このお話は「車椅子外国人と丹頂ツルを見に釧路に行ってきました」 、「車椅子高齢者の一人旅って?しかも外国人だとどんな感じ?」、インド車椅子旅【ビザトラブル編】に続く第4回目のインド編です。
これまでのあらすじ
車椅子の老いぼれトムソーヤ(A氏)をインドに連れて行くというミッションを遂行するべく、インドに来たミゾヨコ。ところが肝心なトムソーヤのインドビザが無効になっていた為、インドでの再会は果たせずにいた。その後ビザを再申請し、予定を再調整した。
4日後にビザがおりたという通知を受け、なんとかトムのインド行きは叶うことになった。
インド
1ルピー=1.6円(2019年)
十八日目
昨晩A氏のビザが下りたことで、やっと肩の荷が下りたミゾヨコ。後は、彼が順調にムンバイのホテルへたどり着くことを願うばかり。
そして明日はミゾヨコにとって、インド旅行唯一の楽しみであるマラソン大会の日だ。この旅行を計画し始めた時から、タイミングが合えばどこかで参加したいと思っていた。ゼッケンを取りに行って、明日の大会に備える。
A氏の方は無事にムンバイの空港に到着し、早々にホテルに到着した。私の時にはデリーでもムンバイでも荷物のピックアップにかなり時間がかかった。それなのに車椅子の介助が入ると、入国手続きから荷物のピックアップまでなんでもショートカットできて羨ましい。
しかし、前回にも書いたように、ホテルのチェックインはフロントデスクの申し送りが不十分で、私と全く同じように時間がかかってしまったようだ。あれほど時間をかけて説明と確認をしたにも関わらず、支払いは時間を要し、おまけにシャワー室に椅子を置いておく指示などは全く通っていなかった。
十九日目
早朝からマラソン大会に参加し、帰ってきたのは11時少し前だった。流石に朝食ビュッフェは逃しただろうと思ったが、意外にも滑り込みで食べさせてもらえた。
A氏は12時にムンバイのホテルをチェックアウトして、早めに空港に向かう手はずが整っている。私はシャワーを浴びて、洗濯を始めた。するとバスルームにある電話が鳴り響いてびっくりした。
「今日お迎えにあがる人の名前を教えてください。」
はあ?昨日も伝えたし、そもそも彼の名前で予約しているんだけど?
「もう一度お願いします。」
実のところ、電話で正確な人の名前などを伝えるのが苦手だ。日本語で言うところの、「ミゾヨコの『み』はみかんの『み』」のようにアルファベットごとに伝えるのだが、そんなに流暢に出てこない。語群衆が少ないせいでえらくつまづき、恥ずかしいのだ。
仕方がないのでロビーまで降りていって、名前と便名をもう一度伝える。神妙な顔つきでメモとっていたあの紙切れはどこや?と昨日の男に聞きたい。
気を取り直して、部屋で洗濯の続きをした後は、写真の整理を始めた。
トムがこのホテルに到着する頃には、ロビーにおりて彼が来るのを待っていたい。昨日私が受けたおもてなしを、是非ともカメラにおさめたいからだ。
彼は順調にムンバイの空港にたどり着き、搭乗ゲートの近くでコーヒーを飲んでいるとのことだった。そして、またしばらくして、
「今飛行機が着陸した。」と連絡が来た。
了解。お迎えの人が待っているからタクシーに乗ったら教えてね。
空港からホテルまでは、渋滞があるので40分くらいか。それからしばらく連絡がなかったのだが、荷物のピックアップに時間がかかっているのだろうと思っていた。カメラと動画の用意は万全、いつでも彼のウェルカムシーンが撮れるようにして作業をしていた。
すると、しばらくして部屋のドアがノックされ、開けるとA氏がフロント係と一緒に立っていた。私はびっくりしたのと嬉しいのとで、悲鳴にも似た甲高い声を上げて再会のハグをした。
いつもはかなり密にメールをくれていたから完全に油断していた。あのおもてなしシーンが撮れなかったのは悔やまれるが、何はともあれ無事にたどり着いたことで安心した。
再会を祝してホテルのバーで乾杯することにした。
ここでミゾヨコによるインドの旅のオリエンテーションを行う。北海道でもざっくりは行ったが、もっと詳細な打ち合わせ、というか注意事項を話しておきたかった。
