この記事は2014年に書かれたものですが修正して2019年に更新しています。
2014年の為替は1インドルピー=1.6円です。
再び移動
2014年4月1日 世界一周208日目
ジャイサルメールにしばらく沈没した後、ミゾヨコの目指したのはヒンズー教の聖地のひとつであるプシュカル。
500kmの道を8時間以上かけていく。550ルピー
今回乗ったのは寝台バス。
バスのなかに座席タイプと寝台タイプとあり、私は運転席側の二階にある一人用の寝台ベッドを取ることができた。
ベッドと言っても、幅も長さもヨガマット同様で硬さもマットを3枚敷いたくらいのもの。男の人だと、30リッターのバッグを置くと結構窮屈。
外界との仕切りもだけど、通路側もガラス性の仕切りで鍵がかかるように見せかけて、壊れている。
バスが動き出すと振動で少しずつ窓が開くけど、ここはインド。対して気にすることもなくその中で動画を見たり、音楽を聴いたり、飲食しながらバスは進んでいた。
うつらうつらした頃に時々休憩があり、女性は一斉に同じ方向の茂みに歩いていき用を足すシステム。砂漠地帯でも、意外と植物が茂っているので隠れるところがあって助かった。
たまに、こんなトイレもあるがドアはないし水も出ない。
そして夜が更けるに連れ、砂漠地帯は気温が下がり始めた。
振動のたびに少しずつ隙間が広がる窓から流れ込む冷たい風のせいで、定期的に起こされる。
隙間が開かないようにものを詰めてみたりもするけど、無駄。
諦めて服を着込み、定期的に窓を閉めて仮眠を取っていた。
乗り換えのアジメールに着いたのは朝の4時。
このバスはここが終点ではないので急いで身支度をして降りる。
バスターミナル
辺りは真っ暗で少し焦るが、バスターミナルには同様に朝を待つ人が何人かいるし、チャイ屋も営業しているので安心だった。
チャイを飲みながらぼーっとしていると、バスが一緒だった白人の男の子がリキシャでやってきた。この辺りで宿を探したら1泊500ルピーくらいの高いとこしか見つからず帰ってきた、と。
私は朝になるのを待ってローカルバスでプシュカルに行くというと一緒についていくることになった。
いらぬ世話やき
若くて、すごくフレンドリーなドイツ人。ヒッピー予備軍。服がボロボロに破けているけど、髪型や全体的な雰囲気はまだすれていない。
バス停の隅っこで、周りと同じように座り込み一緒に朝が来るのを待っていました。
色々これまでの事、話してくれるのはいいんだけど。
いいんだけどね。
ミゾヨコのおばはんはどーしても、どーしても、その破れたところから見え隠れ、いや正確に言うと見えてはないんだけど、多分ずっと見てるといずれ見えしまうであろう大事なところが。
いや、パンツ履いてるんだけど、隙間からさ。
見ちゃダメって思えば思うほど、ね。
耐えきれなくなって、おばはん、言いました。
ねーねー、ズボン脱いでくんない?
あ、正確には
そのズボン『縫ってあげるから』
っていうのが前につきました。
ま、ね。
そんなの、そうそう見るチャンスないんですけどね。
見るだけじゃ、ね。
見ないでいいです、私。
と、いう事で彼にズボンを履き変えてきてもらい、夜中のバスターミナルで裁縫を施しました。
インドで買った安い綿のズボンだから、すぐ破れるんですよね。
もうこの辺は、おせっかいおばはんの自己満です。
プシュカルへ始発のバスで移動
しばらくして、始発のバスが来たので二人で乗り込み無事プシュカルに到着。
ミゾヨコ一行は歩き方に書いてあるモニカゲストハウスというところを目指す予定で、歩き出しました。
すると年配のインド人が、そのモニカゲストハウスの名刺をすっと私の前に出してきて、
「僕はオーナーだけど、今は閉めている。こっちに200ルピーの宿があるからこっちに行きなさい」
なんで私たちの行き先知ってるの!?って薄気味悪くなったけど、外見からして低予算だということがバレていたんだろう。
連れてこられたのは
「7番目の海」という名の宿。
Seventh オーシャンゲストハウス
なんだか無愛想なオーナーと、やたらと馴れ馴れしいその弟。
なーんか、あんまりピンと来ないけど、昨晩からの移動で疲れていたのでそこに決めて昼寝した。
昼寝から目覚めて、散歩にいくために身支度していると何か荷物が寂しい・・・
!!!!!!
どこを探しても、帽子とストールがない。
がーん。
多分、昨日のバスだ。
寒かったからありったけの服を身につけていたけど、到着間際の真っ暗のなかで荷造りしたもんだから、通路側に落ちてしまったまま気づかなかったのだろう・・・・。
悲し!!!
