車椅子高齢者の一人旅って?しかも外国人だとどんな感じ?
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この記事は前回の記事「車椅子外国人と丹頂ツルを見に釧路に行ってきました」の続編です。まだ読んでいない方はこちらから読むことをお勧めします!

これまでのあらすじ

ひょんなことから知り合いになった欧米人のおっさんA氏。彼は生活のほとんどを車椅子の上で過ごしている身体である。そんな彼の日本とインドの旅をサポートすることになったミゾヨコとその愉快な仲間たちであったが、無謀にも車椅子を持たず大荷物で日本に来てしまった彼に振り回されることになった。

車椅子で日本観光【本州編】

六日目の続き

日本チームからすると松葉杖をついて移動することがやっとの老人が、大きな荷物を持って一人で移動することなど到底想像ができない。大荷物と共に公共交通機関に放り出されて、右往左往する彼しか思い浮かばない。

再三に渡り荷物を減らすように行っていたのだが、彼はあまり聞き入れようとしなかった。そこで、昨晩から合流した息子を引き入れて説得すると、渋々だが荷物の再選定に協力してくれることになった。

北海道でさえ使わなかった防寒着や、意味不明なほどの衣服の数はひとつひとつ尊重しながら説得し、ざっくりと減らせた。まだインドに行く際には不要なものが沢山あるが、それらは一旦見送る。彼がひとりで移動して大変な思いをすれば考えも変わるだろう。

釧路空港は視界が悪く、出発するはずの便が遅延していた。A氏とミゾヨコはカフェに入って一息つくことにした。

A氏とゆっくり話ができるのも次は広島についてからだ。彼がひとりで羽田から鎌倉に移動し、明日は鎌倉から広島まで来なければならない。移動には絶対に誰かの助けが必要なのだが、どんなに説得しても荷物をバックパックひとつに納めきらないA氏。呑気に考えている彼に「日本人みんなが親切でも、英語が喋れるわけではない。私たちは、貴方がこの荷物を持ってひとりで移動するのは相当大変だと思っている。それでもこの荷物で行くというなら尊重するけど、相当な覚悟を持って行ってね。」と何度も念押しした。

しかしその矢先、

「インドでも野鳥を見たいから、さっき預けた方の荷物に入れた双眼鏡を持っていきたい。」

はい!?

またしてもA氏がびっくりするような、腹立たしいようなことを言い出した。

(この期に及んでまだそんなこと言うか!?)

ねーねー!今までに一度もインドで野鳥を見たいなんか言ってなかったよね?!

双眼鏡と簡単に言うけど、A氏が持ってきていたのは1キロ近くはあるであろう本格的なもの。北海道では私がそれを持ち歩いていたから知っているのだが、相当重い。それを今更インドに持っていきたいだと!

「インドにも野鳥がいるんだよ。ツアーにも行きたい。」

インドで野鳥!?

インドで野鳥

そもそも野鳥に興味のないミゾヨコにとって、その発言は完全に寝耳に水。今更、なぜそれを言う!?

確かにA氏のことを考えて、インドでは余裕のあるスケジュールにはしている。それでも、野鳥を見に行くとなると、お目当の種類が見れる場所のリサーチからツアーの有無、車椅子でのアクセスを考えなければならない。加えてその野鳥が見られるシーズンというものがある。思いつきで気軽に行けるものではない。

そんな、見れるかどうかもわからない野鳥鑑賞のために、その重くて場所を取るものを持っていくの?

呆れて物も言えなかったが、何かあれば「金で解決する」とい言い張ったのはA氏だ。好きにすればいいや。それに、後で「持って来ればよかった・・・」と文句を言われても困る。