インドは日本と同じくチップの文化は基本的にはないのだが、それでも客が外国人となると期待する人は多い。また、インドでは「太っている=裕福である」とうイメージがある。彼は白人である上に縦にも横にも大きい。インド人からすると超お金持ちに見えるのだ。それゆえどこに行っても高額なチップを請求されたり、ツアー代金を上乗せされたりと、出費がかさむと予測される。「インドの達人ミゾヨコ」がついていながら不要な出費をさせるのは出来るだけ避けたい。それゆえ基本的な物価とチップの話から、買い物中によくあるスリや詐欺の手口まで一通り説明した。
その中で、一番彼から感謝されたのは、インドで買う製品には大体の場合、商品に値段が書いてあるということだった。
基本的にお菓子やペットボトルなど、スーパーマーケット買えるような製品にはMRP( maximum retail price)最大小売価格が表示されている。小売店はこれ以上高く売ってはいけない決まりがあるのだ。これを知っているといろんな意味で時間短縮となる。
他に口すっぱく言ったことといえば、お金の種類だ。
インドはモディが大統領になって以来、新しい紙幣の発行を始めた。しかし今だに古い紙幣もたくさん出回っている。そのおかげで同じ金額でも必ず2種類あり、初めてインドに来るものにはややこしい。
すでに日本でA氏には、何回かお金にまつわる勘違いと管理ミスで嫌な思いをさせられた。ここはきっちり説明をして、本人にわかってもらう方がいい。
一通り説明した後は、レストランに移動して夕食を取る。外ではダンスショーが行われている。
本当であればここに5泊してからムンバイに移るつもりであったが、ビザの件で大幅に狂った。こちらで2泊延長し元の予定通り合計5泊したいところだが、ホテル側の予約が一杯で延泊ができない。他のホテルに移動しなければならないのが厄介だ。
ただ、ありがたい事に、このホテルにはエローラまでの日帰りツアーが含まれていた。とりあえず明日はエローラに行く事にして、野鳥を見るツアーなどは今後話し合う事にした。
二十日目
エローラまでのツアーは、A氏の希望で9時からスタートした。ホテルの専属ドライバーは、英語が堪能でとても聡明な印象を受けた。歴史に関しての知識はそこまで深くはないようで、A氏の質問に時折適当に返していたのも面白かった。
遠くにダウラターバード砦(Daulatabad fort)が見える休憩スポットに車を止めると、どこからともなくインド人が出てきた。
はい来たよ。トムわかっているよね?買いたければ買えばいいけど、ちゃんと交渉するんだよ。
「わかった!」と言いつつ、歩み寄るインド人に少し敬遠した様子で車のドアを開けたトムソーヤ。見たからに100ルピーもしないエローラのパンフレットだったが、インド人の言い値は300ルピー。
すると、拍子抜けしたようにすぐお金を払おうとしているトム。
「いやいや、300ルピーはありえない」後ろから攻防するミゾヨコ。
しかし、300ルピーでも安いと思った彼の反応をインド人に見透かされ、思うように値が下がらない。結局200ルピーで早々に手を打ったところ、また別のインド人が茂みからどんどん湧き出て来た。どこにこんなに隠れていたのかわからないが、お土産や変な石を売りつけようとまとわりついてきた。
それはまるでドラクエに出てくるマドハンドのように、どこからともなくインド人が増え、どんどん車に吸い寄せられてくる。
あ〜あ。これからのことを想像すると、気が重い。
エローラに到着してからは、ドライバーが車椅子と介助してくれる人を探してきてくれた。
「一日2000ルピーと言われたけど、1200ルピーで交渉してあるからね。」と料金交渉までしてくれたらしいのだが、それを真に受けるミゾヨコではない。きっとドライバーに入るコミッションの交渉はされた後なんだろうと思うが、それでも私が自ら車椅子を探しに行く手間が省けたのは助かった。
アリと名乗る男はトムを乗せ、しばらくしてもう一人介助者を追加で呼んだ。A氏が想定より大柄だったのだろう。それに、車椅子用に整地された場所ではないところも多く、力が必要なのだ。
車椅子でアクセスが可能な洞窟は限られていて、介助を頼む場合は基本的に16窟(カイラーサナータ寺院)がメインとなる。入り口と中には車椅子用のスロープがある。
