この記事は2014年に書かれたものですが修正して2019年に更新しています。
2014年の為替は1インドルピー=1.6円です。
2014年7月27日 世界一周323日目
昨夜はデリーからリシケシへバス移動。
夜間に移動して宿泊費を浮かすことはバックパッカーの節約手段のひとつだけども、今回は距離にしてたった250キロ、約5〜6時間の旅。
デリーからリシケシの玄関口であるハリドワールまでのローカルバスは、朝から晩まで頻発しているとの情報を経て夜の9時ごろにバスターミナルに到着。ところが最終のバスが10pmというものや11:30pmと言い張る人もいてかなり不確か。このバスターミナルはたくさん人もいて安全だが、目的地はどのような雰囲気なのかわからない。あまり早くについても物騒だからできるだけ夜が明ける時間に到着したいミゾヨコ。安全を期し、その噂の中間を取り11pmのバスに乗ることにした。クーラーの効いた待合室で待つとうっかり乗り過ごすうこともありうるため、夜が更けてもなお蒸し暑い外で待つことにした。
汗だくで待った甲斐あり、予定通りバスに乗れた。夜中になっても暑さはさほど変わらず。窓から排気ガスを含んだ生暖かい風を受けながら、バスはガンジス川の源流のあるヒマラヤ山脈方面へと進む。乗客が少なかったので横になるスペースも確保できたのだが、近くの席のインド人が時折こちらの様子を伺っているのが薄気味悪く、眠ることができなかった。
ハリドワールには夜明け前に到着。同じようにリシケシに行きたいインド人達と身を寄せ合い朝が来るのを待つ。
朝になり、30ルピーで乗合タクシーでラムジュラ橋近くまで行き、宿まで歩いた。長い長い夜が終わり、夕方まで眠ってこの日は終わった。
翌日Hさんと合流し、アシュラムへと移動した。
アシュラムとは「修行場」という意味。ヨガや瞑想を学べる施設で、宿泊を兼ねていることが多い。料金は完全募金制のところから、値段が決められているところもある。
今回はHさんとヨガに挑戦する予定でパーマスニケタンというアシュラムに宿泊することにした。
ハリドワールの「ハリ」とは神のことで「ドワール」は入り口という意味らしく、聖なるガンジス川の巡礼の地としていろんな場所からヒンズー教徒が押しかける。そして聖地であるだけに、ここからは飲酒と殺生が禁止され、肉・卵の販売もできなくなる。しばし強制的にベジタリアン生活の開始。
2人1部屋利用で、バス・トイレ付きで400ルピー。施設はあくまで募金で成り立っているので、宿代もこれより多くても少なくてもいいみたい。
そして、偶然にもパンチャカルマのできるアールベーダ医院もこの中に入っていました。
アーユルベーダはインド大陸の伝統的医学である。ユナニ医学(ギリシャ・アラビア医学)、中国医学と共に世界三大伝統医学のひとつであり、相互に影響し合って発展した。トリ・ドーシャと呼ばれる3つの要素(体液、病素)のバランスが崩れると病気になると考えられており、これがアーユルヴェーダの根本理論である。
Wikipedia
その名は寿命、生気、生命を意味するサンスクリット語の「アーユス」と知識、学を意味する「ヴェーダ」の複合語である。医学のみならず、生活の知恵、生命科学、哲学の概念も含んでおり、病気の治療と予防だけでなく、より善い人生を目指すものである。健康の維持・増進や若返り、さらには幸福な人生、不幸な人生とは何かまでを追求する。
現代医学と同様、インドでは国家資格がありクリニックで治療を受けることができます。
サンスクリット語でパンチは数字の「5」でカルマは「方法」とかと訳されるらしい。アーユルベーダでは、以下の五つの方法で体をデトックスして、体調を整える治療をこう呼ぶ。
1、薬を飲んで吐く(胃洗浄)
2、薬を飲んで下痢する(小腸洗浄)
3、浣腸して排泄する(大腸洗浄)
4、鼻から薬を入れる(点鼻)
5、皮膚から毒を輩出(発汗)
通常の治療は3週間かけてアーユルベーダの先生に処方してもらう治療受ける。しかし今回ミゾヨコ一行は2週間ちょっとの期間しかない。先生にお願いして2週間で治療を組んでもらうことにしました。しかも雨季でシーズンオフだったため、30%オフ。2週間分の治療で22,400ルピー(約38,000円)
そもそも、アーユルベーダが有名なのは他にも南インドのケララやスリランカ。発祥はインドだけど、のちにスリランカに渡りさらに発展したらしい。スリランカはリゾートホテルとセットになっていることが多く、1週間でも10万円以上かかる。それに比べると格安でパンチャカルマが受けれるなんてラッキー♪
