今回の「トレイルマラソン」って?
2014年2月吉日
去年のクリスマスからネパールに移動し、お正月の初日の出をエベレストのベースキャンプで見ようと企んでいたミゾヨコ。結局その計画は悪天候のため達成できませんでした。
どうしてもエベレストには行きたいミゾヨコは予定を変更し、インドから春先に再びネパールに帰ってきてエベレストに再挑戦することにしました。
その代わりに今回はカトマンズ周辺やアンナプルナのハイキンングを楽しみました。
2月は北半球の冬。ミゾヨコの世界一周テーマの一つでもあるマラソン大会のシーズンでもあり、ここネパールやインドでも各地で行われていました。
ネパールでは、カトマンズウルトラトレイルの10kmの部に出場。
その時の様子はこちら↓
インドでもできる限りマラソン大会には出る予定です。まず一発目に計画していたのが
2月13日〜16日の4日間、グジャラート州で行われるRun The Rannのハーフのトレイルラン。ネパールでインドビザを申請している間に申し込みました。
そしたら、オーガナイザーから速攻確認メールが来ました。
遠い日本からなんでこの大会に出るんだ?
おまえ一人か?
お前ここが塩砂漠って知ってんのか?
そもそもトレイルランニングが何か知ってて申し込んでんのか?
しかも出るんなら色々揃えんといかんもんもあるし、医者からの診断書もいるんやぞ!
もう一度ホームページをよく見てから申し込めや!」
等々、運営の方から直々に連絡が。。。。。
じつはオンライン申し込みの際に、今までの出場経験を書く欄があるんですけど、英語で日本のマラソン大会の出場記録を書くのがめんどくさくて適当に開いてしまいました。
ひとつだけ、この間のネパールのトレラン大会の名前を「KATHMANDU ULUTRA TRAIL」 と書いて出していたんです。
しかも最初のKAがいつの間にか消えてて
「THMANDU ULUTRA TRAIL」 になってました。
きっと、運営の方は異国の女一人の参加者だし、ほとんど経験もないし、そもそもこのTHMANDUって
どこの大会だよ
って思ったんでしょうね。
これはまずい!
下手したら出場申し込みも受理してもらえんじゃん!
それが、この大会のすごいところは3泊4日のキャンプツアーで(ハーフは通常2泊3日)
インド人と寝食ともにし
フラミンゴの鳴き声で朝目覚め
白く輝く砂漠からのサンライズを拝み
塩原を駆けぬけ
キャンプファイヤーと満月に照らされながら
地元料理を堪能する
と言うイベント満載のマラソン大会なんです。
ちょっとどーですかお客さん!
インドの砂漠でキャンプするだけでも楽しそうなのに
フラミンゴ見れて
トレイルマラソンにも参加できて
安全も確保されてるって
想像しただけで嬉ションもんですよ!!!!!
あ、嬉ションって犬が興奮しすぎてもらいちやうあれね。
もうね、っ絶対出たい!!!
なんで、慌てて返信しましたよ
「実は世界一周してて、その間に世界中のマラソン大会に出る予定なんです。出場記録書いてなくてごめんなさい。フルマラソン2回とハーフマラソン何回も出てるんです。ベストタイムはあーで、こーで、海外旅行保険も入ってるからリスクも理解しててあーで、こーで
とにかくお願いします!出場させてください!」
てな内容をつたない英語で送ったところ
「めっちゃ楽しそうなことしてるじゃん。
是非話を聞かせてや〜。もちろん、キャンプ中の安全その他も特別に配慮するよ〜」
と、めっちゃウェルカムなお言葉いただきました。
よかった〜!レイプ事件が有名なインドだけに少し不安もありましたが、運営者のかたの電話番号までもらったし、これで安心してインドで初キャンプ&ランできると期待を膨らませて、ここグジャラートまで来たのであります。
ガンジーミュージアム
2014年2月11日 世界一周159日目
少し早目にアーメダバードに到着したミゾヨコは、とりあえずレースのオーガナイザーに既に到着していることを伝えました。
すると彼のはからいでガンジーミュージアムで働いている友達を紹介してもらい、案内してもらうことに。
インド独立の父と言われたガンジーのこと、恥ずかしながらほとんど何にも知らずに行きましたが
紹介してもらった彼にいろいろ教わることができました。
その一部を紹介します。
マハトマ・ガンディー
1896年10月2日ー1948年1月30日
インド独立の父
ガンジーはヒンズー教のもっとも高いくらいのひとつバーニアの出身です。
小さいころからイギリス仕込みの教育を受け、13歳で結婚。
イギリス留学後、アフリカで弁護士として働いていたが、お金をもらって限られた人のために働くのではなく沢山の人のために働きたいということですべてを捨てる。
ガンジーは着ていたものを捨て、自分で紡いだ糸で作った布を巻いて生活するようになる。
(これが、糸を紡ぐ機械)
多くの低い身分の人が服を着れないのに、なぜ私は服を着れるのか?
