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はじめに
現在オリンピックや万博開催に向けて、日本でもバリアフリー化が進んできています。障害者が旅行に行くチャンスも増えてきている。しかし障害のない人にとって、実際どのようにバリアフリー化が進んでいるのかを知る機会は少ない。障害のある人と一緒に旅行するのに、何をどうしていいのかわからない人。障害を持った人っとかかわった事がないけど、実際にはどんな感じなのか気になる人の為に、車椅子の旅に同行した経験をまとめました。全部で3部構成になる予定です。
「障害」と一言に言っても、部位やその程度によって様々です。今回の経験が全ての人に当てはまるわけではありません。また、私は看護師の資格は持っていますが、付き添い看護の経験があるわけではなりません。あくまで素人目線で書かれた珍道中と思って読んでもらえると嬉しいです。
旅したのはこんな人
名前:A氏
性別:男性
年齢:約70歳
体格:身長180センチ以上、体重100キロ以上と大柄
障害:松葉杖で歩行はなんとかできるが、1キロ歩くのに50分かかると言う。日常生活のほとんどは車いすで行う。生活動作は全て自立。慢性的に痛みがあり、痛み止めや精神安定剤などを服用。
言語:英語(日本語不可)
旅行歴:20代の頃はひとりで海外を放浪した経験あり。車椅子になってからも家族の住む遠方へひとりで行くことはあり。飛行機の手配等は旅行会社に出向いて自分で行える。
A氏との出会いと日本に来ることになった経緯
ミゾヨコが世界一周中、彼の仕事を住み込みで手伝ったことがきっかけで知り合いとなる。
もともとメディテーションや仏教に興味のあったA氏。日本人と知り合い、その文化にも興味を持ちはじめる。さらにミゾヨコがインドに詳しいことを知り、日本に来るついでに、長年の夢であった遺跡を見るためにインドに一緒に行って欲しいと言い出した。
彼の障害や日常生活パターンもよく理解していたミゾヨコ。介助をしながら地元を案内するのは問題ない。むしろ、はるばる日本まで来ることができたなら、喜んで彼をもてなす用意はあった。
ただ、仕事を休んで日本中を観光するほどの余裕はない。ましてや、インドとなると長期で仕事を休まなければならない。そして、健常者でさえ難易度が高いインドの観光を、車いすを押しながらなど全く想像すらできなかった。
でも、これも一期一会。ひょんなことから彼の自宅にお世話になり、仕事をさせてもらった恩もある。それに、彼の長年の夢だったインドに詳しい看護師のミゾヨコが彼の目の前にいるのだ。障害を抱える彼にとっては、どれだけ心強い同行者であることか。年齢的にもこれが最後の渡印チャンスになるかもしれない。そう考えると、トムソーヤ爺さんの最後の(ちょっと無謀な)冒険を手伝いたいと思い始めた。
旅費と日当をA氏に負担してもらう条件でインドに同行することになった。本当は日本も誰かが同行した方が楽に旅ができると思ったが、日本国内は有償での同行希望はなかった。
旅行を決める前に
彼との旅行を引き受けるにあたり金銭的な問題は無くなったが、他にも心配なことがあった。
一番気になっていたのが、彼の健康状態が旅行に耐えうるのかどうか。
慢性的な痛みに対して麻薬を常用しているうえ、医療大麻の処方箋もあった。CBDを除く大麻系の薬は日本での使用は認められていない。その他にも痛み止めや抗不安薬など、彼の服用している薬が日本でも認可されているものかどうか確認が必要であることを伝えた。
二番目は、旅に持って行く荷物の量や物の選定だ。
母国では家族が近くに住んでいるものの、完全なる一人暮らし。大型スーパーなどは車椅子の設備も整っているため、生活は自立していた。年齢相応の持病はあるが、車椅子以外はそれなりに健康と言える。今回の旅行に関してひとりで来るのは大変なのではないかと聞いてみたが、母国では何度も独りで旅行しているので大丈夫との事だった。とは言え、それは障害者に対する法的整備が整った先進国の話だ。
日本とインドを旅をするにあたり、彼の障害は高いハードルであった。70歳と高齢なことに加えて、車椅子を簡単に借りれる設備は限られている。車をチャーターして日本中を移動するわけにもいかない。
初めて行く観光地で、車いすを探して借りる手間と、手配できなかった場合に松葉杖で長距離移動を強いられる事を考えると、自分が使っている車椅子を持参することが得策だと思った。彼は最初こそ難色を示したが、渋々ではあるが納得してくれた。
しかし、問題はまだある。彼ひとりで移動しなければならない日程があるのだ。車椅子に乗って松葉杖を持った状態で彼ひとりで運べる荷物は、膝の上に乗るバックパックひとつだ。それ以上の荷物だと、ひとりで電車に乗るときはどうするの?寒い北海道に行くのに荷物はバックパックひとつで収まるのか?
