このお話は「車椅子外国人と丹頂ツルを見に釧路に行ってきました」 、「車椅子高齢者の一人旅って?しかも外国人だとどんな感じ?」に続く第3回目のインド編です。
これまでのあらすじ
世界一周中に出会った車椅子の老人(A氏)の夢を叶えるべく、ガイド兼ナースとしてインドを案内することになったミゾヨコ。彼の農場で生活した経験から、彼の生活習慣や性格を把握していたつもりであった。しかし、いざ日本に来てみると予想外のトラブルが次々と起こる。A氏がインドにつく前日にミゾヨコは先立ってインドに行ったのだが・・・・。
インド
1ルピー=1.6円(2019年)
十三日目の続き
上海経由でニューデリー空港についたミゾヨコ。最後にインドに来たのは2018年の4月だ。まさか自分がまたここに帰ってくるとは思ってもいなかった。
正確には日本に帰国してから数週間は、いずれインドに帰ってくるつもりだった。しかし、俗に言う破談で、ここに帰る理由が無くなってしまっていたのだ。
旅をしていく中でインド人と数々の衝突を経験し、最終的には彼以外のインド人は全員嫌いになっていた。そして彼との縁がなくなったことで、インドという名を聞くのも嫌悪を感じるほどインドのことが大嫌いになっていた。
それがどうしたことか。「インドなんかもう二度とくるかボケ」から1年半が過ぎ、またしてもインドに帰ってきてしまった。不本意ながら感慨深い。
荷物を受け取るまで2時間も待たされた後、出口でSIMカードを購入した。ここで早速インドの洗礼を受けそうになる。
インドのSIMカードは、開通するのに24時間かかることもある。街で買えば通話とインターネットが使えて数百ルピー程なのに、900ルピーもかけてわざわざ空港で買うことしたのは、A氏と一刻も早く連絡を取れるようにするためだった。それでもムンバイで落ち合うはずの彼がくるのに、すでに20時間を切っていた。その為、彼と合流するまでに無事開通されるのかどうか不安であった。
空港を出ると、Uber専用の乗車レーンができていた。自称ではあるが、「インドのプロ旅行者」であるミゾヨコは、獲物を探しながらうろつく怪しいインド人に話しかけられても、迷いなく目的地に進むことができる。市街地までのメトロのチケットを買い、メインバザールまで余裕でたどり着いた。
相変わらず埃っぽいメインバザールは、露天商が店じまいの用意を始めたところであった。
ゴミにあふれ、客が少なくなった通りを歩く旅行者は、嘘つきインド人の格好の餌食。まとわりつく安宿の客引きをかわしながら路地を進んでいくと、馴染みの安宿にたどり着いた。
ハローマイフレンド!!!
ここの店員とは昔大げんかをしたこともあるのが、今は仲良し。宿の雰囲気も以前と変わらず、元気そうで何より。
しかし以前より値上げしていて、シングルで600ルピーとなっていた。
えー。いつもデリーに来たらここに泊まってるんだから負けてよ〜。前は400ルピーだったじゃん。
店主もまんざらではない表情だが、今回は500ルピーまでしか下がらなかった。一泊しかしないのだから仕方がない。部屋は薄暗く、水周りもそれなりだが勝手がわかっているので落ち着く。
wi-fiがつながったところで早速友人経由でA氏と連絡をとる。彼は無事に成田のホテルに着いたそうだ。こちらの電話が開通していないのでSMSが使えず不便だが、明日ムンバイでの空港ピックアップは予約してあるのでなんとかなるだろう。
荷物を置いて駅前のダバ(安食堂)へ行向かう。この辺りでSIMカードを買えばもう少し安かったのだけど、明日にはここを離れる。料金だけ騙し取られても、文句を言いに帰ってこれないので空港の方が安心だ。(と、この時は思っていた。)
ご飯を食べた。今日は豆カレとチャパティーのセット。(40ルピー)
薄いカレーだが久々のインドカレーに少しテンションが上がる。
十四日目
今日はデリーからムンバイに移動する。フライトは13時なのでゆっくり起床し、ぼーっとしていた。そろそろチャイでも飲みに行こう思い始めた頃、友人からのLINEで完全に目が覚めた。
A氏が今更になってインドビザの心配をしているらしい。
何を今更?釧路の旅で、自分の息子の事を「あいつはいつも直前まで何もしないでヘマをする」と不手際の悪さに散々悪態をついていたではないか。こんなところまで私を呼んでおいて、今更インドに来れないなんてありえない。
結局友人を介して何度かのやり取りをした後、無事にビザの確認が取れて搭乗手続きを進めていると連絡があった。
やれやれ。シャレにならない事を言うのはやめてほしい。
実のところ、A氏の傍若無人ぶりに嫌気がさした時期はあった。あの体のでかいわがまま半ボケ爺さんを、インドで面倒見る自信がない。ここまでの交通費や給料はすでにもらっているので、いっその事インドに入国できず、さっさと母国に帰ってしまえばいいのに。そんな腹黒い妄想をしていたこともあった。
