この記事は2014年に書かれたものですが修正して2019年に更新しています。
2014年の為替は1ルピー=1円です。
今日はエベレスト街道のパスの中でも難所と言われているチョラパス(5408m)を越える日だ。なぜ難所かというと、Drangnagまでの間に全く山小屋やお茶屋がなく、予定時間も5時間から7時間と長時間であること。これは休憩時間を含んでいないので、ミゾヨコ一行のような歩き方では間違いなく10時間以上のコースだ。
そして、メインのルートとは違い道も悪い。
実はこのパスをガイドなしで行くかどうかも前日まで散々迷っていた。
万が一巨大なクレパスに落ちたりしたら間違いなく助からない。癖になっている足首をまた捻挫して足止めを食ったら、天候が崩れたら、標高5000mの極寒でどうやって切り抜けるのか。
しかし、去年行った日本人カップルの話では、峠はあまり人がいないけどなんとかなったと。Dzonglaの宿で向こう側からきたトレッカーに話を聞いてみても同様で、この時期天候が崩れることはないということだった。同じ山小屋からも明日チョラパスに向かうグループがいた。少し安心材料も増えたところで、一行は彼らの経験を参考に自分達だけで行くことにしたのだ。
Day19【Dzongla(4830m)⇨Chola pass(5429m) ⇨Dragnag(4700m)】
2014年11月19日 世界一周440日目
パスまでの最初の道のりは岩だらけのなだらかな傾斜がしばらく続くわかりやすい道。
それを見越して、出来るだけ早くに歩く始める予定で5時前に起床し5時には食堂で朝食を待つ。
前日あれほど口を酸っぱくして5時に朝食を用意してほしいと言っていたのに、一行が食堂に入ってきてから彼らが起きてくる。割と想定内。
参考までに2014年の山小屋のメニュー表。ニンニク系の料理を食べるときは生煮え注意⇨アンナプルナで高山病になった話参照
結局5時半に朝食をとって6時に出発となった。
外は風がなく全く無音。神々しい山脈の中で、一行の歩く音と息遣いだけがする。なだらかとは言え、前回のカラパタールとは違って全ての荷物を背負ってのチョラパスアタック。
汗をかいて身体を冷やさないように、こまめに服で体温調整をする。しばらくして着込んでいたダウンジャケットは不要となり、バックパックにくくりつける。
すぐに空が明るくなり始め、ヘッドライトは数十分ほどで必要なくなった。
段々と、傾斜がついた道になってきた。
休み休み、一行は進む。
朝一番に出発したのに、すでに後から出たグループに先を越される。
凍った道を荷物を背負っての5000mは流石にきつかった。アイスバーン対策でアイゼンを買っておいて本当に良かった。
頂上間近で休憩。5300m地点だった様子
段々と道が険しくなり、最後の数百メートルはゴロゴロした段差の大きい岩をよじ登ったりしながら頂上へ。バックパックの重みでバランスを崩しそうになって怖い。
到着。出発から3時間弱かかってたどり着いた。
峠は細くあまりゆっくりできるスペースもない。
反対側から登ってくるトレッカー達。
向こう側から来た登山者がここにこのパスにたどり着いているということは、朝早くに出発した上にペースが早いんだろうな。
取りあえず荷物をおいて少し休憩。今回のお供は日本から持参したジャーキー。
風が少なく、晴れていたため休憩もしやすかった。
段々畑のようになっている万年雪を眺めるシェルパ。
お尻が出てるのはご愛嬌。
パスを超えて更に進むと、これまた急勾配のゴロゴロ道。影になっているところはまだ氷が張っている。うっかり滑落したら、岩の角であらゆる体の部位を骨折しそう。
そしてこの気が緩んだ下り道がミゾヨコの捻挫タイム。こんなところでうっかりしたら死に直結しそうなので慎重に足を運ぶ。
少しなだらかになり、また雪道。
