この日記は2014年に書かれたものですが修正して2019年に更新しています。
2014年の為替は1インドルピー=1.6円です。
2014年10月24日 世界一周412日目
昨夜はインドのお正月「ディワリ」で騒がしかったが、朝はいつもと変わらず静かだった。
5時半から用意を始め、6時半前には出発することができた。
お正月の翌日だけあって、車も少なくスムーズに走る。それはいいのだが、ガソリンが半分を切っていたため少し不安があった。
デリーからネパールのカトマンズまでの道のり第一日目は、タージマハルのあるアグラまでの立派な高速道路を通ることになる。
なんでも緊急時は飛行機の滑走路になるという道路だから、きっとそれなりにパーキングやガソリンスタンドもあるだろう。
何とかなるか。
そう思って高速をすすむ。
しかし高速を進めど、ガソリンスタンドどころかパーキングも見当たらない。
どでかい片道三車線の道を突き進むと、あたりはしばらくして畑だけになってしまった。
距離を確認する。
前回の給油からそろそろ100kmを走ったことになりそうだ。
やばいな・・・・。
区画が変わるのか。また大きな料金所を通り過ぎた。
しかし、ガソリンスタンドは見えない。
んー。やばい展開。
しばらく進みやっと見つけたパーキングには、ガソリンスタンドの看板がかかってはいるものの、まだ建設中であった。
もう、次の出口で高速を降りてガソリンスタンドを探そう。
と思った矢先、プスンプスンと間の抜けたような音がエンジンからし始め、バイクは止まってしまった。
ついに、やってしまった・・・・・。
あたりは一面に広がる畑と、まばらに通る車だけ・・・・。
とりあえず、100m先で農作業をしているインド人に手を振ってみる。
「ハロー!ハロー!」
いつもはインド人のこと空気のようにしか扱わないミゾヨコも、流石に今日は事情が違っていた。
「ハローマイフレンド!助けて欲しいんだけど!」
大きく手を振りながらそう呼びかけるが、インド人は全く興味なさそうだ。
バイクに乗ったアジア女が話しかけてるのだから、少しびっくりしてくれてもいいのに。そんなことが確認できるほど至近距離でもないってことか。
困ったな・・・・・。
車をヒッチハイクしようにも、誰も止まってくれない。
それもそのはず。こんな大きな高速道路だから、誰もがぶっ飛ばしている。
リキシャでも通り掛かれば何とかなるかもしれないな。
と思った矢先、4人乗り原付が止まってくれた。
4人乗りの原付が高速道路でも健在なのがびっくりだ。
しかし困ったことに嫁と子ども2人を乗せた原付のおじさんは、全く英語が話せない。
インド人の友達に電話をして通訳してもらうと、そのおじさんがガソリンを買って来てくれることになった。
さっきまで飲んでいた水のボトルを慌てて空にして、祈る気持ちで手渡す。おじさん家族は、また4人乗りでノロノロとハイウエーを走っていった。
どれ位、待っただろうか。
この高速は、この間マラソン大会のあったノイダからアグラまでの200km弱を繋いでいる。ところどころ、フェンスが壊されていて地元の人が歩く道を強引に作っている。しかし基本的には立派な縁石に囲まれているため、ガソリンを買って帰るためには一度デリー方面に引き返して、高速を引き返さなければならない。
降り口は頻繁にはないだろうから、1時間はかかるかな。
バイクのガソリン代と、おじさんへの感謝を込めて多めにお金を渡す用意をしポケットに突っ込む。
まだまだ時間はあるだろう。
座り込んで日記を書き始めると、信じられない光景が目に入ってきた。
三車線の高速道路を、何とあのおじさんは逆走して帰ってきたのだ。
まじかよ!笑
おじさん危ねーよ!