近くで朝食を食べて宿に帰ると、インターネットに繋がった途端にLINEの受信音が鳴った。
「新着メッセージ5件」この時点であまりいい知らせではない気がした。
「A氏が京都から送ってきた荷物が届いたんだけど、かなり大きくてスーツケースに入らないかも。」「部屋が狭いのにかなり迷惑」
何だそんな事か。A氏の性格からして、京都で大量にお土産を買っている事は予測していた。その上インドで使わない冬服を送るように言ったのだから、荷物は大きくなるだろう。
「今A氏からメールあり。今日、飛べないそうです。」
そのあとのメッセージは彼女からの不在着信通知と、A氏からの長文をそのままコピペしたものだった。
どうやらA氏はビザの申請料を払わずそのままにしており、ビザが下りていなかったようだ。そのせいでこれから日本のインド大使館に連絡をしたりフライトの変更をしないといけないとのこと。
すぐさま友人に電話をした。A氏にもスカイプで連絡を取ると、事態はかなり深刻だった。ビザが「承認」となっていたため搭乗手続きまで進んだものの、空港職員がもう一度ビザのステータスを確認すると、許可が下りていない事になっていた。そして申請料金が支払われていないことが発覚したそうだ。
空港職員がビザのサポートセンターに問い合わせてみたが繋がらず、結局搭乗手続きはキャンセルになったのだ。
呼ばれざる旅人
インドは「呼ばれた人しか行くことができない国」と言う。この言葉が本当なら、残念ながらA氏はそう言うことだ。彼は小難しいビザ申請を、業者への代行代をケチって知り合いに頼んだ。その知り合いは確かに申請はしたのだが、お金を払うプロセスがあることを彼に伝えていなかった。もしくはただ単に彼が忘れていた可能性も十分にある。明確なのは、彼は今日ムンバイに来れないという事だ。
兎にも角にも、一刻も早くビザの支払いをしたいA氏だが、日本のインド大使館もやっぱりインド。ランチに行くからあとで掛け直して欲しいと言って取りつく島もない。空港職員や友人、デリーにいるミゾヨコを含めて総動員でインドのビザセンターへ電話をしてみたが、繋がることも稀な上、やっとつながっても全く取り合ってもらえなかった。
ムンバイに向かうフライトの時間が迫り、私は宿のチェックアウトをして空港に向かった。
チェックインは長蛇の列で、おまけに一番右のカウンターでは憤慨したインド人とアジア人が大声をあげていた。理由はわからないが、航空会社の落ち度があったのは雰囲気でわかった。日本人ならまず相手をなだめる枕詞から発するだろうが、そうした教育は受けていないのだろう。相手の感情を一切無視して、できないことはできないと言い放つカウンターのインド人。それでは困ると食い下がる客達。温厚そうなスーツ姿のアジア人がブチ切れているのだから、相当だな。
そんなイザコザが終わるや否や、今度はムンバイ行きの搭乗時間が迫ってしまい、空港職員に連れられてショートカットで手続きを済ませた。
ムンバイ行きの飛行機が離陸し、これからの事を考えた。
彼がインドに来なければと一度は願ったものの、まさか本当に来れないとは思っても見なかった。五つ星のホテルは流石に当日キャンセルは無理だろう。それに、ピックアップの依頼もすでに頼んである。とりあえずホテルにチェックインしてからビザの状況を確認して、話し合うしかない。
SIMのアクティベート
ムンバイに到着し荷物をピックアップしたのは夕方の5時前だった。携帯の方はアクティベートはしたのだが、何故か未だ使えない状態。不安になったミゾヨコは、ムンバイの空港にあるエアテルに聞いてみた。
すると怪訝な顔したスタッフは「これ、いくら払ったの?」と聞いてきた。
素直に金額を言うと、さらに顔をしかめたまま、怒ったような何とも言えな表情で「アクティベートはされているけど、お金がチェージされてない。電話してみるから待ってて」と言う。
レシートを取っておいて本当に良かった・・・・。ホテルのピックアップの時間まではもう少しある。今後のやり取りに備えて、とりあえずここで携帯を開通しておいたほうがいい。
スタッフがニューデリーのエアテルのに電話し続ける事30分、やっと繋がりチャージしてもらうことができた。
しかし、そこに書かれていたのは約500ルピー分のチャージがされたと言うメッセージ。
元々のプランも結構高いものしか選択できなかったのかもしれないが、手数料に400ルピーか・・・・・。いや、彼が電話してくれなかったらこのまま500ルピーもネコババされていた可能性もあるのではないか。ほんと勘弁してほしい。
とりあえず彼のおかげで携帯が使えるようになったので、お次はホテルのピックアップの人に電話をしてすぐにホテルに連れて行ってもらった。