30分ほど遅れて羽田行きの飛行機の搭乗ゲートが開いた。

もし今日の飛行機が欠航になってしまったら、明日A氏と一緒に地元に帰ろう。地元からそのまま車で広島に行こう思っていた。とりあえず羽田行きが出発して一安心だ。

A氏と友達カップルを見送ってひとりほっこり。「白い恋人」のアイスクリームを食べる。

白い恋人のソフトクリーム

札幌行きの飛行機も1時間半ほど遅れて出発し、乗り換えでさらに2時間ほど北海道を堪能する。

千歳空港の花ぶさで注文した海鮮どんぶり

A氏の偏食のおかげで旅行中は海鮮を食べれなかった。最後の食事くらいは一番食べたかったいくらをふんだんに使った3色丼にした。

今頃、飛行機は羽田に到着した頃だろう。A氏は大丈夫かな。彼のひとり旅は心配でしかない。

鎌倉までの道のりは、友達がバスの乗り場まで案内してくれたそうで一安心。

・・・・だったのだが、やはりスムーズには行かなかったようだ。

地方出身のミゾヨコは、A氏に「鎌倉のホテル」と言われば鎌倉駅に近いホテルを想像する。いや、正直なところ少し他人事だったのもあるだろう。それゆえあまり深く考えることなく、羽田空港から鎌倉まではリムジンバスに乗れば楽勝だと思っていた。しかし実際には鎌倉には私鉄も通っており、バスの降り場もいくつかあるのだ。

そんな落とし穴があったとはつゆ知らず、友達は鎌倉駅で降りるチケットをA氏に買ってしまい、結果的にタクシー代が余計にかかってしまうことになった。あーあ、日本人が二人着いていてもこんな事が起こる。広島の後、無事に京都を回ってひとりで成田空港までたどり着けるのだろうか・・・。

真夜中に彼からメールが来た。

「今ホテルで洗濯をしている」

ははーん、北海道で荷物を減らされたことを根に持っているんだな、と思った。

洗濯など、広島に来たらやってあげられるのに。

「バスでお漏らししてしまい、今日履いていたズボンをどうしても明日の鎌倉観光に履いて行きたいんだ」

なんだ、そう言うことだったのか。彼はバスを乗る前にもトイレに行ったそうだ。しかし歳相応の頻尿で、トイレのない中距離バス移動は厳しいと言うことがわかった。

七日目

今日は広島でA氏を迎える日だ。昼過ぎに高速で広島まで行き、ほぼ空き家となった友人宅を掃除する。そして、ベッド以外の家具がない寝室を、彼が住み易い環境に整えなくてはならない。

実家の裏に放置されていたキャンプ道具を引っ張り出し、サイドテーブルになりそうな椅子や荷物置きになりそうなベンチ、入浴に必要になる折りたたみの椅子などを用意して広島に向かった。

夕方3時ごろに鎌倉を出発していれば、広島に8時には到着する。でも、本当にあの荷物を持ってひとりで来ることができる気がしない。A氏の頼りなさを見かねて、友達も3時に鎌倉のホテルに出向き、広島行きの新幹線に乗るまで彼とつき添うことになった。そしてまた、予想外の問題が出てきた。

彼女曰く、A氏のホテルは駅から近すぎてタクシーが来てくいれないと言うことだった。実際にタクシー会社に連絡しても同じことで、客が高齢だろうが障害者だろうが近距離すぎて来てくれないそうだ。結果的に昨日は遠まわりしたかおかげで、彼はタクシーでこのホテルまで辿り着いたのだ。ここから駅までは、運転手に多めに払って連れて行ってもらうか、また遠回りをして駅まで連れて行ってもらうようになるだろう。

しかし、今回はA氏も機転がきいた。鎌倉観光にチャーターしたタクシーでホテルの荷物をピックアップし、そのまま駅に送ってもらえたのだ。グッドジョブ!

だがここからが本当に大変で、友人は松葉杖のA氏と荷物を置いて車椅子を探し、今度は荷物を引きながら車椅子を押す。移動に車椅子という縛りがあると、当然いろんなところで不自由が散在する。利用者が五体満足で、見聞きでき、同じ思考や知能を持つ前提として作られた環境は、何かが欠けると途端に生活しにくくなる。人混みをかき分け、通り掛かりの人の助けを借りながらエレベーターを探し、緑の窓口まで行く。こうしてA氏は人の善意で移動を続け、2時間かけて外国人用のジャパンレールパスのチケットを発券した。

さらに彼の旅をドタバタにさせたのは、ジャパンレールパスの制約だった。乗り放題のチケットで新幹線の利用ができるのは「のぞみ」や「みずほ」のような快速ではなく、各駅停車のみと言うことだった。車椅子の手配やあれやこれやで実際に新幹線に乗れたのは18時前。各駅停車の新幹線だけで広島に着くのは、最終便の23時44分と連絡を受けた。

