この記事は2014年に書かれたものですが修正して2019年2月に更新しています。
2013年11月の為替は1ネパールルピー=1円にゃ。
ローカルバスで絶叫したミゾヨコは
帰りのバスの中、ここ数日間の出来事を色々考えていました。
サニーとは本当に色んなことをした。
ビザ代行ともめた時は助けてもらったし、一緒に色んなところに行った。
真っ暗な山道を二人して歩いたし。
今日は今までの人生で、私がやってきたあらゆるアクティビティーのなかでも断トツで怖い経験だった。
↑バスの上の状態。この時はまだ帽子があった(悲)
よく、男女が一緒にジェットコースターに乗ったり、危険な吊り橋を一緒に渡ると愛が芽生えるとかいうけど、
もし彼女が男だったら
完全に惚れてた。
サニーが女でよかった。
いや、サニーのスペック(高学歴、可愛い、おそらく高収入、そして冒険好き)ならむしろ男であってほしかったよ。
こんな人と結婚して、たまに冒険に行けたらどんなに楽しいだろう。
今度いい男に出会ったら、吊り橋効果を期待して絶叫アクティビティーでも誘ってみようと思いました(笑)
お正月の初日の出からナガルコット〜ドゥリケルのハイキング動画↓
2014年1月15日 世界一周132日目
あれだけロイナを嫌っていたサニーは、いきなり、何事もなかったかのように話しかけるようになっていた。
仲直りできてよかったな〜って思っていたら、どうやら彼女には新たな企みがあったみたい・・・・。
ロイナはサニーと喧嘩したため、一人でインドに帰るための列車の手配を行なっていた。
しかし、サニーは一緒にインドに行きたかったようで、インド行きの列車のチケットを持っているロイナにあの手この手で変更するように仕向けていた。
ネパールとインドの国境はバックパッカーの中でも悪名高く、ときに偽物警官が現れてお金を取られたとか、両替で騙されたという話が聞かれていた。
そこでサニーが色々と大げさなほど国境の通り方を説明しはじめ、恐怖を煽り、最終的には「心配なら一緒に行ってあげてもいいよ」的な決め文句をはいたことであっさりかたがついた。
ロイナからすると、今頃になってなぜ話しかけてくるようになったのか、未だに不明。列車の件も、まあ、そこまでサニーが言うんならといった感じで仕方なく彼女に合わせたようだった。
なにはともあれ、いざこざがおさまって良かった(笑)
2014年1月17日 世界一周134日目
サニーとロイナを無事にバスターミナルまで送り届け、ハグをして別れた。考えたらこれまで4ヶ月以上旅をしていて、旅先で出会った旅人とこんなに長く一緒にいたことが初めてだった。何だかんだで3週間。これからまた一人かと思うと、ちょっと寂くなってしまった。
宿に帰ってから、ビザの進捗状況を確認するためインド大使館に向けて歩いた。すると、進行方向で人だかりが見えた。行ってみると、若い女性が倒れていた。
今は貧乏臭いバックパッカーだけど一応看護師の端くれだったミゾヨコ、とっさに助けにいった。
JCS=300(意識なし)、痛み刺激に反応なし、脈の触知可、呼吸あり、手が異常にむくれている。眼球の右方偏移あり、不同なし。
このくらいの情報は取れたものの、これからどうすればいいかは分からなかった。病院で働いていると、緊急呼び出しをすればいつでもドクターが駆けつけてくる為、看護師はその指示に従って点滴のためのルートをとったり検査の準備をする。
周りの人が、無理やり口に水を流し込もうとしているので、それはさすがに止めてもらい、救急車を依頼した。
(よく昔あったテレビのシーンで、気を失った人に水を含ませると息を吹き返しているが、意識のない人の口に無理やり水を流し込むことは危険です。)