ツッコミどころは多々あるのだが、第三者である私がどこまで口を挟んでいいものか。母国では自分の行きたいところに行き、やりたい事を自分でできる相手にネチネチ聞くのもはばかれる。そのため、荷物を抱えての単独移動という問題はミゾヨコの心の中に残ったままであった。
旅行の計画
旅行は日本2週間とインド10日間の合計4週間弱の予定
彼の日本観光の目的は主に
- 野生の丹頂ツル
- 仏教にまつわる歴史的建造物
- 富士山
ここに元広島県民のミゾヨコの提案により、広島観光を加えた。
成田から日本に入国し、釧路・広島・関西エリアと周り、最後に成田に戻ってインドへ移動する予定。
丹頂ツルを見に行くためにはタクシーのチャーターが必要で、加えて英語のガイドを雇ったとしても、障害者単身での利用は断られてしまう。何かあった時の責任問題を恐れて、日本のツアー会社では必ず同伴者が必要。自分でなんでも出来るのに、車椅子を使うと言うだけでダメなのだ。
正直なところ、インドで沢山お金を使わせてしまう代わりに北海道は同行してもいいと思っていた。もちろん旅費は彼の財布から出るんだけれども。それでもレンタカーで好きなところを周り、誰に気を使うでもなく野生の丹頂ツルを好きなだけ見れる方が楽しいだろうと思ったからだ。
下調べと予約
釧路と広島は現地集合・解散でミゾヨコも合流することになった。A氏が成田に着いた翌日に、羽田から釧路へ向かうチケットを予約した。並行して彼が泊まる羽田近くのホテルも予約する。
釧路は飛行機とレンタカーに加えて宿泊施設の予約をこちらで行うことにした。
日本らしい温泉宿を体験して欲しかったが、ベッドでないと寝起きが難しいので畳の部屋は不可。また、裸で見知らぬ人と一緒に温泉に入る体験にも興味がないので温泉で選ぶ必要もなかった。
丹頂ツルが見たいとう呆然とした希望しかなったので、ツルの見られる場所や時間帯、車椅子での観光ができるかどうかなどを現地に問い合わせをした。
広島に関してはミゾヨコの10年暮らしていた都市であり、車もあるため案内しやすい。原爆資料館は、車いすでの受け入れも可能であるので心配することはなかった。宮島は現在鳥居の改修作業を行っていて見ることはできないが、フェリー乗り場での車椅子の貸し出しがあることも確認した。
その他の日程は彼の息子も来日して合流する。彼からの要望もなかったので特にこちらで計画を立てることはなかった。
車椅子で日本観光【北海道編】
1日目
東京から北海道に一緒に行く友達から
「A氏から羽田の近くにいいホテルはないかってメールが来たんだけど、予約したよね?伝えてないの?!」
珍道中は、A氏が乗り込んだ日本行きの飛行機がおおよそ飛び立ったであろうあたりから始まった。
ホテルや明日からの飛行機は、予約番号などの詳細を入れてメールしてある。なんで今更そんなことを聞くんだろうか。
確認すると、確かに私が送ったメールにそのまま返信してあるが、「息子と旅行について話をした。彼と北海道で会う。」というシンプルな内容だった。私のメールはA氏の息子にも送っていたので、二人でそのことについて話し合ったのだろうと予想していたのに、肝心のホテルの名前すら控えることもせず・・・。と言うか、予約したこともちゃんと読んでいないのか!?
とりあえず日本に着いたら彼女のところに連絡すると言っていたので連絡を待つことにした。
それが、日本到着予定から1時間経っても、2時間経っても連絡がない。しびれを切らして予約したホテルに問い合わせてみても、チェックインした様子はない。
そもそも、あの年齢で無料Wi-fiの電波を拾って接続するなんてきっと無理。最近はセキュリティーチェックが厳しいから、メールも開けなくなって連絡も取れなくなっているのかも・・・・。
ホテルの詳細を知らないということは、もちろん明日の釧路までの飛行機がどの会社から何時出発ということも知らないということか?と言うことは、北海道に行くこと自体もキャンセルになるのか?