リシケシにはパンチャカルマが受けられるクリニックがたくさんあり、ここよりもさらに安価なところもあった。でもオイルマッサージの後のベトベトの体のまま、すぐ部屋に直行してゆっくりできるところが宿の併設医院の魅力。ここ以外で受ける選択肢はありませんでした。
早速ドクターに診察してもらい、カウンセリングの後に治療方針を決めます。
ここで治療中の生活についての説明を受けました。
治療期間中の食事は乳製品・脂っこいもの・フルーツや生野菜などの体を冷やすものを控える。過剰な香辛料も禁止。もともと肉や卵が食べれない地域なうえ、こうも食事制限をされてしまっては食べれる物といえばチャパティーと野菜のカレーのみ。
乳製品がダメってことはチャイ(インドのミルクティー)も飲めないってことだからかなりキツイ・・・・。
自称フードファイターを名乗る大食いのHさんとミゾヨコが揃えば、いつもこの治療食の逆のものしか食べないのだからさらに辛い。今日は久々の再会でもあるし、明日からの摂生生活への決起会という名目で今晩は好きなものを好きなだけ食べようという話になった。
そうと決まったら早速どこで食べるかを考えるミゾヨコ。前回ここにきた時には、フィリピン人のロイナと一緒歩き回ったので少し土地勘がある。少し歩くが外国人旅行者がもっと多いラクシュマンジュラ地区まで行く事にした。
繰り返しにいなるがここはバラナシ同様にヒンズー教の聖地。それだけに牛もかなり市民権を得ています。
それどころか神さまなので、次々とくる参拝者からひっきりなしに食べ物をもらえる。そのため、神様も繁殖し放題でかなりの数がこのリシケシで生息している。それにともなって増えるのが、路上に投下される罠。
久しぶりの再会で浮かれたミゾヨコは話に夢中でうっかり踏んでしまい、ガンジス川で清めてもらう事に・・・。運がついてるのか・・・・。
余談だがインド暦の長いロイナによると、10年前のリシケシでは牛がおしっこをし始めると、それを見つけたインド人が我先にと牛の腹下に潜り込み、寄ってたかっておしっこをくみ、聖水かのごとく頭からかぶってたそう・・・・
聖地に生息する神様から出たものは、やはりものすごいご利益のある聖水なんだろう。
牛のおしっこにどんな効能があるかは知りませんが、アーユルベーダでは今でも牛のおしっこを売ってます・・・・。
ベジタリアン食には変わりないが、明日からは乳製品も控えなければいけないので、せめてピザやパスタの食べれる外国人がよく行くレストランに入った。ガンジス川沿いにあるGanga View Cafe。シーズンオフだけにお客はミゾヨコ一行と欧米人のひとグループのみ。
ここでまたしても「インドあるある」。
と言うか日本のサービスが良すぎるのだけど、注文してから出てくるまでがかなり遅い。
いや、いつにも増して遅すぎる。
しんと静まり返っているレストランで待つこと1時間半。
こんなに客がいないのに、どうやったらこんなに料理が遅いのか。ちょっとだけ、先日のデリーでのトラウマが思い出される。待たされるのも得意じゃないのに、腹はどんどん減ってきて機嫌がよくなる要素が全くない。
そんな一行をよそにして、店員は時々暇そうにフロアに出てきてはガンガーを眺めている。
「そんな暇あったらキッチン手伝ってこいや(怒)」なんて言いたくなるのを我慢して、いつになったら注文をキャンセルし出ていくかを考え始めた頃、ようやく料理が運ばれてきた。
やれやれ。
ここまで待たされると、本当にまずいもの以外はどれも美味しく感じる。
ピザとパスタを代わる代わるに食べ、徐々に二人の心も穏やかになりつつあった。そして明日からの素食を思うと少し悲しくなり、ゆっくり味わう一行。
デザートのことを考える余裕まで出てきたが、この店で注文するという選択肢はすでにない。とりあえず胃袋のスペースを次のデザートのために確保するべく、Hさんに最後のひとくちのペンネを譲った。
お皿のちょうど真ん中に残ったペンネを、Hさんがフォークに突き刺し口に入れた。たわいのない話はそのまま続くと思っていたけど、なにやらHさんは口をもごもごし始め、口の中のものをお皿に戻した。
料理を全部平らげた平皿の上に出されたのはなんと
ミスターG
二人とも絶句し、状況把握ができなかった。
Hさんは確かにペンネを口に入れた。なのに口から出てきたのはゴキブリ。手品?悪い冗談?ドッキリ?