寺院の外をぐるっと一周すると、今度は階段を上がり寺院内に入って行くのが通常の観光ルートである。階段は急で狭いのだが、トムは上に登る気だった。ミゾヨコはトムの運動機能からしてそれは可能だと思っていた。なんせ彼は一人で京都から電車を乗り継ぎ奈良の大仏を見て帰ってきたし、お寺の階段を40段ほど登った男だ。
不安そうなアリに、階段での援助方法を教えた。階段を登るときにお尻の上のベルトを引っ張り上げるのだが、アリはセンスがよかった。トムの踏ん張りに合わせて、すぐに上手にお尻を持ち上げることができるようになった。
ここからは3人のチームプレーの始まりだった。私がA氏の前を登り、上から降りてくるインド人に声をかけて期先を制する。アリが後ろから、私が斜め前から彼のベルトを掴み、トムは杖と左足で踏ん張り1、2、3で体を引き上げる。
休めそうなスペースでA氏を休ませ、渋滞したインド人達を通らせる。無理をして踏み外すことでもあれば、本人は愚かアリも押しつぶされる。あの巨体と石の階段に挟まれれば、無事でいるかは保証できない。しっかり休憩を取り、息が整ったらまた再開。皆が団結し、集中して登って行った。
インド人は物珍しそうにしているが、老いぼれトムソーヤの冒険をみんなで一丸となって見守ってくれた。25段ほどの階段に要した時間は約5分。寺院のエントランスに到着すると、沢山の人から祝福された。
インドあるあるだが、田舎の観光地では外国人はまるで芸能人扱いとなる。代わる代わる一緒に写真を撮ったりして、ちやほやされるトム。どこからきたの?なんの職業?矢継ぎにくる質問。吹き出る汗を吹きながらトムはにこやかに答える。
どこの大陸から来たって説明してもわからない人が多いのに、彼は自分の住んでいる地域にしか育たない木の話を熱心にする。みんなが興味を示してないにも関わらず話を続け、周りが閉口したところでいよいよ寺院の中へ。
ヘッドライトで照らしながら暗闇の中を歩くと、巨大なシヴァリンガや10世紀以上も前に塗られたという天井の絵を見ることができた。トムは段差を注意深くかわし、ひとつひとつ丁寧に見ていく。
階段の下りは、最初から床にお尻をつけてずり下がるという方法。これが唯一で最も安全に階段を降りる方法だ。
一通り見終わると今度は他の窟へ向かう。しかしアリ曰く、車椅子で見られるのはあと数カ所だけとのこと。トムはこれを見るために遥々来たのだから、見れるもの全部見たい。行けるところまで行ってみることにした。
先ほどはヒンドゥー教の窟で7〜10世紀、ここからさらに奥に行くと今度は5〜7世紀に作られた仏教窟となる。
正直なところ、歴史への興味がないミゾヨコにとっては全くピンと来ない遺跡達。しかしトムソーヤにとっては、自分の目で見る価値があるのだろう。
左奥の細長い階段を登り、滝の裏を通って行くとさらに窟がある。ここは車椅子では入れないのだが、トムソーヤは向こう側にも行くと言い出した。さっきの登り下りでアリも彼の身体能力が分かったのだろう、快く引き受けてくれた。
これまた長い時間をかけ、向こう側に渡りご満悦のトムソーヤ。不謹慎だが危険と隣り合わせの旅は、いつだってアドレナリンが出る。
ところで、気になっていたのがこの看板。
個人の了解なしに、写真を撮ったり冷やかしたりしないでという内容。こういう働きかけのせいか、最近は外国人が無作法に写真を撮られたりすることが減ったように思う。
今度はもと来た場所まで戻り、バスに乗ってジャイナ教の窟へ。
少し離れているのでバスで移動。こちらは2階に見所が沢山あるということだったけど、階段はこれまでのよりさらに段差が激しくトムには無理だろう。既にトムは疲れていたし、時間も迫っているので消化試合のようなもんだ。
ざっと一階を見回し重要そうな彫刻をカメラに収めて、私は外に出た。一日中歩き回って疲れたので、座って雑草の写真を撮ったり他の観光客と話したりしてくつろいでいた。
ふっと入り口の方を見て、嫌な予感がした。
階段の方にアリに似た服装の人が消えていったような・・・・・。
まさか、ね。
あの階段を今から上がるなんて、ありえないよね。
それでも気になって階段の方に駆け寄っていくと、40cmはあろうかと言う段差の階段を登り始めているではないか。
トムは一日中歩いて既に足はガクガクしており、集中力も低下している。彼の限界はとうに超えているし、いつ気が抜けて階段を踏み外してもおかしくない。その上、この段差を登るなんて、何考えてるの!?!?