妄想が爆走して最悪の事態で頭がいっぱい。
明日、羽田まで行ってA氏に会えなかったら、釧路まで行かずに帰ってこよう。そう決心した頃、A氏から連絡があった。
すでに成田から羽田に移動したらしく、これからホテルに向かうとのこと。
何がどうなったかはよくわからないいけど、とにかく無事でよかった。
2日目
地元から釧路まで、羽田経由で向かう。友達に会うのも久しぶりだけど、A氏に会うのは2年ぶりかな。釧路行きへの出発ゲートで再開を果たしたA氏は、少し顔がほっそりした印象を受けた。
彼は偏食が強く、普段から決まったものしか口にしない。特にスパイスが効いたものをあまり食べないので、インドではかなり苦労するはず。しかし、0.1トンは余裕で超えた身体なので、医者からも痩せるように言われいる。ちょうど良いダイエットになるだろうと本人と一緒に期待している。
そして残念なことに、その体を受け止めるはずの車椅子を、A氏は持参していなかった。
正直なところ、「ああ、やっぱりな」と思った。
こちらがいくら説明したところで、彼の感覚だと車椅子はどこでも借りられるものなのだ。年齢相応の頭の硬さ。貸し出しがない場合、結局は自分が困るのだけれど、冒険好きのトムソーヤは頑固者なので仕方がない。自分が思ったことは通したいのだ。こうなると、残る選択肢は「やけくそ」の一択。なるようになってまえ。
そして、その代償は速攻で彼に襲いかかっていた。彼のサイズに合う車椅子が羽田空港に無かったのだ。正確には、あるのだけれど「大きいサイズの車椅子」はさらに違う予約が必要なのだ。
日本人と欧米人では体格が違う。特に縦にも横にも大きい人は、自分の車椅子を持ってこないととても窮屈な思いをする。これが今日の学びだった。
そして一行は釧路に到着。荷物を受け取ると、今度はさらにびっくりする事があった。
なんと、彼は一番大きいサイズのスーツケース、機内持ち込み用の小さなスーツケースに加えて、40リットはありそうなバックパックを持参していたのだ。
えっと、これでどうやって移動するの?
今回は東京から友達夫婦と私がいるからいいけれど、これ一人で新幹線に乗って移動ってどうなん?んで、駅からはタクシー?だよね。そりゃそうだ。
長旅で疲れているであろうA氏の笑顔を見ると突っ込む気も失せた。
3日目
一行は朝から釧路市丹頂鶴自然公園に向かった。
ここからがA氏の釧路観光本番となる。事前のリサーチによると、丹頂のシーズンは雪が降る12月からとのこと。一行は少し早めの到着で、まだ雪が降った形跡もほとんどない。せっかくここまできたのに、目的を果たすことなく終わるのだけは避けたい。
この公園は怪我をした丹頂ツルを保護しており、敷地内で丹頂を観察することができる。野生とは言い難いが、とりあえず丹頂ツルを見ることができる。
公園では車椅子があり、貸し出しもスムーズでホッとした。
車椅子を持っていきA氏と公園内に移動しようとすると、彼は松葉杖で歩きたいと言う。それならばと、車椅子を受付に返してA氏の元に帰ろうとするとやっぱり車椅子に座りたいと言う。少しは歩きたいと思ったのだろうが、実際に公園内の大きさを見て諦めたのだろう。
友達が車椅子を押して進んでいる間に、私はカメラを取りに車に帰った。カメラを持ってA氏が向かう場所に帰ると、どう言うわけか、車椅子に乗った場所からさほど進んでいない。
話を聞くと、前に進もうにもブレーキがかかったように前に進まないと言う。
車輪周りを見てみると、体を無理やりねじ込んで車椅子に座れたのはいいが、今度は内側から車輪を押し付ける格好となり、ブレーキをかけてしまっているのだ・・・・。
(こんな事になるから、自分の車椅子持ってくりゃよかったんだよ・・・)
なんて心の中で叫んでも後の祭り。流石に私もそんな事があるなんて想像もしていなかった。お肉が内側からタイヤにブレーキをかけてるんじゃ、手の打ちようがない・・・・。
こうして観光初日から問題が勃発。毎日必要になる車椅子の為にずっと頭を悩ませる日々になるのかと思うと、一気に気が重くなるミゾヨコでした。
とりあえず、丹頂ツルとご対面を果たし、ひと段落したところでこれからのことを考える。