しかもなぜこのタイミング?何も、最後の最後に出てこなくたっていいのに。
どうやら不幸にも最後のペンネの下にミスターGもひそんでいたようだ。彼女いわく、その食感はパスタと一緒に茹でた感じだったそう・・・。
それを聞くだけでも口が酸っぱくなって胃酸が逆流してくるのに、口に入れてガジガジしてしまったHさんを思うとそうも言えないミゾヨコ。
そして、たまたま譲ったから私が食べなかっただけで、私がガジガジしていた可能性も大いにあったと思うと、もう他人事ではない。ていうか、その煮汁をふんだんに吸ったパスタをさっきまで私も食べていたではないか。
あんなに待たされた挙句、ミスターGが入ったパスタを食べさせられたミゾヨコ一行。最後の最後にゴキブリを食わされたHさんはさらに哀れ。
このまま引き下がる選択肢なんて、たとえガンジス川が逆流したってあるわけがない。
ウエイターを捕まえ、二人して怒りをぶつけた。
しかし、なんとウエイターはあざ笑うかのように「Everything is possible in India 」と言い放った。
直訳すると、インドではなんでも起こり得る。なんでも可能だということ。彼の態度とこのシチュエーションで訳すとすれば
「そんな小さなことで怒るな」
後になって冷静に考えれば、綺麗に平らげられたお皿に残されたのは一匹のG。
食べるものは全部食べておいて、後になって難癖を付けて食事代を浮かせようと思われたのもあるだろう。
しかしここで想像してみてほしい。2時間近く料理を待たされたのちにゴキブリ入りのパスタを食べさせられ、おまけにせせら笑うウエイターから浴びせられた言葉が「怒るな」・・・・・
もちろん
人をバカにするのもええ加減にせーや!!!!
聖なるガンジス川のほとりでまたカーリーが現れた。
カーリー一行はレジに仁王立ちとなり、先ほどの雑魚ウェーターが目の前にいるにも関わらず100m先まで聞こえるであろう怒号を飛ばし始めた。
欧米人のグループもざわざわし始めたがそんなの関係ない。
雑魚はもはや自分の手には負えないと悟り、早々にオーナーを呼ぶために中に入った。
確かにお皿の食べ物が綺麗になくなっていて、ゴキブリだけが残っているのは状況的におかしく思われるかもしれない。だが私たちの感覚だと、最初からそのゴキブリが出てきていたらそのパスタに手をつけるわけがない。料理を全部食べてしまったのは、本当にあの憎きGが最後の最後のペンネの後ろにいたからだ。
オーナーと思しき男が8割ほどの毅然とした態度で出てきた。
「ゴキブリ食わしといて、なんであんな言葉を言われんといけんのや?おめー、うちらの目の前でゴキブリ食うてから同じこと言えや!」
後になって振り返れば、横山やすしもびっくりの絡みようだった。これが日本なら、ここまで怒ることはない。しかしここは素晴らしきインド。これまでのインド旅で日本のような手厚い対応を期待できないことは身にしみていたが、どうしてもこんな粗末な扱いを受けるのだけは耐え難かった。
Gのエキスで煮込んだパスタなど、知っていてたら食べるものか!
怒りのおさまらない一行は全ての英語力を総動員し、男に怒りをぶつけた。
しかし、ここでもさすがインド。飲食費を全額払うように要求された。たかだか数百円のお金が惜しいんじゃない。というか、むしろこっちがお金もらいたいくらいだ。謝罪もない彼らに、何もなかったようにゴキブリパスタのお代まで払うぐらいなら、警察呼ばれた方がまし。ひとしきりつたない英語で訴えた後、一行はパスタ代を除く他の注文分を払って店を出た。
帰りの道中、怒りも少しづつ収まり、今度は少しずつ罪悪感が芽生え始めた。
注文から2時間も待たされた事、パスタにGが入っていた事、あんな扱いを受けた事、どれも腹の立つことではある。しかしこちらも怒りに任せてエネルギーを使ってしまったことで、結局彼らと同様のレベルに成り下がってしまった。罪を憎んで人を憎まずというけれど、あの突き抜けた怒りをどうやって納めたらよかったのだろうか。どうやったら仏のように穏やかに店を出ていけたのだろうか。
デザートのことなどすっかり忘れ、今度はモヤモヤしたままガンジス川のほとりを二人で歩いた。河原で寝泊まりするババ達は、チラムを吸いながらシバ神様と交信しているかのようにぼーっとしている。ガンジス川はさっきと変わらずおだやか。いっそのこと、私もババになり牛の聖水でもかけて貰えば少し穏やかに過ごすことができるのだろうか。
すると何の因果かHさんのビーチサンダルは壊れ、行きがけに私が踏んだ牛の糞を今度は彼女が踏んむというミラクルな惨事まで勃発。これから2週間のリシケシ生活への幸先のいい(?)スタートを切る事となりました。
View Comments