「私が助けに行ってなければ、確実に広島にはたどり着けなかったよ。」

彼女の言うことはもっともである。A氏はまるで隣町にでも行くように、気軽に日本に来てしまった。あまりにも行き当たりばったりで、すっかりこちらが引いてしまった。

私はと言うと、ぽっかり空いたA氏との予定を埋めるために夕食に出かけた。A氏が広島に来ていたらイタリアンに連れて行こうと決めていたのだが、ひとりだと行く先が変わる。慣れ親しんだ広島。一杯飲みながら色々食べたいものが頭に浮かぶが、今日は車だ。熟慮を重ねた結果、今日のディナーは「くにまつ」の汁なし担々麺に決定。

くにまつの汁なし担々麺ネギ追加

麺はどこや!?くらいのたっぷりネギ(追加した)に温玉と、ラストに合流する白米。これにさらに山椒を追加して、数十回ネギと麺と汁をからめる。口をしびれさせながら食べるこの汁なし担々麺は、お好み焼きに次ぐミゾヨコの広島ソウルフード。速攻で完食した。

それから3時間後、A氏は問題なく広島に到着した。

JRでの車椅子の貸し出しは改札から改札までと聞いていた。しかし暇な時間帯だったからか、駅前の駐車場まで駅員さんが一緒に来てくれた。

というか、車椅子から降りて松葉杖で歩く老人に、スーツケースを運べないのは誰が見ても疑いようがない。標準的な優しさを持っている人なら助けるとは思うが、やっぱりその優しさありきで当たり前のように旅をしていることにはなんとなく違和感が残るミゾヨコであった。

八日目

目が覚めると、朝9時を過ぎていた。

久々の寝袋の寝心地は、意外にも最高と言えるほどだった。リビングのカーペットの上にヨガマットを敷いて眠ったのだけれど、絶妙な硬さで快適。農場でキャンプしながら働いていたのを懐かしく思い出した。そしてその時の大ボスが、まだ寝室で大いびきを立てて寝ている。彼の為に用意した寝室でリラックスできたようだ。

広島観光は原爆資料館と宮島の二本立ての予定だった。しかし、宮島の鳥居は現在修復中で見ることができない。北海道からほとんどゆっくりすることなく旅を続けたA氏には、ゆっくりしてほしい。今回は平和公園だけにしよう。

昼過までゆっくりして出発準備にとりかかる。その前に、A氏のふくらはぎにできた蜂窩織炎を洗って薬をつけた。数少ない看護師としての出番だ。蜂窩織炎というのは細菌感染による皮膚炎で、最近入れたというタトゥーが原因なのだが、どうか母国に帰るまで悪化しないでいてほしい。実は旅行保険に入ってくるように念押ししたのだが、本当に入ってきてくれたのか怖くて聞いていない。

いつもは絶対乗り入れることのない平和公園の正面口を、毅然とした態度で乗り進める。警備員が車を静止する。

「車いすが必要なので障害者用の駐車場に車を止めたいのですが。」

「障害者手帳は持っていますか?」

「外国人なので日本の証明はありません。」

そりゃそうだ。すんなり原爆資料館の横に車を止めて車椅子を借りる。さすが世界中から観光客が来るだけあって、彼のお尻がすっぽり入る車椅子を見つけることができた。

車いすの使用範囲は公園内と決まっているのだが、ちょっとズルして商店街の両替に行く。彼がそこまで歩くと往復3時間はかかるのでやむを得ない。警備員のいなさそうな道から公園を無事脱出。

まずは薬局に行き、A氏の胃薬を購入。痛み止めのモルヒネをいつもより多めに飲んでいるせいで、胃が悪いのだ。薬剤師と相談し、彼に合いそうな薬を選んでいざ支払いをしようとすると、A氏が焦った様子ポケットをあさりだした。1万円がないという。

車を降りるときには確かにあったのに、今はないという。その時間わずか20分ほど。彼はずっと車椅子に座っていたし、これが初めての買い物なのだから落とすチャンスがあるとすれば、アーケードに覆われた商店街の写真を撮った時か。何れにしても薬代は私が立て替えて両替をした。

genbakudome

本通りからまっすぐ西に進むと右手に原爆ドームとグラウンド・ゼロにたどり着く。

hiroshima peace park

原爆資料館でA氏がどの様なことを感じたのかは聞かなかったけど、少しでも広島に来た意味を彼なりに見つけてくれたらいいなと思った。

夕食の時間になり、偏食のA氏が「お好み焼きが食べたい」と言ってきた。

偏食

アレルギーでも宗教家でもない彼は、正真正銘の偏食家だ。

それでも、広島にいるときくらいは美味しいものを食べてもらいたいと思っていた。欧米人がよく通っているイタリアンなら彼の好みのものがあるかもしれないと思い、レストランから近い駐車場も調べて用意していた。