どうしたものか。とりあえず、心臓も動いているし、呼吸もある。病院もすぐそこにあるし、救急車だってこんな街ならあっという間にくると思っていたけど、しばらく待っても誰も迎えに来ないんです。
そのうち、周りの人たちと相談し彼女をみんなで抱えて、そのまま病院に運ぶことになった。なるほど、救急車なんてサービスは先進国にだけある特権なんだと初めて気づきました。そう考えると、貧困国にいるあいだは絶対病気も怪我もしたくないなと思った。すでに喘息ででるけど(悲)
こういった場面にも、海外旅行保険は絶対必要。
夜はドミトリーで一人ゆっくりしていたら、いきなりドアが開き、ネパール人が入ってきた。あの苦い経験から、トラウマがよみがえり、思わず悲鳴をあげたら、同じドミトリーに泊まる善良なネパール国民だった(笑)
それでもこうした貧困国では、外国からくる宿泊者とのトラブルを避けるためか、あんまり地元の人と相部屋になることはこの先ほとんどないんですけどね。
それからの約1週間は、インドビザの受け取りとネパールビザの延長、ポカラに移動してからインドまでの移動方法を調べたり、インドのマラソン大会を探したりして過ごしました。
2014年1月22日 世界一周139日目
朝一番でバスターミナルに行くと、朝8時カトマンズ出発→夜7時にポカラ着のバスに乗ることができた。
最安のローカルバスだったから、これまた周りは全員ネパール人。
荷物が安全なところに入れられ鍵がかかったのを見届けてバスに乗り込む。
出発した時は全員席があったけど、途中で止まってさらにどんどん人を乗せる。
というか、荷物もものすごい量だから座席に座っているにも関わらず窮屈になってくる。
この頃は細い山道を小さな村をいくつも経由して進むので、たった200キロの道のりも相当な時間を要した。
バスから声をかければなんでも買えます。
隣のネパール人は全く英語が喋れないのに、物珍しいからか事あるごとにちょっかい出してきた挙句、最終的には私に寄りかかるようにして爆睡・・・・。
私の方はというと、眠れる訳などなく半日近い移動時間でヘトヘトになった。
長旅で疲れてしまい歩き回って居心地の良さそうな宿を探す元気はなかった。
とりあえず、カトマンズの日本食料理屋「桃太郎」に置いてあった情報ノートでおすすめのLンリーゲストハウスに直行した。
シルバーの軽四がネパールのローカルタクシー
宿に着くと、ひと息つく間もなく今度はオーナーによる押し売りが始まった。情報ノートでの評判はとてもよかったんだけど、閑散期だったのもあってかオーナーが結構いろいろ進めてきます・・・。
サニーの助言により、アンナプルナはガイドを雇わず最安の方法で行くことにしたミゾヨコ。
トレッキングのガイド不要とわかると、今度は登山口までのタクシー代2000ルピー。
バスで行くというと今度はツーリスト用のバス。
ローカルバスで行くというと、私からは稼げないと思ったのか途端に愛想がなくなった。
金払いのいい短期旅行者には、いいゲストハウスなのかも・・・・・。
それでも、一人で行くよりグループで行くの方が安心なので、念の為仲間を探してみる事にした。
いつでも登山者はいるんだから、きっと同じ時期に出発するグループだっているはず。
早速トレッキングに必要なものを買いそろえたり、寝袋をレンタルするついでにそれらしい人を探しに出かける。
すると速攻で、私のようにトレッキング用品を物色している白人グループを発見!
早速話を聞いてみると、なんと明後日から出発する予定とのこと。
ついていってもいいかと言ってみると快くOK!!!!
