この記事は2014年に書かれたものですが修正して2019年に更新しています。
2014年の為替は1インドルピー=1.6円です。
リシケシでHさんとヨガとアーユルベーダを満喫したミゾヨコ。Hさんはこの後バラナシへ、ミゾヨコはラダックを目指すべくその玄関口であるマナリへ移動することになりました。
リシケシからマナリまでバスで半日以上の旅。しかも膀胱炎はなんとか治ったような、治ってないような微妙な感じ。でもこれから行くラダックは5000m級の山々を1泊2日以上かけて車で行くインドの秘境。9月になると雪が降り出して陸の孤島になってしまうため、早めに辿りついきたいところ。
2014年8月13日 世界一周340日目
再出発の前はいつも汚れ物を洗濯してこれからの旅に備えます。リシケシの最後の数日は他の安宿に移らなければならなかったのだけど、Hさんと長らく快適なアシュラム生活を送っていいたため気がゆるんでいました。今回は洗濯ネットと洗濯バサミを宿の物干し場に忘れたら、一瞬でなくなってしまいました。日本ではどこにでもある物だけど、国が変わればその価値も変わります。ほんと切ない。
ハリドワールまでHさんと移動し、最後の晩餐。何気なく入ったローカルレストランは、不殺生食生活の長かったためかどれも超絶美味しかった。Hさんとの楽しいリシケシライフを締めくくる、いい食事ができた。
マナリ行きのバスは夜8時出発とのこと。しかも、北インドの山々はなぜか寝台バスの供給が政府によって禁止されており、長距離の夜行バスであっても座席シートで耐えなければなりません。リシケシからマナリも例外なく長時間。到着は間違いなく翌日の朝以降になるだろうから出来るだけ居心地のいいシートを確保しておきたい。
リシケシ行きのバスが到着。インド人に負けじとバスに乗り込み、なんとか窓際の座席を確保。隣になった女性も運良く変な感じのしない人でよかった。出発までまだ少しあったので、食料品を買い込みトイレに向かうと、バスがまさかのエンジン始動。
え?まさかね。
出発までにまだ30分以上。流石にまだ出発はないだろうと思ったけど大急ぎで用を足しバスに向かって歩き出すと、運転手がクラクションを鳴らしている。
え?急げって、こと???
とりあえず走ってバスに戻ると、まさかの出発。どうやら、バスは満員になったので早々に出発することになったらしい。危うく荷物だけでマナリに行きそうになったが、誰かが私の存在を気にかけていてくれてよかった。
マナリはヒマラヤ山脈の玄関口で標高2000mほどのインド屈指の避暑地。そこに行くまでの道もかなり悪く、さらに移動費を節約して最安のローカルバスに乗ったこと、後悔するのに出発から一時間あれば十分でした。劣化したクッションの座席は、限りなく板張りに近い。同じくショックを吸収するはずのサスペンションも本当に機能しているのか、道路の亀裂でバスは大きな音を立てながら震え、尻の骨を刺激する。二時間後にはお尻がかなり痛くなり、夜も殆ど眠れることなく移動する。
朝方、どこかのバスターミナルに到着。GPSで確認するとマナリまではまだまだかかりそう。振動がなくなったことでお尻の痛みから少し解放され、うつらうつらとし始めた。
しばらく眠って過ごし、はっとして周りを見渡した。よかった。寝ている間にひとりだけこのバスに取り残されてたらと思うとヒヤッとしたけど、バスの中は昨日からの長旅でぐったりしているインド人たちだけで状況はいたって変わっていない。
よく見ると、バスの中の人も外に出て一休みしている。
ん?なにこのまったりした感じ。ご飯の時間?
どした!?!?!