しかし今回の旅で彼の偏食には、予想外に振り回された。北海道まで来たのだから、日本の美味しい食べ物を堪能してもらいたい。そんな思いであれこれ進めてみたが、基本的にご飯に塩鮭と醤油以外は受け付けない。A氏のためにと思って買ったものは、どれも難癖をつけられて味見すらしない。結局パンかクラッカーに持参のピーナッツバター塗ったもの、パスタやピザ、牛乳やコーラ等の母国で食べるようなもで落ち着いていた。食べ慣れないのだから仕方ないとは思いながらも、そんな彼のことを一種軽蔑にも似た感情を抱き始めていた。

おまけに昨晩は、広島に向かう新幹線から蜂窩織炎の塗り薬が欲しいとメールをしてきた。使い終わったのなら早急に用意しなければと、急いで閉店10分前の薬局に薬を買いに走らせたにも関わらず、値段をメールすると途中で返事をしなくなり、最終的には買わなくていいと言い出した。よくよく聞くと、まだ薬はあるのに別の抗生剤を試したくなったらしい。

くそジジイ!!駄々っ子か!?それに、医学的にも良くないわ!

こんなことが今までにも何回かあって、私はA氏のために自分のお金を使ってもてなすことをやめた。気まぐれで人を顎で使い、親切心を逆手にとって人を利用するこのおっさんに、情け容赦は必要ない。それに、どうせ私が進めても素直に喜ばないのだから、わざわざ高いイタリアンに行く必要などないではないか。金を使って不愉快になることほど惨めなことはない。

あの爺さんに食べさせるのはJフルとか、Gストとか、Sゼリアの洋食で十分じゃ!!!!

こうして私はバリアフリーであることを理由に、安くて美味しいと評判のファミリーレストランに行くことにしていたのだが、意外にも彼はお好み焼きには興味を示していたのだ。

そもそも食べれる食材が少なく母国でも決まったものしか食べないのに、本当にお好み焼きを食べたいと思っているのか?疑いの心が8割を占めていたのだけれど、たまたま見たガイドブックに「ジャパニーズパンケーキ」として紹介されていたお好み焼きが、彼の食欲をそそったと言うのだ。

それならばと、広島に10年以上住んだことあるミゾヨコが、広島の誇るソウルフードを食べさせてあげようじゃないですか。

お好み焼き

英語では日本のパンケーキになってしまうらしいが、それは見た目がパンケーキのように丸く、ハチミツや粉砂糖の代わりに青のりやソースがかかっているからだと推測する。同じく主食ではあるが、デザートにはなり得ない。

あの偏食家が、本当に食べることが出来るのかと半信半疑だったのだけれど、やはりその不安は的中した。メニューの写真を見るなり

「何を使っているの?」(はい、来たよ。)

卵、小麦粉、キャベツ、豚バラ、そばかうどん、ソース、鰹節、青のり・・・・

言えば言うほどA氏の顔が引きつる。

お店の人に申し訳ないと思いながらも、彼の嫌いな卵、麺類、ねぎ、鰹節や青のりを除外するようお願いする。A氏は鮭以外の魚介類や、豚肉、果物と緑黄色野菜全般をあまり食べない。初めは小麦粉にも難色を示していたのだが、これを抜きにお好み焼きはあり得ない。豚バラもイヤイヤながらに受け入れた。ソースはこちらでかけることにして、トッピングにチーズとコーンを追加した。

あまりにも普通をかけ離れたオーダーに、バイトの店員が何度も店主に確認に行く。注文が多すぎて店から追い出されると思ったが、外国人であることでなんとか丸く収まったようだ。オープンキッチンで焼きあがるA氏は楽しそうに見ながら待つ。

okonomiyaki hiroshima

ところで広島風と関西風の違いを知らない人のために説明するが、広島風は具を混ぜない重ね焼きである。最初に小麦粉を溶いたクレープ状の生地を作り、その上に具を重ねる。最後に目玉焼きの黄身を少しくずして焼いたものを上に乗せ、ソースと青のり等をかけて出来上がりだ。