訪れた各施設で仮に車椅子が借りられたとしても、必ずしも彼に合うサイズではないことがわかった。そもそも身長が180センチ以上ある彼にとって、たとえお尻が入る車椅子であったとしても、椅子が低すぎて足が非常に窮屈そうだ。そして車椅子が使えないとなると、かなりの体力と時間を消耗する。
(なんで自分の・・・以下省略)
とりあえず、椅子の上に座布団を重ねるか。それとも小さな踏み台のようなもので椅子の底上げをするかして、全体的に高い位置で座れるようになればお尻で内側からブレーキをかけてしまうことはないだろう。そう考えて、一行はホームセンターに向かった。
幸運なことに、ホームセンターにも車椅子が用意してあった。奇跡的に横幅も少しゆとりのあるやつ。
ホームセンター内を練り歩き、車椅子の上に置ける丈夫な物を探し始めた。低めの踏み台は幅が広すぎ、車椅子にフィットしない。クッションは長時間になるとへたる上に持ち運びが難しい。何か軽くて丈夫なものはないか。
ぐるっと見渡して、たどり着いたのがこれだった。
プラスチック製のツールケースだ。安価な上に頑丈な作り。車椅子の横幅にもフィットし、この位お尻が高い位置にあれば車輪の邪魔をする事もない。少し高すぎて横揺れに対する安全性がないようにも感じるが、A氏いわくちょうど良い高さになって足が非常に楽とのことで大絶賛。呑気なもんだ。
また荷物が増えたけど、まあ本人がいいと言っているならこれでいいか。しばらくこの義足ならぬ義尻を使ってみる。
次なる目的地に向けて移動開始した。
お次は阿寒国際ツルセンターへ。さっきまでいた公園では給餌の時間を逃してしまったので、こちらでは間に合うように早めに行った。
しかし残念ながら、シーズンオフはお昼からの給餌は中止されていた。センター自体は丹頂ツルに関する映像もみれるようになっており、それなりに楽しめる内容だった。
その後は通りすがりのカフェで一服し、一行は本日の宿泊先である川湯温泉へ移動した。
その辺りは温泉街。車椅子で泊まれる宿探しに苦労した地域でもある。正確には、最初の段階では友達の旦那さんが来るかどうかわからなかった為、3人で泊まれる部屋を探すのに苦労しただけだけど。
ベッド2台と6畳の畳の大部屋を予約したが、4人になったので電話で2部屋に変更した。宿の人いわく、最初に予約した部屋のお風呂が一番大きいと言っていたが、実際に切ってみると二人部屋と一緒のサイズのユニットバス。宿についてみてわかったが、とりあえず車椅子でも部屋への移動に困らないと言うだけ。半分畳の部屋なぶんだけ余計と車椅子のアクセスがしにくかったので、ベッドだけのシンプルな部屋に留まってもらうことにした。
4日目
今日はアイヌコタンに行った。
距離的には宿から60キロだけど、なぜか2時弱の道のりとなる。
この道が辛かった。というか、オフシーズンの北海道を車で走るのが相当なストレスだった。だだっ広い大地に伸びる一本道を制限速度50キロで走る屈辱感。
カモーン!雪の降ってない時期くらいは制限速度を80キロくらいにしてくれてもバチは当たらんと思うのに。オービスはいたるところに設置されているというし、スピード違反は個人の責任だし、ゴールド免許は失いたくない。
山の中に入ると、狐と鹿に遭遇した。
アイヌコタンに到着。資料館に入るのに土足禁止なのだが、A氏は諸事情により靴を脱ぐと松葉杖があっても歩けない。ホテルから拝借したシャワーキャップを靴に被せて中に入らせてもらった。
そしてアイヌビレッジはメイン通りがかなりの急勾配で、車椅子で登るのはおろか、下るのも私の力では無理。こういう時はA氏に歩いてもらえばいいのだけど、男性の助っ人がいたので車椅子で移動することができた。
今日はA氏の息子が日本に着いて、夜遅くの便でに札幌に到着する日だ。
彼は成田から札幌に移動し、空港で車をレンタルしてから釧路まで来る予定なのだ。しかし、1週間くらい前からしきりと国際免許証の確認をしていた。同じものを私も日本で取得し何度もアメリカで運転しているのだから心配ないよ、と言うのにも関わらず出発前日にもわざわざ免許証の写メを送ってきて同じこと聞いていた。
そろそろ千歳空港に着いたかなと思う頃、彼からメッセンジャー経由で連絡があった。
「レンタカー屋が閉まっていて車が借りられない」
ん?そんなバカなことある?予約書のコピー送ってくれる?