どうやら、マナリまでの道が大雨でふさがれているらしい。
まじかー。
嘆いていても、どうしようもない。私にできるのは只々、待つのみ・・・・・・・。
マナリまではあと約60kmほど。
仕方がないので板張りの座席でまたお昼寝。すると朝食に食べたバナナのおかげでも便意をもよおしてきた。バスは「村」とは言い難いが「町」とも言えない中途半端な小さなターミナルに停車しているため、公衆トイレなんてものはおろか、唯一あるおんぼろ食堂にもトイレなんてものはない。この町の住人は毎朝こぞって各々のお気に入りのスポットを見つけて用を足すのが当たり前なのだ。
また私がトイレに行っているすきにバスに出発されては怖いので、乗客数人にことづけてトイレスポットを探す旅に出かけた。しかし早朝だけあって、住民のトイレタイムと重なり、良さそうな茂みには必ず先約がいて近寄れない。結局水田を数百メートル歩いてやっと見つけたぬかるみで、大量の蚊にお尻を刺されながら無事用を足すことがでた。
数時間後、バスが動き出しました。
ヤレヤレ・・・・・
と、一息ついたのもつかの間。また、バスが止まって動かない。
どうやらこの先の山で大雨が降り、道路は一時的に川になっていいるそう。全く進む様子なし。
待つことさらに1時間、川の水量がだいぶ減り、なんとなく道路の輪郭が出てきたところでバスは動き出しました。
しかし見た感じ、あたりは沼と化していてどこが道でどこが川なのかが全く判断できない。
だ、大丈夫なんかいな!?!?
タイヤが穴にはまったりしない?
なんて、ミゾヨコが勝手に心配している間にもバスはノロノロと進んでいき
近隣住民も心配そうに見守ってくれています。
そろりそろりと進むバスからは見渡す限り、水浸しの土地。
え、いや、これまだ沼ですけど!!!
だだだだ、大丈夫?
ただでさえ普通の道にも突然大穴が開いているのに、こんな盲目的な走り方したら絶対やばいやつじゃん!!
そんなミゾヨコの心の声なんて聞こえるはずもなくどんどん進み、やがて普通の道が見えてきました。
はーよかった。
ここでまた長いこと待つことに。どうもバスの調子も悪いらしく、修理するからご飯を食べに行ってきていいと。ご飯って言ったって、衛生状態が不安な安食堂しかないのに、頼めるのはチャイぐらい。カレーだって、どんなオイルかもわからないしちょっと怖い。
しばしゆっくりしていると、なにやら違うバスがクラクションを鳴らしながら今にも出発しそな雰囲気。
え?
うちのバスは、そこにある。
でも、不安になって駆け寄ってみると、いつの間にやら違うバスにさっきまで一緒だったようなインド人らしき人が乗っている。見分けなんてあまりつかないんだけど、念の為運転手に聞いてみると古いバスは動かないからこっちになったと。
え?まだ荷物移動してないんですけど!?
知らないうちにバスが変更になった上に、また置いてきぼりになるところだったミゾヨコ。ギリギリのところで難を逃れた。
そしてバスはさらにヒマラヤ山脈に向けて上り坂となり、今度はカーブばかり山道になりました。
山を登っていくとまた危険な川が出現。
道が水量の多い川になってしまい、横断するのが危険とのことでまたさらに待機・・・・。この頃には大渋滞でトイレのできる茂みなんて道端になし。
数時間後、やっと流れが穏やかになってきたので横断開始。
この後も大雨で何度かスタック。道が通れるようになるまで待機し通過するのを何度か繰り返し、バスはゆっくりとマナリに向けて進みます。
無事通り抜け、マナリへたどりついたのはなんと夜の10時。結果的に、26時間のバス移動となりました。
どうにか五体満足、無事にたどり着けた。宿で爆睡したのもつかの間、翌日の朝からまた膀胱炎が再燃してしまった。トイレがないから水分控えていたのも良くなかった。あの地獄の移動で体調が悪くならなかっただけでも幸運だと思うけど、このまま難治性に移行してしまうと、旅どころでは無くなってしまうので怖い。抗生剤を全て飲みきったところなので叩き切れなかった細菌が増幅したかと思うと心配だけど、あいにく祝日のため病院はどこも閉まっている。
すぐにでもさらに北を目指すつもりだったけど、ここからラダックも劣悪な移動環境が必須になる。考えた結果、もう一日静養して体調を整えることにした。クランベリージュースとバナナを大量に買いこみ、いつもよりいい宿に泊まって自力で治すことに専念するミゾヨコ。次の日には回復していいることを祈りながら、クランベリージュースをがぶ飲みするのでした。
大統領がモディーに代わってからのインドは、旅行者でさえもわかるほど変化しています。「全ての家にトイレを」という目標のもとトイレも少しづつ普及しているそうです。