しかし卵とソース類を乗せないA氏のわがままお好み焼きは、もはやお好み焼きというよりは、キャベツ炒めであった。

するとやや取り乱し、「これはパンケーキじゃない!」と言いだした。

うん、確かに。でも卵がいらないのなら、こうなってしまうのよ。

「じゃあ卵を食べるから、上にかぶせるために焼いて」

店員に頼むと、テーブルの鉄板で焼いてくださいと言うことで生卵が運ばれてきた。すると今度は、鉄板で焼き始めた卵を見て気が変わったのか「やっぱり小麦粉で薄皮を作って欲しい」と言い出した。

ほんまええ加減にせえよ。そんなお願いする方も恥ずかしのだが、外国人だし仕方がないか。恥を忍んでまたお願いした。

ところが、今度は店主の堪忍袋の緒が切れた。バイトが店主に伝えるや否や「うちではそんなことやってない」と冷たくあしらわれてしまった。そりゃそうだよなあ・・・・。

おかげで私のゴージャスな「スペシャルのそば、ネギ追加」のお好み焼きを尻目に、A氏はライスを別で注文し、キャベツ炒めとご飯を交互におたふくソースで食べる事となった。

okonomiyaki

それでも、甘めのソースが祖国のBBQソースに似ているからか、美味しそうに食べていたのがせめてもの救いとなった。

九日目

A氏のもとで働いていた時の印象は、「車椅子だけど自立した初老のおじさん」だった。時々安定剤や痛み止めを飲みすぎてぽやんとしてところがあるにしても、それなりに社会生活を送っているからだ。しかし、これは私の英語力の低さゆえのことだったと今更ながらに思う。一緒に旅をして「歳相応に身体的・精神的に頼りないところがあり、割とわがままなおっさん」に変わっていた。

今日はA氏が京都に移動し息子と合流する日なのだが、上記の理由で、A氏が成田に着くまでのJRの手配は私がした方がいい。いろんなところがルーズな彼にとって、自力でたどり着くなどハードルが高すぎる。

早めに広島駅に到着する予定で用意をしていたのだが、肝心のA氏は昨日無くした1万円を諦めきれずに探していた。

「君も僕が1万円持っていたのを見ただろう。なんで無くなったのかなあ・・・」

私も、見た?ん!?

若干の違和感があり、それには答えなかった。しかしそんなことA氏は気にする様子もなく、着ていた服や荷物をひっくり返し、部屋や車の中を探した。

遅れ遅れで広島駅に着くと、今度はみどりの窓口が長蛇の列であった。こんな時、車椅子だと順番を早めてもらえるのは助かる。窓口で確認したところ、各駅停車の次の便は満席。自由席なら乗れなくもないだろうが、いかんせん車椅子なので難しい。その次の便もギリギリで取れたのだが、神戸あたりで乗り換えが発生するとのこと。JRは車椅子の乗客に対して改札口から改札口まではサポートしてくれるとのことで、乗り換えも係員に任せることができて安心だ。

しかしそれは改札までの話で、京都駅の改札からは自力でタクシー乗り場まで行かなければならない。広島のように上手く親切な駅員に当たるのか、それとも改札で放置されるのか。不安が残るのだが当事者のA氏はいたってけろっとしている。

とりあえず、京都駅までのチケットの予約と、5日後に控えたインド行きの飛行機に乗るための成田空港までのチケットを予約する。10時半に京都駅を出発して、羽田に着くのは15時前だ。折角なので富士山が見えるように左側の席を予約した。

どう考えても不安の残るA氏だが、私のできる限りのことは全てやったと思う。それに、これから数日は息子が一緒なのでなんとかなるだろう。

車椅子は改札口までなのだから、もし駅員にそう言われたら自分で交渉したり、周りに助けを求めてなんとかしてホテルまで行くんだよ。ホテルには車椅子が必要なことや、車椅子で観光できるツアーがあるかどうかを聞いてもらっているからまた向こうで相談してね。成田までのチケットはこの時間に京都駅発だよ。車椅子の予約は京都駅でないとできないから、現地に着いたら必ず予約してね。荷物の送り先と成田の滞在先はノートに書いてあるからね。

一通り説明してA氏を見送った。

夕方になって、A氏からメールが来た。

無事に息子と合流してこれから夕食を食べに行くのだと。あれこれ聞きたいことはあったのだけど、無事に京都にたどり着いたのなら何も聞くまい。ところが彼の方はまた一万円が出てきたかどうかを聞いてくる・・・・。