気を取り直して部屋を出ると、オーナーの弟が執拗に話しかけてきた。
何日滞在できる?この後はどこに行くの?結婚してるの?彼氏は?仕事は?この宿をペイントしてもっと美しくするんだ、見てここのデザイン・・・・
帽子をなくした後で落ち込んでるし、めんどくさい話をする男の話サクッとを切り上げて、早々に宿を出た。
観光開始
プシュカルはインド、ラジャスターン州、アジュメール県にある街である。アジュメールの北西14キロ、標高平均510メートルに位置し、敬虔なヒンドゥー教徒にとっての5大巡礼地のひとつとなっている。プシュカルはティルサ・ラージ(Tirth Raj)、「巡礼地の王様」と呼ばれ、近年外国人旅行者の目的地としても人気が高まっている[。
ウィキペディア
また、プシュカルはインドに存在する最も古い街のひとつでもある。プシュカル湖の湖畔に拡がるこの街がいつできたのかはわかっていないが、神話ではブラフマーがこの街の誕生に関わっていると語られる。
プシュカルの観光は主に池の周りに点在するガートと呼ばれる沐浴場とヒンズー寺院。インドも2か月近くなってくると、正直お寺はもうお腹いっぱい。
なのでとりあえず、街をぶらぶらすることにしました。
この日は何やらパレードがあり、地元の人が集まってざわざわしていました。
結婚式のパレードかな?
ここは小さな町だけど、長期滞在のバックパッカーが沢山集まるところ。
なので、外国人向けの食事も充実しています。
こちらはチャパティーみたいなのに野菜を包んで
こんな感じで食べます。
そして、夕方も何やらパレードの用意
道路にカラフルな絵を書いて、その道をまたパレード
実はこの時期はラジャスタンの各地でTeej(ティージ)というお祭りがあったそうです。なんのお祭りかと言うと
独身の女性が
いい旦那さんに巡り合えることを祈る祭りらしい・・・・。
そりゃ、独身のミゾヨコもせっせとお祈りしないと!
湖のほとりで、ひとりぼーっとしているとインド人が近寄ってくる
「アニョハセヨ」
話しかけられたくも無いのに、さらに他の国の言葉で声かけられると、心の狭いミゾヨコは完全無視。
でもそういう時に限って、相手も負けてないんですね。
何してる?ひとり?どこに泊まってるの?結婚は?
以下省略・・・・・
旦那は欲しいけど、キミじゃない。
プシュカルは水晶などのパワーストーンの産地であったり、洋服を大量生産で作る会社もあるらしく、ヒッピーが長期滞在して仕入れをする町でもあるそうです。
それだからか、他にも美味しいウェスタン料理の店が数件あり、沈没しやすい街でした。
ミゾヨコはと言うと、ジャイサルメールで時間取りすぎたし、町のうざい人もだけど、何より宿の男がやたらと話しかけてきてゆっくりできないし、街自体もそんなに言うほど好きになれなかったりで、すぐ移動することに決めました。
カーリー再び
2014年4月3日 世界一周210日目
宿のオーナーと朝から口喧嘩
チェックアウトを知った弟から「たった二日でプシュカルの何がわかる!?まだプシュカルの見どころいっぱいあるよ!!」
・・・・そりゃわかるけど、私には私の予定があるし。
て言うか、そもそも、居心地が悪い半分以上の理由は、あなたですから!!!!(っと、言いたかった)
すると、さらなる嫌がらせ・・・・。
この宿に来た時、2時間チェックインが早かっただけなのに、しっかり請求されていた。
ジャイサルメールで長いこと居座っていたせいで、ミゾヨコの気も緩んでいた。
チェックインの時間を確認し忘れたのが原因ではあるけど、普通それでお金取るならなら一言声かけるやろ。
まじむかつくーーーー!
インド人は自分中心に地球が回ってるって勘違いしてる人が多いので、(ま、私もですけど)言わなかったオーナーが悪いのではなく、そういう傾向を熟知してないミゾヨコのミスとなる。(ということにして、諦めるしかない)
その後もオーナーがバスの時間を間違ってて、5分で慌ててパッキングさせられるし。
バスに乗ったはいいが、最初に言ってた時間に出発だったし(つまり早めに宿から追い出された挙句、バスでものすごく待たされた)
このオーナーのあまりに傲慢な態度に、プシュカルではなんだかいい思い出ができなかったのです。
今思い返せば、この町のバスを降りた時から、私は客引きにはめられてあの宿に泊まっていたんだと思う今日この頃です。
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