心の中で叫んでみたものの、走り出したら止まらないぜ!土曜の夜は天使さ〜♩
横浜銀蝿もびっくりの無鉄砲さで登って行く彼ら。すでに登り始めた彼らを止めるわけにもいかず、只々足を踏み外さないことを祈るばかり。最初の3段ほどがかなりの段差だっただけで、そこから後は少しなだらかになり手すりがついていたのも良かった。
アリに任せっきりな私も悪かったのだけど、もしこれで階段から落ちたらどうなっていたのか。今更ながらにドキドキする。海外位旅行保険にはきっと入っていないだろうし、インドだって一流の病院はそれなりにコストがかかるはず。
最後にはアリもすっかり疲れて、「車椅子の観光はいつも大体2時間ほどで終わるけど、Mrトムは歩けるからいろんなところを見れてよかったね。貴方みたいな元気な車椅子の人は初めてだよ。」と色んな意味を持つ言葉をくれた。
帰りのバスの中で、チップの計算をした。通常は2時間で終わるところ、その倍以上の時間を要したこと。もう一人手伝う人がいたことを考えれば、最初に言われた金額の二倍払っても少なくはないと思った。最初の金額が妥当だったのかどうかはわからないが、トムが母国でこのサービスを受けたらきっと十倍の値段以上だ。彼も快くチップを支払い、迎えのタクシーに乗り込んだ。
帰りの車の中で今日の一日を思い出し、アリという少年のおかげで事故がなく観光できた事に二人して感謝した。彼は我慢強く、トムの気がすむまで時間をとってくれた。今後も彼のような青年に出会えるといいな。
通常であれば今日のツアーは、エローラの後にミニタージマハルと言われるところに行く。しかしエローラで時間と体力を沢山使ってしまったため、一行はホテルに帰ることにした。
すっかり疲れて二人とも朦朧としていた。しばらくウトウトし目を開けると、なぜか旧市街のようなゴミゴミした地域を車は走っていた。運転手に聞くと、「この近くにお土産屋があるから寄って行こう」と・・・。
出たよ・・・・。コミッション目当てのお土産屋に連れてこられてしまった。
トムは私に目配せをし、「大丈夫、インドで僕が欲しいのは絵葉書だけだからね。」と言いながらお店に入っていった。
私はその間に外で一服して店内に入った。すると、カウンターに座ってスカーフをあれこれ見ながら店員に話しかけるトムがいた。
「この色と、この色を2枚ずつ。」
速攻買いよるやないか!!!!なんなのこのおっさん! しかも、また値段も聞かずに買うって言っちゃってるし。昨日のオリエンテーションは一体なんだったの?
