ベネズエラ最東からコロンビアのボコタへ怒涛のバス移動
Pocket
LINEで送る

2016年3月21日  世界一周677日目つづき

洗濯屋で行方不明になったTシャツことを引きずりながらバスターミナルに到着。夜行バスのチケットを買う予定だったが、全てのバス会社が閉まっていた。ここは長距離夜行バスしかないバスターミナルなのか。嫌な予感はするものの、とりあえずカフェテリアでランチをとった。

隣の男が英語で話しかけてきた。どうやら今日のバスに乗るためには早朝ここに来てチケットを買う必要があったらしい。そんなことを言われると不安になる。Hさんがコロンビアから日本に帰るフライトは25日。あと4日しかない。余裕を持って23日にはコロンビアのボコタに入ることを考えれば、最悪の場合、飛行機も使わないといけないかも。

ぼんやりと飛行機のチケットを探し始めたところに、中年女性がバス会社のシャッターを開けに来た。早速おばさんに聞いてみると、運良く2席残っており無事にコロンビアに向けて移動できることが決まった。行き当たりばったりだが、どうにかどうにかコロンビアに向けて進めることになってほっとする。

しかし、このバスが酷かった。超ローカルバスのようで、人をどんどん詰め込み通路まで荷物が溢れかえり、リクライニングもいまいちな狭いシートだった。

おまけにガソリン代の安さからなのか、かなりクーラーがかかっていて極寒冷凍庫バスだった。

両替や洗濯に続き、また油断していた。旅ブログでいろんな人が南米のバスは極寒だと書いていたにもかかわらず、暖かい服の用意をしていなかった。旅ももうすぐ2年になるというのに全く学べていない自分に腹が立つ。寒さで鳥肌が立ち全身に力が入って眠るどころではない。見かねたHさんが自分のストールを半分分けてくれたのだが、どこでもすぐ眠れるのが自慢の彼女は速攻で爆睡し、無意識にストールを独占してしまった。

結局寒さに凍えながらのジャーニーになってしまった。暗い車内を見渡すと、地元の人は毛布を持ち込んでいるものもいる。ここまでして冷房を最強にするのは何故なのか。死体が腐らないようにでもしているかのように寒い。

2016年3月22日  世界一周678日目

寒いながらもウトウトしている間に夜が明けた。GPSを見るとプエルトオルダスがだいぶ近くなっていた。ところがプエルトオルダスの市街を通り抜けさらにバスは進んで行き、最初に数日間過ごしたシウダードボリバルまで行ってしまった。

長距離バスの止まるところなら次のバスは探せるはず。そう思っていたので特に動揺することなく下車して次のバスを探す。ところが、国境近くのサンクリストバル行きのバスはなくなっているようで見つからない。おまけにバス会社の人はククタの国境が閉まっていると言うではないか。そのせいでサンクリストバルまでのバスもないと言うことなのか。

仕方がないのでバレンシア行きのバスに飛び乗り、少しでも国境までの距離を稼ぐことにした。

サンタエレナからシウダードボリバルまで約700km。ここからバレンシアまで750km。ここまでのバス代は2人合わせて1000円ほど。日中にバレンシアまで移動し、そこからなんとかして国境近くまでの夜行バスをつかまえたい。

ククタの国境は情勢によって簡単に開いたり閉じたりしている。憶測だがどこの国のパスポートを持っているかにもよるかもしれない。ベネズエラに入ってくる時は問題なく越えれたし、今更国境を越えれないと言う事態は想像したくない。昨日からうっかりしっぱなしのミゾヨコだが、行き当たりばったりの珍道中を続けることにした。

バスは首都のカラカスを通ってバレンシアに行くようだ。とりあえずバレンシアまで行ってみて、ダメなら泣きながら恐怖のカラカスに帰って飛行機でコロンビアを目指そう。国境まで行ってコロンビアに入れなかったらその時はその時だ。

バスはカラカスのバスターミナルに止まり、バレンシアに向けて再出発する。カラカスは想像していた北斗の拳のような廃れた街ではなかったが、郊外になると山べりにトタン屋根のボロ屋がびっしりと立ち並ぶ。ここの人たちはどんな生活をしているのだろう。どんな物を食べているんだろう。通りを歩く人たちを見ては妄想していたが、意外にもみな清潔感があり廃れた印象は受けなかった。

陽が完全に落ちてからバレンシアに到着した。そしてあっさり次のバスを捕まえることができた。ここからサンクリストバルは640kmの距離。この一晩を乗り越えればボーダーまではあと少し。

