ネコとの暮らし、始まる。
Pocket
LINEで送る

ここ数年、私は猫の魅力に取り憑かれている。

いつか猫と暮らしたい。そう夢見ながらも、猫とのそれは夢のまた夢であると考えていた。放浪癖のある私にとって、家にいつくといわれる猫と暮らすことは、ある意味で結婚より勇気のいる事のように思えたからだ。鎖でつながれてるような窮屈さが、私には耐えられない。

2021年1月の中旬。

寒い雨の夜、自宅の裏口からにゃーにゃー聞こえてきた。勝手口を開けると、寒く震えて助けを求めてきた若い猫がいた。一瞬警戒したようだが、すぐに手を舐めてきた。生殖器を見てみた。おそらくメスだ。まだ若い。怯えながらも必死で鳴く彼女を助けたい。でも、このまま居つかれると、猫嫌いの母が黙ってはいない。

少しためらったが、手羽が美味しく煮えていたのでひとつやる事にした。しかし、あくまで素っ気なく、投げるようにして与えて勝手口を閉めた。

その後しばらく息をひそめていたが、猫はおかわりともご馳走様とも言わずにいなくなった。帰る家があったのか。それはそれでよかった。たまにこうして顔出してくれたらいいのに。と、その時は思った。

2日後、仕事から帰って自室のある2階に上がると、ベランダから猫の声が聞こえた。開けると、またあの猫だった。会いにきてくれたのか思うと嬉しくなった。一瞬頭を撫でたのだが、その後のことが頭をよぎって手を引っ込めた。居座られてしまうのは困る。私は責任を取れない。

心を鬼にしてドアを閉めた。しかし彼女はしぶとく叫ぶ。

お婆ちゃんのようなしゃがれた声で

「あんたがここ開けるまであたしゃ鳴き止まんよ!にゃー!!」と言っているようだった。

10分後、私は負けを認めた。この悲鳴を聴きながら心休めることは不可能だと悟った。ずるい。あんなに可愛い子猫が鳴いてるのに、助けないわけにいかないよ。

幸にも父は賛成してくれた。母は絶対反対。話し合いは平行線のまま、とりあえずその夜は私の部屋で寝た。

窓を少し開けておいたが、朝になっても猫は寝ていた。この部屋には餌らしい物は何もない。腹が減ったら飼い主のいる家に帰るかもしれないと思ったので、部屋の窓を開けて仕事に行った。

ところが、仕事から帰ってきてもまだ猫は部屋にいた。それどころか、「おばはーん!待ってたよー!にゃーん!」あたかも自分の部屋であるかのようにくつろいで私を迎え入てくれた。

この図々しさに私は惚れた。可愛すぎる。この子を何とかしてあげたい。もしかして、うっかり妊娠した時もこんな心境になるのか。いや、こうであって欲しい。予定外だけど嬉しい。私は今こういう心境なのだ。使うことのなかった母性を、発揮する日が来たようだ。

母に懇願し、渋々ではあるが私の部屋の中だけで飼う事を許してもらった。早速ホームセンターにトイレと餌を買いに行った。

飼うべきものは2つあった。猫の餌とトイレだ。昨日から変なゲップをしていたから毛玉がお腹に溜まっているかもしれない。それ対策の、食物繊維の多い餌を選んだ。

次にトイレ。トイレにも色々あるようだが、意外と安価なのは助かった。高機能なものは砂を入れた下がザルになっていて、下におしっこ用のシートを敷けるようになっている。よくわからないけど、獣医が監修したという物にした。

家に帰るとまた猫はにゃーにゃーいいながら私を待っていた。真っ先に餌をやってみた。猫は物凄い勢いで食べた。

その隙にトイレをセットしてやった。食べ終わったのを見計らって、トイレに連れて行ってみた。まだ匂いもついてないからわからないだろうな。まあ、焦らずどこかで失敗してから教えよう。

そう気長にとらえていたのだが、気がつくと、もうその子はトイレを使って用を足していた。この猫はすでにトイレの躾がされていたのだ。

となると、この猫はかつて誰かの家で飼われていたとしか考えられない。この子がいなくなって捜している人がいるかもしれない。どういう理由ではぐれてしまったのかわからないが、まずは飼い主を探してこの子の無事を教えてあげなければ。

私はこの子を飼うのではなく保護しているのだ。そう考えると、少し心が軽くなった。ネコとの暮らしは夢にこそ見ていたものの、いきなりこのタイミングで自分の生活を変えてしまえるほどの覚悟は出来ていない。生半可な気持ちで手を差し伸べてしまった私の責任は重い。

この子の一生が15年と考えると、私はそれまでの間に、引っ越す先々でペット可の物件を探さなくてはいけなくなる。果てしない未来を想像してお腹の奥の方にいる何かが拒絶反応を示した。あんなに行っていた海外が、彼女を家族にすることで果てしなく遠くなるように感じた。

しかし、それとは逆の方向から、ネコのいる暮らしが想像していた以上に自分に幸福をもたらしていることにも驚かされていた。これも何かが引き寄せたのだ。どっちに転んでもいい経験ができると思うと、この先が楽しみになった。

まずは飼い主を捜そう。飼い主がいなかったら、この子を必要とする家族を探してあげればいい。それでも見つからなければ、これも何かの縁だと思うことにしよう。私はこれまでの遠慮がちな関わりを止め、思いきり猫を可愛がることにした。

飼い主を探すことにはしたが、平日は仕事で保健所に行くことはできない。週末を待って保健所に電話したが、保健所も閉まっていた。ネットで調べたものの、更新されていないだけなのか、最近猫の迷子はいないようだ。

次は動物病院に行った。健康診断をしてもらいたかったのと、何歳くらいの猫なのか、去勢はしているのかどうか知りたかった。しかし受付の人は、猫をみることすらも拒否して、「迷い猫はゴミステーションに張り紙するといいよ」と素っ気ないが的確なアドバイスをくれた。

そうだな。ゴミステーションならみんなの目に届くし、何か情報が得られるかもしれない。飼い主が見つかる可能性もあるので、1週間は情報を待つことにした。

この頃には猫もすっかり私に懐いており、よく膝に乗ってくるようになっていた。

何人かの猫好きに連絡して、この経緯を説明した。友達は猫を飼うことを応援してくれ、数ヶ月の旅なら預かってくれるとさえ言ってくれた。そして、新たに猫が飼いたいと言う者も現れた。

こうしてこの子のセーフティーネットは作られ、この1週間で猫と暮らす準備は万端となりつつあった。

しかし、やはりこの子を待つ飼い主のことが気がかりだ。こんなに可愛い子がいきなり姿を消したら、さぞかし心配しているだろう。私は早速ネットで迷子猫の登録をし、ポスターを作成した。近所のゴミ捨て場と公民館にそのポスターを張り、飼い主からの連絡を待つことにした。

今日は休みの日をこの子のためにだけに使った。今も私の上で眠っているこの子をみるのが幸せでとろけている。

この先飼い主が名乗り出てくるかもしれない。それでもいい。その時が来るまで、私はこの子とこうしていたい。

しゃがれていた鳴き声は、いつのまにか可愛らしい若い猫のそれに戻っていた。

私は猫の魅力に取り憑かれている。

にほんブログ村 にほんブログ村へ