長く険しい降りが一旦落ち着くと、また緩やかな登り。
さっきのゴロゴロ道に比べたらまだまし。
更に緩やかな下りが続く。
この下りがかなり長かった・・・・。地味にわかりにくいところもありちょっとドキドキしたけど、なんとかトレッカーの足跡を見つけてホッとする。
私がこのコースを反対側から来たら、あのチョラパスを超える前に力尽きていたような気がする。
無事に山小屋に着いたのは日が暮れる手前。チョラパスを見事クリアできた。
Day20【Drangnag(4700m)⇨Gokyo(5357m)】
2014年11月20日 世界一周441日目
山小屋の朝は相当冷え込んだ。
どのくらい寒いかというと、部屋の中で干していたソックスがカチカチに凍って凶器と化すくらい。布団から出した手から湯気が出るくらい。
昨日の疲労と重なって、なかなか布団から出ることができなかった。
そして今日は、ゆっくりと次の目的地であるゴーキョへ。
ゴーキョは去年知り合った韓国人のサニーちゃんのオススメの場所でもある。ここからの距離は短く、高低差もさほどないためゆっくり歩き始めた。
道が予想したよりもわかりにくい。砂地が多く登山者の足跡がなかなか見つけられないからだ。
時々道を見失いながらも、なんとかそれらしい方向に進んでいく。
サラサラした滑りやすい細い道が山の崖に這うようにして続く。
もっとましな道がありそうだったけど、なんとか崖に落ちずに進むことができた。
そして雪解け水で作られた湖と山小屋が見えてきた。
山小屋は湖の辺りだけあって、ややリゾート地のような雰囲気。
標高5000mのだと安っぽいプラスチックのテーブルと椅子で十分リゾート感がある。
部屋からの景色。
壮大なレイクビューなのはいいが、窓が大きすぎて今夜もかなり寒いと思うと憂鬱になる。
夕方になるとヤクがあそびにきていた。呑気な顔しているけど、怒らせると怖そうなので近くに行けない。
Day21【Gokyo(5357m)】
2014年11月21日 世界一周442日目
今日はここから3キロほど北に上がったゴーキョ第4、第5レイクを見に行く。
山小屋の方を振り返ってみると、ポツポツと登山者が歩いてくるのが見えた。
ここはサニーちゃんオススメのコース。雪解け水の溜まったレイクとヒマラヤ山脈の絶景続き。
今日は軽装だったこともあってかなり楽に散策する。
お陰で、普段目にも止まらない岩の苔の色に心奪われて写真を撮りまくっていた。
うまく撮れなかったのが残念だけど、黄色や緑の乾燥した苔が放つ独特な色合いが太陽に照らされてとても綺麗だった。
今日は日帰りで道にも迷いにくい地形だったので気楽に歩けた。
多分エベレスト。
また苔のついた岩
そして第五レイクに到着。
いたるところが絶景でテンションの上がる1日だった。
Day22【Gokyo(5357m)⇨Renjo La(5360m)⇨Lumde(4369m)】
2014年11月22日 世界一周443日目
今日はレンジョパスを超える日。
レンジョパスは前回チョラパスよりも少し低く5360m。難所と言われるチョラパスを制したミゾヨコ一行。今日は7時に出発した。
時々後ろを振り返っては湖を眺めながら前に進んだ。
標高4000mから5000mに滞在して1週間以上が経つのに、歩きが楽にならないのはここが体力の限界だからだろうか。
歩きはいつも同様のろのろで、時間が経つのが早い。
ひたすらK氏について上がっていくと、なんだか様子がおかしい。道もかなり悪いし、何より、人が歩いた形跡が見た当たらない。
こんな時、視力がいいのは助かる。
トレッカーが随分違うルートを歩いていることに気がつく。
豆粒のように遠いトレッカーの中にネパール人ガイドらしき人を見つけたため、こちらのルートが間違っていることが確定した。