と、とても質素な暮らしを始めた。
掃除や洗濯はその当時カースト制度の中では「不可触民」という、日本の江戸時代に「えた・ひにん」と呼ばれていた人たちがやっていた仕事。それもすべて自分でこなしていたそう。
そしてアフリカの奴隷制度、インドの独立に働きかけ、数多くの功績を残す。
ガンジーはすべての宗教を尊重していたが、
最後はイスラム教をひいきしていると勘違いした人によって殺された。
アシュラムでは
ガンジーが住んでいたアシュラムでは、身寄りなない貧しい子どもを育てる取り組みは続いている。
私が行ったときには子どもたちがドアの修理をしていた。
聞くと、ここで寝泊まりしている子どもたちは衣食住に関わる教育を受けているという。
子どもたちは一般の学校で学ぶことだけではなく、セメントの塗りかた、工具の使い方、ご飯の作り方など、自立に必要なスキルを身につける。
彼らがいつこのホステルを追い出されても生きていけるように教えるそうです。
そうしたガンジーの試みは、始めは高いカーストの人から嫌われていましたが、最終的にはガンジーの味方になって戦ったそう。
その中のひとりはインド独立の為、500もある民族のもとに出向き説得し、インドという国を作り上げた。
同じ大陸国家なのに、ここが中国と大きく違うところだと思いました。
個人的に感心したのがこの表
看護学校でも似たような理論があって、要は生きていくための要である食事や、睡眠などの一番大切なこと。
その次は生活環境や知識と言った生活を豊かにするものなんかを図に書いて表したもの。
どこの国でも、やっぱり人間が生きていくための考え方って一緒なんだなって思いました。
そしてこの絵、実は郵便の宛名に書かれたもの。
なんとガンジーはあまりにも有名な人過ぎて、ガンジーって書きさえすれば住所が書いてなくても、海外からでもとりあえずインドに送られ、彼のもとに確実に届くのだそう。
これなんか、ただのイラストです。
ガンジーがどれだけ偉大な人だったのか改めてびっくり。
多くの民族、文化、言語、が混ざり合ったこの土地をインドという国にまとめて独立に導いたガンジーって本当にすごいと思いました。
大会に向けての練習
ネパールでは道が悪く、空気も悪いため全く走れていなかったミゾヨコ。
いくらアンナプルナで10日以上も歩いたとはいえ、走るのとは少し使う筋肉が違う。
今回の大会はハーフマラソンですが、全く練習できてないので不安がありました。
大会までに少し時間があったので練習することに。
ここアメダバードでも早朝は川沿いの道を走っている人もいるらしいんですが、宿からは遠い。
迷子になりかねないと思ったミゾヨコは、ジムを探すことに。
そして、何人かに聞いたところ、数キロ先にジムがあるとの事。
携帯で場所を確認し、いざ向かいます。
大きな通りからすこしこじんまりした住宅街をテクテク、子どもの声がキャーキャー聞こえたりして、アーメダバードの人たちの暮らしぶりを見ながら歩く。
すると、見慣れないサル発見!!!
っちょーかわいい♡
こんなサル、動物園でしか見たことない!
どうも、近くに寺があるから、このあたりで生活している野良猿なんだろうな。
ほんとなんでもありだな、さすがインド。
この調子で、野良ラクダとか、野良ゾウとか出てきてくれたら楽しいんだけど。
そして、着きました!
ジムで見た主婦のランニングウエアはこれ!
ここは、もともとダイエット目的の人だけではなくスポーツ障害、腰痛とかの治療もやっているようなところらしい。
だから、お金払ってはいどうぞーじゃなくて「先生」って呼ばれる人にいろいろ見てもらってから運動を始めるらしい。
ただ、私の場合二日後にはレース会場に行くわけだし、診断とか別にいらないし、1回でいいんだけどってことで300ルピー(500円)払って走らせてもらうことに。
すると、日中だったから周辺地域の奥様方が続々と来て走ってるんだけど。
それが、なんと・・・・・・・
普段着!
しかも、ストール付
びっくりして、ジムの人に聞いてみたけど普通のことらしい!
ほー!
何かを始めるときはまず形から入るミゾヨコにとっては衝撃。
一か月の会員になると月に4000円位するらしいから、お金を持ってない人達ではないんだけどなあ・・・・・・
インドではまだ用途別に服を着換える発想があんまりないのかな。
海だってサリーで入るみたいだし、工事現場の女性も作業着なんかなくてフツーにサリーで仕事してます。
さすがにナースは違うだろうけど・・・・。気になる。
そしてランニングの後は、スタッフの人たちとチャイ飲んで夕日と語らい帰りました。
そして翌日から大会のための移動が始まるのでした。