買ってきてもらった分際だからツッコミはしなかったけど、無事に帰ってきてくれて本当によかった。
おまけに多めに渡したお金も受け取ろうとしないなんて、なんて素朴なインド人。
こっちの気が収まらないので無理やりお金を受け取ってもらい、帰ってもらった。
ガソリンを補給し、無事に再出発を果たしたミゾヨコは、夕方5時にKanpurに到着した。
Kanpurは工業都市でかなりの都会だ。小ぎれいなビルが立ち並ぶ新市街地と旧市街地があり、それぞれがちがう国であるかのような雰囲気。
新市街は大型ショッピングモールが立ち並び、ゴミが少ない。歩いている人たちは小ぎれいな服を着て忙しそうに歩いている。宿もそれなりの値段がする。
旧市街はインド北部によくある埃っぽいイスラムの街並み。お祈りの時間になると町中にコーランが鳴り響く。道路はところどころ穴があき、ゴミが溜まっている。暗くなりかけた街の中心で牛が歩き、壁に腰掛けた男たちの視線が痛いほどに刺さってくる。
この状況で宿を探すとき、誰に話しかけるかで今後の明暗を分ける。
幸いにもこの街はデリーのように観光地化されていないだけあって、外国人目当ての客引きはおらず自分のペースで探すことができた。
頭の中にある地図を頼りに、1時間ほど旧市街をさまようと一軒のホテルを見つけた。
かなり古い建物で専用の駐輪スペースもないのだが、宿の前にちゃんと警備員がいる。宿の受付も普通に対応してくれたので、ここに泊まることにした。
今夜の宿は800ルピー、日本円で1200円ほど。やはり、バイク旅だと周囲の安全面を考慮するとこのくらいの出費は当然必要になってくる。
夕食は屋台で売っていた物を適当に食べて寝る
2014年10月25日 世界一周413日目
今日も朝6時半の出発。バイクを見張っていてくれた警備員にチップを渡し、再出発。
少しするとあたり一面が朝靄に包まれた畑が目に飛び込んできた。そのなかを走る道はとても幻想的で綺麗だった。写真を撮ってのんびり進みたいところだが、また昨日のように何が起ころかわからない為、とりあえず先を急ぐ。
隣町のラクナウまでは道が悪く、大きなデコボコのあるアスファルトを避けるためたどり着くのにだいぶ時間がかかった。
今日の目的地であるゴラクプルに着いたのは、お昼過ぎの14時半であった。
ふと、このままネパールのボーダーまで行ってしまおうかとも考えたが、冒険するのは止めてゆっくりすることにした。
駅前のあたりに安宿の密集地を発見した。
通り過ぎてしまったので引き返そうかと思ったが、沢山人がいたし何となく嫌な雰囲気。
ゴラクプルはインド側の列車の最終地点であり、インド・ネパールを行き来するたくさんの旅行客でごった返す街なだけに、変なインド人に絡まれるのも嫌だった。
Uターンするのを止めて、1人で落ち着ける場所に宿を取ることにした。
昨日よりさらに高くなって、1500ルピーの宿にした。wi-fiもない宿だが、ここのいいところは24時間チェックインであるところ。夕方にチェックインすれば明日のこの時間までゆっくりできる仕組みなのだ。
実は先日、ラダックで一緒だったJさんが連絡をしてきた。何処かのタイミングで合流して一緒にネパールまで行くことになっていた。
彼も割と近くまで来ており、今日は道端のダバ(シャワー施設付きの食堂)でゆっくりしているらしい。
どうやら合流の日が明日になりそうなので、私はゆっくりここで彼がくるのを待つことにした。
2014年10月26日 世界一周414日目
ゆっくり起床する。
Jさんさんから到着を知らせるメールも来ないので、ゆっくりしていた。しかしお昼過ぎても私が送ったメールが開かれておらず、段々心配になってきた。
Jさんは縦にも横にもどっしりしていて、貧弱なインド人では到底勝てそうにない体格。旅のスタイルも私なんかとは違って、道端のパーキングでテント泊なんて当たり前だ。
インドはチカンやスリこそ多いが、強盗や殺人はあまり起こらない。ましてやガタイのいいJさんが襲われるなんてことはないだろう。
ないと信じたい。
しかしこのあたりは、インドの最貧経済区域であるビハール州と近く、それに伴って犯罪も他の都市より多い。
生活に困った人から見ると、異国から来たおっさんはどのように映るのだろうか。
失礼な話であるが、小綺麗な私の方が、カモがねぎ背負っている感はまだ強い。それでも、彼の荷物にあるハイスペックな旅道具を知っている私からしたら、十分に狙われる対象になると思った。
14時を過ぎ、さらに心配になってきた。
電話で他の人に相談する。
15時を回り、とうとうしびれを切らして宿に相談した。
すると、ここの警察は何もしてくれないだろうから、とりあえず交通警察に問い合わせをしてみてはどうかと言われた。
彼との最後の連絡は、昨日の19時半。
それからダバでテント貼って寝ている間に襲われたのか、それとも交通事故か?