登るのに夢中で、いつの間にかルートを外れて変な道を通っていた。
早めに気がついてよかった〜。
少々強引だけど、仕方ない。雪が凍ってカチカチの足場をよじ登ったりしながらなんとか戻ってくることができた。
ふと、人はこうやって遭難するのか。と思ったら、ドキドキした経験だった。
それからは前よりももっと足跡を探しながら歩いた。
トラブルのせいで、普段でもペースの遅い一行はさらに遅れ気味にピークに到着。
相変わらず山の名前などに興味ない一行には「山」としか呼べないが、遠くでガイドが山を指差し聞いたことのある名前で色々説明していた。
正直なところカラパタール、チョラパスを制覇した一行にとって新たなパスの制覇の感動は薄い。これからの行程も後3〜4時間かかるため、休憩は短時間にした。反対側から来たトレッカーと挨拶を交わして早々に先へ進む。
そして、これが正解だった。
ヒマラヤで迷子
気がつくと、また違う道を歩いていたのだ。
今日のハイライトを過ぎたことで完全に油断していた。捻挫しないように足の運びばかりに気を取られて、かなり変な方向に下ってしまっていたのだ。
今度は来た道をまた登り直して修正しなければならず、ピークを過ぎて安心していた一行にとって体力的にも精神的にも大打撃だった。
だだっ広い荒野の山中、どこを目指せば元の道に戻れるのか。歩けど歩けどなかなかトレッカーの足跡が見つけられなかった。
こうして、ミゾヨコ一行はヒマラヤ山脈でしばし彷徨うこととなった。
遠くに豆粒のような人は確認できるが、道しるべとなりそうな距離ではない。相変わらず空気は薄く、息が上がる。晴れてはいるものの、遠くにかかった濃い霧がいつこちらに向いて来ないとも限らない。どうにか元の道に帰れるように祈りながら無言で登る。
本当に自分たちが来た道を戻っているのかも不安になってきた頃、ようやく人が歩いた足跡を見つけることができた。
無事生還
戻ってみると、さっきよりトレッカーの足跡が増えていた。
彷徨ったおかげで無駄な体力を消耗したミゾヨコ。アイスバーンの下りは膝にもきつく、すぐにでもベッドに倒れこみたかった。それでも自分で歩いておりるしか選択肢がない。気を抜くと捻挫⇨滑落⇨死のスパイラルにハマりそうで必死に歩いた。
しばらくして地獄の雪道は終わった。
足場は良くなったが、全くゴールの見えない荒野をヘトヘトのままひたすら歩く。
山肌にそってひたすら歩くと、遠くにいルンデの村が見えてきた。辺りは暗く貼り始めていたが、なんとか明るいうちにたどり着くことができた。
宿の人はいつも登山客がどこからここに来たのか聞かないし、どこに向かうのかも聞いてこない。こんな僻地でも山小屋は1件ではないので、追い抜いて行ったグループが私たちが無事到着したかどうかも知る由もない。
無事に山小屋に着くことができて本当によかった。
Day23【Lumde(4369m)⇨Thame(3800m)】
2014年11月23日 世界一周444日目
今日は標高が下がったことで体力的に楽だった。その上、なだらかな登山道で絶景を楽しみながら歩くことができた。
実はレンジョパスからのこの道はトレッカーからだけでなく、ネパール人ガイドからも強くお薦めされていたルートだったのだ。
土地の整理か、石垣で囲っている平地が見える。段々と、人が住んでいるような雰囲気が出てきた。
初めて見る集落。この辺りで標高が一番高い集落。
何で生計を立てているのだろうか。登山ビジネス以外は思いつかない。
これは、ヤクの糞を乾かしているところ。この辺りは木を切ることが禁止されているので、糞を乾燥させて薪の代わりにします。
久々に見たゴンパ。
初めてネパールのゴンパに書かれている顔を見た時は、とても異様に感じた。今はほっこりする。
段々と文明を感じ始めた。
と言っても、吊り橋が鉄でできているだけで、運ぶのは車ではなく人や動物。