やった!これでさらにトレッキングが楽しくなる。
しかし、「急いで用意してるんだけど、TIMSとったりしないといけないから、はっきり明後日出発とは言えないんだよね〜」っと
TIMSとは政府が発行する入山許可証のこと。
私のほうは行く気満々だったので、すでにカトマンズで取得済み。
ビザの期限もあるし明日から行きたかったけど、もう一日待ってみることにした。
明後日出発できたらってことで、お互いゆるーい約束を交わしてその日は終了。
2014年1月23日 世界一周140日目
今日は何もすることがないので、朝からサランコットまでトレランしながら行く事にして出発。
実は、インドに移動して一発目のマラソン大会は塩砂漠でのトレイルランに決定したので、そのトレーニングも兼ねていたのです。
その為に偽物買い物天国のカトマンズで、使えそうなハイドレーションバッグを買っていたので使ってみることに。
サランコットとはネパールの主要な観光地のひとつであるポカラのペワ湖の北部、湖とポカラの町を見下ろす高台にある。アンナプルナ、マチャプチャレ(6993m)などヒマラヤ展望のできる観光地として知られパラグライダーなどのアウトドアアクティビティもさかんである。特に日の出のヒマラヤの美しさで知られ、ダンプス、ナガルコートとともに人気の観光地である。
Wikipedia
ポカラは大きな湖があり、乾季にはちょっとしたリゾート地になります。
湖に沿って北上すると登り口があります。
今日もお供に犬がついてきました。
通りがかりの子供
2時間ほど山を登る間に、所々の集落で村人たちに「チャイでも飲んで行かない?」と誘われた。家から奥さんと子どもを呼びつけて、薪で火を起こしチャイを作ってもらった。
それなら有難く、とチャイを飲み始めると今度はガイドの押し売りが始まった。
ガイドだと言うから、試しに私が考えた明日からのルートのことを聞いてみるも、なんだか要領を得ない感じ。
あなた、本当にガイドですか?
聞けば聞くほど怪しい感じ。
やんわり断ると、今度はこのあたりのガイドを500ルピーですると言う。
日本円でも500円程だけど、宿の一泊とさほど変わらない値段です。
一人で行けるよ、と断ると今度は200ルピーでと食い下がる。
時間が勿体無いので50ルピーをチャイ代として払って先を急ぐ事にした。
ごめんよ、貧乏旅行者で。。。。
それからも同様のお誘いをかわしながら上がっていくと
今度は薪を切る青年。食事を作るのも一苦労です。
後ろから、巨大なバックパックを背負った欧米人が上がってきた。
どうやら、パラセイリングを背負って上がってきたみたいで、ここが出発地点だった。
一旦車道に出て、サランコットに到着
外国人は、入場料として30ルピー。
この辺りは昼間はよく曇るので見晴らしは期待していなかったけど、なんとかアンナプルナ(だったか?)が見ることができた。
明日からあの山のベースキャンプを目指して歩くのかと思うと、楽しみで仕方ない。
頂上ではチャイ屋がなかったので、少し下ったところで一休み。
さっき横を通った湖があんなに遠くに。
一休みも終わって、下山します。
学校の近くだったのか、バレーボールのコートを発見。
題して、天空のバレーボールコート。この先は10メートルの崖になっています。
サーブが飛びすぎると高確率でボールが奈落の底へ。。。。
こんな山の頂上で球技はいかんだろ・・・・・。
大分、湖が近くなってきました。
それからまたぼちぼち下山して、無事湖まで帰ってきました。
のどかです。
宿に帰って昨日の彼らに連絡を取ると、彼らも行く方向。
だったんだけど、数時間後にグループの一人が体調が悪くなり、もう数日様子を見ることに。
食中毒になったみたいです。
こちらはビザの期限も迫っているので一人で行くことにして、寝袋借りにショップに行く。
すると日本人の男の人に遭遇。色々話していると
「え、ひとりで行くの!?大丈夫?!?!」
びっくりされてしまった。
ん〜。
「絶対」と言われたらやっぱり自信ないけど、行った人からの話を聞く限り、きっと他にも登山者いるしね。
「わかった、じゃあ帰ったらここのお店の人に僕に伝えるように言っといて。」
どうもこの男性、ボランティアで日本語を教えているようで、このお店の女の子が生徒さんだそう。
お言葉に甘えて、安否確認してもらうことにしました。感謝!
そして、クッキーなどの補食を買い込み、明日からのアンナプルナトレッキングに備えるのでした。