そこには、ピックアップの時間、千歳空港までどの便で来るか、と言った質問に記入する欄があるのだが彼は適当に「昼の12時」「(飛行機ではなく)徒歩で」と書いているではないか。
北海道の玄関口と言えど、ここは地方の空港だ。こんなオフシーズンに夜遅くまで開いているはずがない。おまけに、ちゃんとした到着時間を申請していないのではレンタカー屋もなすすべがない。来ると言っていた時間にこなかった本人が悪いのだ。
他のレンタカー屋もすでに閉まっている為、とりあえずタクシーで千歳空港から札幌まで移動することになった。
5日目
この日は早朝から鶴見台に移動し、給餌をみることにした。2日前の話では、30羽くらいいたらしい。給餌の時間の30分前くらいから丹頂が集まってくるとのことで、早めに現地に着いた。
その頃丁度札幌のレンタカー屋が開く時間になったので、早速交渉をしてみた。さすがオフシーズンだけあって、千歳空港で借りるはずの車は札幌でも空きがあるらしく、早速そちらでレンタル手続きをすることになった。
急いで彼らにそのお店に向かってもらうことにした。
すると、また連絡があり、お店がまだ開いていないと言う。
急いで千歳店に連絡して確認してもらうも、彼らは先ほど札幌店と話したばかりだと言うし、札幌店にこちらがかけても繋がらない・・・。本当に彼らが店を間違わずに行けたのかも疑問が残るが、釧路にいる私にはなすすべがない。
しばらくして札幌店と電話がつながり、息子を思われるカップルがきたと言うのでやれやれと思っていたのだが・・・・・
また息子から連絡があり、今度は車を借りられないと言う・・・・。
意味わからん。お店にたどり着けたのに、なんで?免許書とパスポートがあったら大丈夫やろ。
英語で彼から事情を聞くよりも、直接お店に電話してみることにした。すると、信じられない事実が発覚した。
なんと、彼が持っていたのは正真正銘の国際免許証
の、
コピーだった。
しかも、ご丁寧に原寸大にコピーしたものを冊子にして。
心配してたのは知っていたけど、コピーだったなんて一言も言ってなかったじゃん!写メもそんなつもりで見てないからすっかり見逃していた。
しかし・・・・・。
それは、いかんやろ・・・・・。
A氏にも現状を話すと、あっちゃーって顔・・・・。
もう私にもなす術がない。と言うか、まだ釧路に来る気ありますかと聞きたい。
あとは、現地で釧路までのアクセスを聞いてもらうのが一番手っ取り早い。取りあえず現地のインフォメーションセンターを探して行ってもらうことにした。
そして朝8時となった。軽トラックが管理棟の横に止まり、給餌のためにおじさんが降りてきた。
集まったのは20羽前後であったが、なんとか野生の丹頂ツルを見ることができ、A氏も大満足の様子であった。これで、なんとか釧路のミッションをコンプリートすることが出来た。
そして一行は釧路に帰ることになった。
息子の方は、釧路から羽田のフライトもキャンセル不可。札幌から釧路までの飛行機は予算的に却下。バスはオフシーズンにて運休中。残る手段の列車は、夜の7時出発の便しかない。日中は札幌市内を観光し、夜に「特急スーパーおおぞら」で釧路に来ることになった。
今後の課題
ホテルにチェックインして、ひと休みしたミゾヨコ。四日間A氏と一緒にいて、今後の旅への課題が見えてきた。
まずは、荷物をどうするか
4週間の間に極寒の北海道からインドまで駆け抜けるのだから当然のことでもあるのだが、とにかく荷物が多い。半袖Tシャツ10枚、長袖6枚、ネルシャツ5枚、パンツは短パンを含めて7本、その他にも歯ブラシがタイプ別で3本に電動歯ブラシとその充電器、特大サイズの歯磨き粉、その他諸々・・・・・・。
「かさ張る衣服は必要になったら買えばいい。」と言いたかったが、体格が大きいのでアジア圏ではそう簡単に彼のサイズは手に入らない。取りあえず、北海道で着なかった冬服は本土でも着ないため不要。大量にあったシャツ類は、こまめに洗濯する事にして服はざっくり半分に減った。日本に置いていく荷物は東京に住む友達夫婦が預かってくれることになった。
そして次は貴重品
普段から財布を持たずにお金をそのままポケットにしまっているA氏。旅行中は出し入れが多く、さらにはいろんなポケットにしまい込むため、携帯を取り出す際にお札が落ちてしまうことがある。お金がなくなったら、同行者としてはあまり気持ちがよくない。