こうして老いぼれトムソーヤは朝と同じ失敗をして、殆どの値引きされることないお土産を買い込むのでした。
二十一日目
彼のビザが降りるまでの間に、バードウォッチングについて少し調べてみた。どうやら近くに大きなダムがあり、そこに沢山の鳥が集まっているようだ。そこに行くためには一日タクシーをチャーターするのだが、そこからも少し自分たちで歩かないといけない。
それでも北海道であんなに駄々をこねて双眼鏡を持ってきたのだから、トムは行きたいと言うに決まっている。そう思っていたが、ここにきて聞いてみると、意外にも鳥には全く興味を示さなかった。
なんなのこのおっさん。あの重たい双眼鏡は鳥を鑑賞する為ではなく私を苦しめる為?もしくは誰かのお告げで私に試練をお与えなのか。
バードウォッチングに行かないのなら、わざわざ予定を変更する意味があったのだろうか。彼の意図がわからないが、延長した日数分の給料も払ってくれるそうなのでよしとする。
と、いうことで今日はゆっくり寝て起きる日。
A氏は絵葉書を買って、いろんな人に手紙を書きたいらしい。エローラで少し探したのだが好みの絵がなかったようで、今日もどこかに買いに行きたいと言い出した。念の為ホテルで聞いてみると、併設のお土産屋にも絵葉書はあるというのでのぞいてみた。
さすが高級ホテルだけあって、この地域の物だけに留まらずインド国内を網羅しそうなバラエティーのお土産が揃っている。トムの目が輝いた。
すぐさま娘に連絡をして、どんなお土産がいいか聞いている。そこで娘のパートナーが象の絵柄が好きなのを聞きつけると、ウキウキした様子で選定にかかった。
ラクダの骨で作られた小物入れ。ひとつに絞りきれず、同じような象柄の入れ物を二つ購入。左のラピス柄の入れ物は、最初私が見つけて買おうか悩んだのだけれど、重いので断念。それを彼は迷わず購入し、結局私が持って移動すると言う羽目になる。
インドは手紙を書いたりする風習が殆どないのか、切手は郵便局にしか売っていない。そのため午後から郵便局に切手を買いにいく。ついでに、荷物がお土産で膨れ上がると予想されるA氏の為に、追加のバッグも購入した。
後は部屋でゆっくり写真の整理でもするか。タクシーに乗り込み、そう思いながらウトウトしていると、また別のお土産屋に止まった・・・・。
もうええ加減にせえや。こんなところで荷物が増えたらパッキングも移動も大変だから、ムンバイで買い物しようと言っていたのに。しかしそう思っているのは私だけで、トムは目は爛々としていた。財布の紐が緩みっぱなしのトムの暴走はもはや誰にも止められない。
いろんな素材のスカーフを散々広げ、大量にお買い上げ。
こうしてトムはインドの経済を活性化させるべく散財するのでした。
二十二日目
今日は他のホテルに移動する日。バルコニーに出ると、ちょうど目の前の木に鳥が止まっていた。写真ではわかり辛いが、鮮やかな青色の羽が可愛らしかったのでトムを呼びに部屋に入った。
するとニヤニヤ顔で、何か言いたげにしている。
ん?
トム曰く、昨日も同じことをしていたらしい。股間に1Lのペットボトルを挟んで朝から元気なことをアピールしていのだが、肝心の私は全く気がつかずに黙々と他の用事をしていた。
全く面白くないジョークだが、大人のミゾヨコはもちろんしっかりと笑ってあげた。ついでにこのバカっぷりを彼の家族にも知らしめるため、写真を撮ってアルバムに載せてやった。最愛の娘に見られて幻滅されればいいんだ、こんなじじい。
外は着々と結婚式の準備が進んでいる。
ステージがふたつもあり、椅子だけでもざっと300席の大披露宴。相当なお金がかかっているだろうな。
非常に名残惜しいがこの後、格下のホテルに移動した。
二十三日目
今日はアジャンタに行く日。アジャンタはここから100キロほどなのだが、道が悪く車で2〜3時間かかるという。宿を出てから30分もしないで道が過酷なオフロードとなった。大きなデコボコを避けながら進むのだが、今回のドライバーはとにかく運転が荒い。
オフロードの基本は大きな凹凸を避けるべくハンドルを左右に切りながら進む。快適さを優先するなら出来るだけゆっくり走るのが一番なのだが、それではいつまでたっても目的地にたどり着けない。このドライバーは結構なスピードで凹凸を気にせず突っ走るので、道が悪くなると即効でトムの苦痛に満ちたうなり声が聞こえてきた。出来るだけ平坦なところを走って欲しいとお願いしても、私の言うことなんか聞こうとしない。
トムはさらに苦痛の表情を強めるし、何よりこの激しい揺れからくるしんどさが半端ない。いい加減ミゾヨコのダンジリ祭りが幕を開けた。
お前!!前の車見ろや!あの車はあんたより平坦な道を選んでるから車が揺れてないやないか。あの車の後ろ走れや、後ろ!!!