チェックアウトの時間が来てしまったので、とりあえず自分の荷物をパッキングする。
フロントに行くと、宿の人がカンプールの交通警察の連絡先を調べていてくれた。
電話しようとしたら、私の携帯のチャージがもうすぐ切れそうになっていたので、とりあえずチャージしに行こう。
そう思った瞬間、後ろから聞き慣れたバイクの音と共にJさんがやってきた。
「Jさん!!!無事だったんですね!!!!よかったー!!!」
どうやら彼の携帯は昨日で開通してちょうど3ヶ月だったらしく、使えなくなってしまっていたとのこと。
生きててよかった。
こうしてめでたく愉快な仲間が増えたミゾヨコは、今日の出遅れた分を取り返すべくネパールとの国境へ進むのであった。
国境までの道のりは、簡単なはずであった。
しかしこの頃のグーグルマップは時々変に暴走し、直線距離の近さでルートを選ぶことがあった。この日もまんまと距離だけで選択したルートを進んでしまい、気がつけばものすごいオフロードの道をひた走っていた。
ネパールからインドに抜ける国境の道が、こんなオフロードなわけないじゃん。
気がついて少し戻ってはみたものの、地図をよく見ると、ものすごい距離を帰らなければならないことが判明した。しぶしぶ砂地のオフロードレースにJさんと参戦することになった。
ローカルバスを抜いたり抜かれたりしながら、田舎の道を突き進む。すっかり日が落ちたオフロードの横には、ヤシの木と小さな家がポツリと建ち、そのずっと向こうに流れている星が見えた。
地元の人たちが屋台に群がっている。
二台のバイクが通り過ぎるのを、何ごとが起きたのかと言わんばかりに見守っている。
私ひとりじゃなくて、本当に良かった・・・・。
長いオフロードを抜けると、今度はアスファルトの立派な道に出た。
道の横には長距離のトラックがビッチリと止められていて、その行列は何キロも続いていた。
砂埃と対向車線のハイビームで視界はかなり悪い。
それでもボーダー近くのスナウリまで到着し、無事宿に泊まることができた。
2人ともクタクタで、ベッドに倒れこむようにして速攻眠った。
2014年10月27日 世界一周415日目
朝になって建物の写真を撮ってみた。
夜は節電のため灯りがほとんど付いていなかった。
数キロ先の国境に移動する。
無事にインドを出国し、ネパール入国。
バイクの登録はネパールのイミグレーションの反対側で、運転免許書とバイクのカードをコピーしたものと一緒に、滞在日数分のバイクの税金を支払う。(1日200ルピーで、最大30日分の支払いができる。)
SIMカードもついでに購入。SIMカード代160ルピーに、諸々の手続き等でさらに360ルピーで開通できた。
ネパールに入ると、道は格段に良くなったが、しばらくしてヒマラヤ山脈を突っ切るルートに突入した。
カーブの多い道に加えて、徐々に標高が高くなってくる。
酸素が薄くなってくると、バイクの調子もいまいちになってきた。
加えて交通量も多くなり、永遠と続くバスとジープの渋滞とともにヒマラヤ山脈を横断し、カトマンズを目指した。
カトマンズ盆地に入った頃には、すでにあたりは夜になっていた。
都会に入ると排気ガスも相当なもので、マスクの上から布で口元を覆わなければ今夜からでも喘息発作が出そうなほどの匂いだった。
本当は一旦宿にチェックインしてからK氏を空港に迎えに行くはずが、もう到着の時間が迫っていた。仕方がないので大荷物をくくり付けたまま、一行はカトマンズの空港まで直行した。
カトマンズの空港ではテロ対策のため、インドのナンバープレートの乗り物の乗り入れは禁止されていた。
そんなこと知らない一行はセキュリティーの人に懇願を繰り返し、なんとか入れてもらうことができた。
しかし、到着時間を過ぎていたのにK氏は見当たらなかった。周りの人に聞いてみると、どうもフライトの到着時間も遅れていたよう。しばらくして無事に再会を果たすことができた。
チェックインの後、初対面のJさんとK氏を連れて、近くの屋台で食事をしその日は速攻で爆睡した。
合計1300kmの道を4日間で走破した。ガス欠に始まり、Jさんの失踪疑惑などあったがトラブルなく国境をまたぐことができた。
2014年はネパール側での税金の支払いは30日までしかできず、税金を追加で払う場合はもう一度国境で支払うしか方法がない。税金を払わずにネパールで滞在し警察に見つかった場合はめんど臭いことになるので注意が必要である。
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