消えた一万円

確かに1万円は大金だし、失くすとショックが大きいのはわかる。だが、彼のポケットのお金まで私が管理できるはずもない。家も車も一緒に探したのに、こうも何度も聞かれると、私がネコババでもしたのかと疑われているような気がする。

実は北海道で、お金でちょっと嫌な思いをしたことがあった。五千円を渡されて目薬を買ってくるように言われた友人が、お釣りの千円札4枚と小銭とレシートを彼に渡した時の事だった。彼は「一万円渡した」と言いだしたのだ。彼以外の3人が「え!?」となり、彼女は五千円だったよと伝えた。それでも一万円だったと言い返したA氏に、今度は彼女の旦那が5千円だったと訂正した。それで終わるかと思いきや、彼はまだ自分が1万円を渡したと言い張っていたのだ。

その時私は車を運転していてドラッグストアの前に停車していたのだけれど、ちょうど彼女が5千円をA氏から受け取ったのを見たから間違いない。

3人目に説明されて彼はようやく納得したのだけれど、あのやりとりがもし彼女一人の時だったらと思うと、迷惑な話だ。

これからインドを一緒に旅するにあたり、彼の代わりに私がお店に行って買い物をすることもあるだろう。そんなずさんなお金の管理をしていて何か疑いをかけられてはたまらない。そもそも、彼が持っていたのは本当に1万円だったのか?5千円を1万円に間違えるくらいだから、千円が1万円に見えたのではないかと思っている。

私はそんなことが少しでも起こらないようにと、北海道で彼に財布を渡していた。本人を尊重して使うことを強要はしなかったが、裸銭のせいで問題を起こすのはもうやめてほしい。

北海道からの行ったり来たりで疲れていた私は、あまり深く考えず「北海道でお釣りを間違ったことがあるけど、今度は二人っきりだから意見が食い違ったら誰も証明してくれない。ちゃんと自分がいくら持っているのか確認してほしい。それに、わざわざ財布を買って渡したのだから、インドではお金を落とすことがないようにしてほしい。」という趣旨のメールをA氏に送った。

すると彼は憤慨した様子で、「これまで君を疑ったことはない!そんなことを言われてとても傷ついた。信頼関係ができてないなら旅行は取りやめだ!!!」

私の英語が悪かったのだろう。相当彼を怒らせてしまい、それからもしばらく被害者意識の高いメールが再三送られてきた。

しかしA氏の憤慨が、結局のところ「図星」だったということを証明してしまったと密かに思っている。言わないけど。

物の管理がガサツな上、すぐ人のせいにしたがるところが私にもある。ここは他人のふり見て、自分も直そう。こんな年寄りになってしまっては、誰も旅行に付き合ってくれなくなる。

十日目

昨晩から逆ギレは、「私の英語が未熟なせいでごめんなさい。でも間違いは誰にでも起こるし、初めて行く国の紙幣は間違いがおきやすい。誰にでも起こるトラブルだから確認しようね。一緒に行っている人に何かトラブルがあったら誰でも嫌な気持ちになるのだから、お互いに気をつけようね。チームで協力していい旅にしようね・・・・」などなど、へり下りつつもなんとか自分の意見も伝えながら1時間以上やりとりを重ねた後に落ち着いた。

事実、私の言うことを聞いてくれるのならそれなりに責任持ってガイドができるが、好き勝手にやっておいて面倒なトラブルだけこっちに持ってこられても補いようがない。すでに彼は車椅子を持参せず、大量の荷物を持って日本に来ているのだ。締めるところは締めておかないと、あとで大変な思いをするのは彼であり、私なのだ。流石に彼も反省した様で、今日から財布を持って観光すると言い出した。

今日は息子カップルと京都観光をするとのことで、親子水入らずで出かけた。

十一日目

A氏はあと二晩で京都を離れ、成田空港近くのホテルに移動する。不要になるはずの冬服と京都で買ったであろうお土産の数々を、ホテルから友人宅に送る手段は整った。あとはA氏がフロントからもらった段ボール箱に荷物を入れ、友人の住所とともに渡すだけだ。移動当日の朝にそれを言うと確実に混乱するので、広島にいるときから再三にわたり伝えてきた。今日もう一度確認してみたが、彼の予定表に書き込んだことすら覚えていない・・・。