2016年3月23日  世界一周679日目

途中で検問を通過し、無事にサンクリストバルに到着する。ベネズエラ側の国境の町サンアントニオまでは乗合タクシーでひとり1000ボリバル。日本円で170円ほど。

細い山道をクネクネと進む。昨日に比べれば眠れたものの、2日間ぶっ通しの移動はきつい。疲労が溜まると人はネガティブになるようで被害妄想が強くなる。

客は自分たち以外は地元の人のよう。あらぬ妄想が膨らむ。本当はこの乗客みんな山賊だったどうしよう。身包み剥がされてこんな山道に放り出されたらと思うと彼らの行動が気になって仕方がない。そんな妄想をしていることなど全く想像していない乗客達は、私たち同様に疲れた様子で景色を見いているだけだった。

ありがたいことに、タクシーはイミグレーションの前まで連れて行ってくれた。ここまで来て国境越えれなかったら本気で悲惨だと思っていたが、試しにイミグレで聞いてみると問題なく出国できることがわかった。安心したので、今度は余ったボリバル消費することにした。程よくサブウェイがあったのでサンドイッチを食べ、無事にコロンビアに入国した。

ククタのバスターミナルまでローカルバスで移動した。ボコタまでのバスは日本円でひとり5000円ほど。いきなり物価が高騰して動揺する一行。昨日までひとり500円で夜行バスの旅をしていたのだから、その差は10倍だ。もう少し安い会社はないのか聞いて回ると3500円のバスが見つかった。

一瞬喜んだのだが、どうもなんだか辛気臭い。よくよく聞くとこのバスは昼過ぎに出発して、ボコタに着くのは明日の朝らしい。長過ぎだろ!

直線距離は600kmなのに、どうやったら20時間もかかるんだ。意味がわからず色々調べると、どうやらものすごく大回りするルートらしいことがわかった。

高くても短時間でボコタに着くバスにするか、安くても長時間かかるバスにするかで悩んだ。しかしここでバスが出発する夜まで待つにしても、暑くて汗かきっぱなしで特にすることもない。重い荷物を背負ってまで観光したいところもない。それならいっそのことクーラーの効いた乗り物の中で過ごした方が楽なのではないか。タイムイズマネーだけど、タイムの方が若干余っているミゾヨコ一行はマネーを優先することにした。

バスは出発してしばらくすると山道になった。結果的にこのバスを選択したことが正解だったとすぐに気がついた。ボコタから来た時は夜だった為、暗闇の中バスが山賊に襲われないかと不安でたまらなかった。今度は昼なので景色を楽しむことができる。景色がいいと気分も上がる。(この辺りがコカの葉の生産地で、それを生業にした怖い人たちも沢山いることには変わりないのだけれど。)

さすがローカルな路線だけあって、バスはアンデス山脈にひっそりと存在する集落を縫うように駆け抜ける。時折未舗装の道となり、砂埃を上げながらとろとろ進む。

山にはポツポツと先住民の家があり、ベージュや黒いマントを羽織った人たちが生活していた。顔つきも何処か親しみがあり、文明とはかけ離れた生活をしている彼らの家でホームステイしてみたくなった。

日が落ちてくる頃、バスは標高をさげて小さな村に止まった。こじんまりとしていて何処かの温泉街のような雰囲気がある。夕食をとるための休憩なのだが、2軒しかレストランは開いておらず、どちらも進んで入る気にはなれなかった。悩んだ挙句、この村唯一のファーストフード店のようなところに入った。そこでで20年前のコンビニで売っていたようなホットドッグを注文したのだが、味は30年前の物だった。ここは、西洋文化がほとんど入ってきてない地域だけに長期滞在すると食生活に苦労しそうだ。

バスは相変わらずくねくね道を進む。もしかしたらドライバーの眠気覚ましなのか、夜はまたクーラーの温度が極端に下がった。景色も見えなくなったので早めに目を閉じた。

2016年3月24日  世界一周680日目

今回は着込んでいたのだが、それでも寒さで夜中の1時に目が覚めた。GPSで現在地を確認すると、まだ半分程しか進んでいない。本当に朝までにボコタにつくことができるのだろうかと不安だったが、大きな道に出た途端にバスはどんどん進み、空が白み始めた頃にボコタに到着した。

距離にして2500km以上、3泊4日の大陸移動が終わった。

チェックインしてシャワーを浴びると、お昼寝とは言い難いほど長い時間爆睡した。三夜もバスで過ごしたのだから相当疲れていたのだ。

こうしてミゾヨコ一行は、無事にベネズエラ珍道中を終えることができた。

にほんブログ村 にほんブログ村へ