標高が下がったことで食欲も出てきたので、今日はご褒美にヤクステーキにした。
先ほどのヤクの糞はこうやってストーブに突っ込むらしい。変な匂いもしない。
後少しでカトマンズに帰れると思うと寂しいような嬉しいような気がした。
Day24【Thame(3800m)⇨Namche(3440m)】
2014年11月24日 世界一周445日目
本日も楽に下山する。
一体何キロあるのだろうか。ビール3ケース以外はものすごく軽いものだと信じたい。
ナムチェバザールは登山客が少なくなって元気がない。
久々にシャワーを浴びた。残念ながら生暖かいお湯だったので、十分には浴びれなかったけど、それでもかなりリフレッシュできた。
最後に浴びたのは10日前だったから、皮膚の落屑がすごいことになっていた。控えめに言っても皮膚が半分生まれ変わった感じ。
ここにきてやっとエベレストビールを飲む。
Day25【Namche(3440m)⇨Lukla(2860m)】
2014年11月25日 世界一周446日目
登る時はモンジョで一泊したけど、今回は下りなので直接ルクラまで歩く。標高がさらに下がって歩くのがまた楽になった。
しかしこの道は交通量が多いだけに砂埃が多く好きになれない。
以前泊まっていたゲストハウスに泊まり、思いっきりホットシャワーを浴びる。
日本人がやっていると言うスープモモのお店を教えてもらったので行ってみたら、めちゃくちゃ美味しくて涙が出そうになった。
過酷な環境からヌルいところに移動すると感動が倍増する。
Day26【Lukla(2860m)⇨KTM(1400m)】
2014年11月26日 世界一周447日目
朝からあまりすっきりしない天気。ルクラの空港は滑走路が山の谷間に向かって伸びていてかなり短い。世界一危険な空港として有名なだけに、今日のフライトが無事に飛ぶかどうか不安なところ。
空港方面に歩き出す。もちろん馬優先道路です。
フライトまでの待ち時間、昨日行ったスープモモの店にもう一度行きお腹を満たす。
昨日も食べたけど、このスープモモがかなり美味しかった。
フライト待ちのトレッカーでごった返す空港で待つこと数時間。
霧も晴れないし、今日はキャンセルになるかと諦めかけた頃、やっと着陸の許可が出た。空港職員がいそいそと荷物を飛行機に押し込め、順次飛行機が飛び立ち始めた。
しかも明日から、ネパールで南アジア首脳会議とやらが開催されるようで、今日の便を逃すとしばらくカトマンズまでのフライトがなかったそうだ。本当にラッキー。
荷物を預け、小さな飛行機に乗り込む。通路を挟んで両側にひとつしかシートしかないシートに座り、しっかりとシートベルトを締める。目の前に滑走路の終わりが見えるって怖い。
離陸の許可が出て滑走路に進んだ飛行機は、谷底めがけて突っ込むようにすぐにスピードを速めた。離陸はスムーズだったが、その後霧の中をしばらく揺れながら進んだ。
ヒマラヤの高い山脈群を遠ざかった頃、霧が晴れて真下の山々のぐねぐねした道と段々畑が見えた。こんなところを登ったり下ったりしながら5000m級の頂までたどり着いたのかと思うと、感慨深い。そして、長いと思っていた26日間のエベレスト街道トレッキングもあっという間に終わってしまったような気分になった。
カトマンズに着くと、今度はとてつもない倦怠感で二人ともぐったり倒れ込んだ。高山病ならぬ低山病か?山に住むネパール人も初めて下山した時に体調を崩したと言っていたので、酸素や気圧の変化が大きいのかもしれない。
しばらく横になった後、寝袋レンタル延滞料金が増えるのが嫌で重い身体を引きずって返却しに出かけた。
久々に歩くタメル地区は、例の会議のおかげでアスファルトに舗装されていておどろいた。
こうしてミゾヨコ一行のネパールトレッキングは幕を閉じたのでした。