの通行人で

「あるよ〜。」との返事が。

マジですか!!!!!! ぜひ貸してください!!!

インド人のお兄さん、どや顔で持ってきてくれましたけど・・・・

またしても空気入れがこわれてしまいました

こうなったら誰かの陰謀としか思えなくなりました。

遠くでは突風で砂が舞い上げられている。こっちに来ないことを願いつつ待つが、空気入れを持った人など通りがからず。

最終的には、このあたりで一番近い修理屋がまでタイヤを運んでなおしてもらいました。

いやー田舎でトラブルに合うと大変。

何とか再出発

草原や砂地にできた車道を走ると次第に雲行きが怪しくなってきた。

小雨がしばらくつづき、本降りになる前になんとかパナミックの宿に到着できた。

アクシデントがなければ2時か3時には到着できていたのに、到着したのは5時を過ぎていて疲れた。

そして、雨の中温泉へ行く

この温泉が本日のゴール。

急な山道をグネグネ上がって到着。

閉まるのが夕方で私たちはぎりぎりに入りました。

キッチンとか書いてあるけど、全く売るような物資はなし。

確か地元の人はタダで、私たちはいくらか払ってお風呂の中へ。

こちらが女子用。誰もいなかったので写真とりました。

すっごい質素です・・・・・・

そして・・・・・・・・あああああああじあいぢぢぢぢぢぢいいいい

自宅のお風呂の温度設定は46度くらいのミゾヨコでも、10秒も耐えれない熱さ。・・・熱湯コマーシャルか!!

多分50℃くらいはあると思います。だから女性用に人がいないのでしょうか?

中にはシャワーもあったけど、こちらは非情にも水。しかも、水ってだけじゃなくてヒマラヤの雪解けの冷たい水・・・・・。

使う人のことを全く考えてない温度設定に腹は立つけど、なんとか体は洗えた。

Jさんはちょうどいいお温度って言ってたから、男湯はいい感じなのかも。

最終日

2014年8月24日  (世界一周351日目)

ロンリープラネットによると、パナミックはラダックで一番美しいところ。しかし今日はあいにくの曇り空。ビューポイントも見つけることができなかったので、これ以上寄り道はせずレーまで帰ることにした。

来るときにも寄ったチャイ屋で休憩したり、動画を撮りながらゆっくり進む。

写真を撮っていると、対面から来るインド人も愛想よく手を振ってくれる。

このくらいの距離感を保てるのならインド人も「いい人が多い」と言えるのかもしれない。

壮大なヒマラヤ山脈に囲まれた小さな村をバックにバイクの写真を撮る。やっぱり荒野にバイクはよく似合う。

再び標高5300mのカルドンラ峠に帰ってきた。

来るときは生まれたての子鹿のような運転技術であったミゾヨコも、この頃には少しましになっていた。

これから標高1500m以上を下りレーの町に戻る。

標高がさがってくると、道もアスファルトに舗装され走りやすくなった。

荒野の話シリーズ。なぜか砂漠や荒野に咲く花は黄色が多い。

レーからも山の上に見えたゴンパのビューポイント。

ここまで降りればもうすぐレーです。

レーに無事生還。Jさんと出発前に行った食堂に行き、マトンのカレーを食べて一息つく。

バイクレンタルについて

レンタルバイクは最初からいろんなパーツが壊れていたので、故障せずに帰ってこれたことにホッとした。

返却前に一通り点検してみると、ところどころネジがなくなっていたり、見覚えのないところに大穴が開いていることが発覚。

メーターなどの頭部分と前輪を固定するところのネジのよう・・・・。

まーまー重要ですよね!!

今回の初バイク旅では、バイクの基本である「前に進む」と言う機能以外、ライトとかウインカーはなくても、意外とやっていけるという事がわかった。

Jさんのバイクもスタンドを固定するバネが無くなってしまったようで、私のバイクについていた生き残りのバネを欲しいと言ってきた。

借りる前から不具合だらけ、今更パーツが一つ減ったところで状況は変わらないので差し上げ、無事にクレームを受けることなくバイクを返却。

こうしてミゾヨコの初バイク旅が一旦終わったのでした。

mizoyoko