インドにはかさばる冬服を持ってこないこと。日本のお土産も一緒に友人宅に送って荷物をできるだけ軽くすること。寝るときに必要な尿瓶を忘れずに持ってくること。(北海道で忘れてしまい、息子に京都まで持ってきてもらっていた)この3点に絞って何度も確認して行く。

この頃になると、74歳になるうちの父親と理解力がどっこいどっこいではないかと思い始めた。おそらくモルヒネの飲み過ぎで、注意力が散漫なんだろうけど。よくこんな状態で家族も彼を一人で旅行に行かせたなあと感心する。

十二日目

「これから奈良に向けて出発するよ。君は成田に向かっているのかい?」

おはよう!私は明日地元の空港から上海経由でデリーに行って、貴方が来る日にムンバイに行くんだよ。ムンバイに着いたら私が到着ゲートで待ってるからね!

そんなこと、3ヶ月前から再三話し合って決めた事なのに、彼は覚えていない・・・。これまで話し合ったことは砂漠にまいた水の様に彼の頭の中から跡形も無くなっているが、こちらもいい加減免疫ができた。看護師時代と同じ様に、その人の理解力に合わせて対応を変えれば良いだけの事だ。そう考えると、A氏との関わりもずいぶん楽になった。

18時ごろ、「京都に帰る電車に乗っている」とメールが来たきり、22時を過ぎても連絡がなかった。明日は朝から移動の日なので、そろそろ連絡を取っておきたい。すると、

「今日は5キロ歩いたよ!多分10年以上こんなに歩いたことはないよ。」

彼は京都から奈良まで地下鉄を乗り継ぎ、タクシーで法隆寺に行き、歩いて観光したと教えてくれた。おそらく息子と観光したのは一日限りで、今日はひとりだったのだろう。ホテルからのツアーだと、車椅子の人には必ず同行者が必要なので参加できない。車椅子を貸してくれるところも、押してくれる人もいなかったから仕方なく自力で行ったのだ。彼は以前、1キロ歩くのに50分かかると言っていた。今日は時間も体力もかなり使ったのだろうけど、「自分がこんなに歩けるなんて思ってもみなかった」と、とても満足そうだった。

高齢者と関わっていつも思うのだけれど、彼らの運動能力を生かすも殺すも介助者次第だ。本人がめんどくさがって、あるいは良かれと思って過剰に手助けすると、使える筋肉も衰えてしまう。5キロ歩けるだけの彼の気力と体力が、この10年のうちに衰えていなくて本当によかった。

そう言う意味では、彼とインドを旅をするのが楽しみでもあった。若干、いやだいぶ無謀なところはある。彼の物忘れにも神経を使うけれど、年老いたトムソーヤの大冒険をこの目で見てみたい。障害を乗り越え、長年の夢を叶えようとする彼を支えたい。この旅は彼にとって間違いなく人生のハイライトのひとつであり、そんな素晴らしい旅に関われることに私は少なからずワクワクしていた。

十三日目

この日は私が上海経由でインドに渡る日。A氏が京都から成田のホテルに移動する日だ。朝から最後のパッキングを済ませて、彼の状況も確認する。

「ホテルの人に聞いたら新幹線で2時間らしいから大丈夫だよ」

ちゃうちゃう!貴方は各駅停車の新幹線しか乗れないの!remember!?広島のみどりの窓口で、私がチケット渡したよね?京都駅を10時半に出発して、成田に15時に着くんだよ。昨日奈良に行くときに京都駅で車椅子の予約したんじゃないの?!

「オーマイゴット。じゃあ、ホテルの人に時間の変更ができるか聞いてみるよ。」

ついでに車椅子が必要なことも伝えてね。改札口からしか車椅子は使わせてもらえないんだから、1時間くらい早めに行って、誰かに荷物を運んでもらうようにお願いするんだよ!

私はこれからインドに向けて飛行機に乗るけど、現地で電話が開通するのに二日くらいかかるかもしれないから、SMSで連絡取れないよ。何かあった時は友達にEmailを送るから、そっちから話を聞いてね。

日本に来る前のA氏と私の関係は、どっちらかと言うと「元上司と部下」みたいな感じであった。しかし気がつくと、今は完全に「介護される老人と口うるさい娘」のようになっていたのであった。

インド編に続く

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