携帯に関しても、注意散漫になりやすい上にインドではスリなども多いためストラップも付けずに持っていたら所有権なんであってもないに等しい。
なんたって世界を股にかけて色んなところに落し物・忘れ物をしてきたミゾヨコ先輩が言うのだから間違いはない。
A氏が使うかどうかはわからない。しかし、無くなった後で後悔をしなくていいようにベストを尽くしたい。と言うことで、余った時間を利用してA氏に携帯ストラップと小さな財布を100円ショップで買った。
残るは移動の問題
インド観光のひとつとして、列車に乗る事にしていた。しかし、調べれば調べるほど、鉄道の駅はバリアフリーとはまだ言い難い事がわかった。予約の段階で障害がある事を伝えて、障害者用の車両を予約する事も出来るようなのだが、そうした設備がある駅も限られているようだ。
時間をかければA氏は歩けるし、医者からも歩くように言われている。だから歩いてもらえばいいんだが、インドの列車の駅は果てしなく大きく、下手すると1キロ位歩くことがある。
車椅子さえあれば。もう少しスムーズな旅ができるのに…。
いっそのこと、中古を買うべきか。日本からインドへ持って行って、最後に必要な人に寄付すれば喜ばれるだろう。最近ではリサイクルショップでも介護用品が出ていることもあるので、とりあえずメルカリやヤフオクを検索してみた。しかし出てくるのはどれも、いわゆる日本人の標準サイズや小柄なサイズばかり。手頃な物が見つからなかった。
報連相
正直なところ、荷物を自分で運べない人が大荷物で、介助に必要な車椅子も持たずに海外に出てくるなんて私なら怖くて絶対できない。周りの人が全員いい人とは限らないし、絶対に手を貸してもらえる保証など、どこにもないと思うからだ。私はこれまでの日本の旅で、A氏がどの様に思っているのか聞いてみた。
するとまたしても、安気な答えが返って来た。「70歳の障害者が困っていたら、誰か手を貸してくれるさ。誰にでも頼める。それに、インドのホテルは全て五つ星だし、必要なら多めにお金を払うよ。」と。
人の親切ありきで旅するの?それで最終的にお金で解決するのなら、私が一緒に行く必要あるんだろうか。私の存在意義が危ぶまれる気もするが、どの道私が予想していた旅など、このままでは程遠い。私は彼のガイド兼ナースとしての責任を自分なりに果たそうとしていたが、しゃしゃり出てどうこう言うことが無意味だと気が付いた。安全に、できるだけ安価に、そして快適に旅を楽しんでもらうために事前に伝えていた事が、全くその通りになっていない。彼は自分がやりたいようにしたいのだ。それからは、ただの同行者に成り下がり、彼がやりたいことを見守り、彼が必要な時だけ助けることにした。
息子到着
昨夜12時をすぎたあたりで息子と彼女が列車から降りてきた。疲れているのだろう。わざわざ迎えに来た私にありがとうの一言もなく、レンタカー屋の対応について愚痴をこぼしだした。
息子「レンタカー屋の女は最悪だ」
どう言うことかと聞き返すと、コピーの国際免許証でごねた息子に、英語対応担当の女性が電話口で訪ねた。
「パスポートはコピーで国境を越えれますか?」
息子「パスポートは原本だった」
「そうですよね。免許証も原本が必要なんです。」
息子「ここにコピーがあるのに、何で問題なんだ?」
「問題があるのは私達ではなく、貴方です。」
ぐうの音も出ない正論に息子は腹を立てているのだ。
私もさすがに返す言葉が見つからず、苦し紛れに「他の国でそのコピーで車が借りれたことがあるのか」と聞いてしまい、結果的にさらに追い討ちをかけてしまった。
(たかだかCDや本を借りるだけでも公的証明書は原本を使うのに、車なんてコピーで借りれるわけねえだろ)と心の中で唱えて、ホテルに帰ってさっさと寝たのでした。
6日目
彼女とは初対面のA氏。今日は親子水入らずでゆっくり食事をとった後、息子たちは釧路観光へ。
その後A氏と友達夫婦は羽田へ、ミゾヨコは千歳経由で地元に帰る予定である。
次回に続く。
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