田舎者インド人ドライバーはアジア人の、しかも女に言われたのが気に食わないのか、「ノープロブレム、あいつより僕の方が運転うまいじゃないか」
と、英語とも言えないが表情からはそんな反抗するような言葉が発せられていた。ムカつくー。車道ギリギリの平坦なことろがあるにも関わらず、真っ向からお凹凸に突っ込むもんだから車はものすごい音を立ててバウンディングを繰り返す。
おまけに車体の大きなジープやバスにはガンガン抜かされるし、対向車も反対車線(なんかない)を飛び越して正面まできそうになる。神経を常に磨り減らしながらのドライブは、体力を相当消耗する。
昨日の高級ホテルのタクシードライバーに、大きい車に乗った方がいいと言われた意味が今になってよく分かった。大きな車はそれだけで揺れがマシだし、高級であるほどに乗り心地は格段に快適になる。ここはお金をケチって普通車にするところではなかったと、今更ながらに後悔する。
一回の休憩を挟み、一行は無事にアジャンタにたどり着いた。
老いぼれトムは消耗しきっており、6段ほどの階段を下りるにも足がガクガクで今にも崩壊しそうなビルのよう。あのタクシーの揺れは、ミゾヨコの世界一周旅の中でもかなり苦痛な部類だったから、トムには相当こたえたのであろう。マドハンドのように増えゆくお土産屋の客引きに囲まれながら、一行はとりあえず店先にある椅子に座って一休みした。
マドハンド1はあまりにトムソーヤが具合悪そうなことに心配し、自分の店の宣伝をやめてどうしたのか聞いてきた。それに続いてマドハンド2、3、4、5も一行を取り囲んでいる。座ったテーブルの持ち主のマドハンド6は注文はないかと聞いてくるが、トムが欲しいのは炭酸飲料であってその店のチャイではない。マドハンド3が7を呼びコカコーラを頼んだが、今度は6が怒りだしたので欲しくもないチャイをミゾヨコが仕方なしに頼む。
少し落ち着いたところで、一斉にマドハンド3、4、5は各自のお土産屋の宣伝をするが、トムもミゾヨコも全く聞く気などなく先ほどのドライバーがいかにひどい運転だったかをこぼし始めた。
トムは大げさなほど顔を歪め「腰が痛くて目が回る」と訴えた。
すると状況を察したマドハンド5が8、9、10を呼び今度はドライバーの運転に対して議論が巻き起こった。
マドハンドはさらに仲間を呼んだ。すると大魔神が現れた。なんと大魔神は昨日までの高級ホテルで私たちをエローラ連れて行ってくれたドライバーだった。今日は同じくホテルのお客をアジャンタに連れてきたのであろう。
悪路の次はマドハンドに包囲された一行であったが、大魔神の登場に一筋の光を感じた。
「ちょっと聞いてよ〜!」
昨日までは能面のように全く笑顔など見せなかったミゾヨコだったが、今日は違った。長年の友達でもあるかのようにドライバーに擦り寄り、これまでの出来事を話した。トムもまた、今日のドライバーの態度には業を煮やしたようで、「あのドライバーはミゾを女だと思ってバカにしている!」と大いに怒りを表していた。
一行の怒りはマドハンドにも伝染し、彼らもまたドライバーに対して怒り始めた。「こんな高齢の旦那にそんな運転はひどすぎる!」「帰ったらホテルに文句言ってやりな」「俺がドライバーに直接言ってきてやる!!」
マドハンド2と3がドライバーを探しに出かけた。吊るし上げる気で意気揚々と出かけたのだが、どうやらドライバーはすでに休憩に出てしまったらしく見つからない。
大魔神は暴徒化したマドハンド達を制し「僕からドライバーにはちゃんと言っておくから心配しないで。アジャンタを楽しんできて。」と言われて状況は静まった。
・・・・訳などなく、今度はマドハンド達のお店に来ないかという一斉攻撃を受けながら一行はチケット売り場へ向かって歩く。マドハンド5がトムの第二のお尻とも言えるツールボックスを持つと言い出した。拒否するミゾヨコ。しかしこの先は車椅子はなく、バスとドーリーだから必要ない。しぶしぶマドハンド5の店にツールボックスを預けて、アジャンタの入口に向かうバスに乗り込んだトムソーヤとミゾヨコであった。
続く
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