Ramada Plaza Palm Grove
無事ホテルに着いたミゾヨコ。
五つ星ホテルだけあって、今朝までの宿の雰囲気とは雲泥の差。流石にところ変われば品変わる。まず、当たり前だが設備が綺麗で威厳のあるフロントデスク。もちろんこんなバックパッカーでも敬意を持って接してくれる。出来るだけこのホテルに適した旅行者を装ってチェックインに挑んだ。しかし、ものの数分でその思いは打ち砕かれた。最小限の服しか持参して来なかったため、どうやったって私はバックパッカーにしか見えないのだ。もっとこぎれいな服も持って来ればよかった・・・・。
おまけに私のスマホは、長年にわたる雑な扱いで画面が相当バリバリになっていた。以前、地元の女友達に「画面が割れてほったらかしの女はヤリ●ンが多いらしいよ」と揶揄われた。しかし機能的には問題なく使えているし、どうせインドに行くなら帰ってきてから修理すればいいと思っていた。しかしまさかこんな格式の高いホテルのチェックインで見せることになるなんて、本当に自分がヤリ●ンだと主張しているようで恥ずかしかった。
そして予約の名前がA氏だった事でチェックインに相当時間を要した。そりゃ国籍も性別も世代も違う人がチェックインにきたら戸惑うのも無理はない。おまけに婚姻関係ではない男女が同じ部屋というのも問題なのだろう。彼ばビザの件で日本に留まっている事、私は彼の専属看護師でと、あれやこれやと説明し、A氏が予約に使ったクレジット番号4桁を伝える事でやっと部屋に入れた。
ところが部屋に入ると、ベッドがツインではなくキングサイズひとつであった。
今日は一人だから構わないが、A氏が来たらツインにしてもらわないと困る。正直なところ同じ部屋という事でもストレスなのに、同じベッドに寝るなどもっての外だ。
もう数ヶ月前になるが、インド行きを決めるときに、お金や宿のことを詳しく二人で話し合った。ここで私のおくゆかしさが仇となって現れた。
付き添いでインドに来るのだから移動費やホテル代は出して欲しいが、貧乏パッカーの私は彼と同じホテルに部屋をとってもらう事を遠慮したのだ。ツアーのコンダクターでもそうだが、クライアントが例え5星ホテルに泊まっているからと言って、自分も同じグレードの部屋に泊まれるわけではないだろう。
かと言って、5つ星ホテルのあるエリアに安宿などあるわけがない。どうしたものかと悩んでいるとA氏から、「ミゾさえ良ければ部屋をツインにして一緒の部屋に泊まらないか」と言われた。
彼の性格と身体機能からして、夜の変なお誘いがあるとは考えにくい。加えて彼が何度も夜間に起きてトイレに行くのも知っている。高齢者が慣れない環境で転倒し、骨折するなんてことはよくある話だ。何かトラブルがあり、夜間に助けが必要になること考えれば、ツインをとって一緒に寝泊まりした方が色々と都合がいい。
そんな事情など知る由もなく、インド人は何事もなかったかのようにキングサイズの部屋を選んだのだ。変な勘ぐりはないだろうが、ここは私の名誉のためにも主張した。例えスマホの画面がバリバリだったとしても、私はヤリ●ンではない。「明日以降、A氏がインドに来たときには必ずツインにして欲しい」と。
インドビザ
無事に私のリクエストが聞き入れられると、今度はひと息つく暇もないままA氏とコンタクトを取った。A氏は私のインドの番号に長文のメールを送ったらしいのだが、アクティベートの前だったからなのか届いてない。コピーアンドペーストして送り直してと言ってみたが、そんなスキルは彼にはない。
スクリーンショットで丁寧に説明すると上手くいったようで、壮大な長文メールが送られてきた。
要約すると、どうしてこういう事態になったか(省略)。ビザ申請をした本人が母国のインド大使館に取り合ってみる。日本にいる友人にも手伝ってもらい日本のインド大使館にも連絡を取っている。最悪の場合、今からビザを申請して4日後にインドにくるからミゾヨコの予定も調整して欲しい。インド行きのチケットはとりあえず明日まで無料で変更できるが、以降は返金不可でチケットが無効になってしまうこと。もしインドに行けなかった場合、私に支払った賃金の返金はできないだろうという、暗に返金を希望する内容とともに謝罪の言葉がちりばめられてあった。
ここまで来て返金は困るが、トムソーヤがインドに来れないのは後味が悪すぎてもっと困る。
とりあえずA氏のビザをもう一度確認してみることにした。一刻も早く支払いを済ませて、ビザを承認してもらいたい。しかしそんな願いも虚しく、申請は支払いの期限が過ぎてしまっていたようで新たに申請し直す必要があることが分かった。
おかげで、もうあれこれ連絡したり交渉したりする必要がなくなった。私にできることは、出来るだけ早くにビザを申請し、その後の予定を調整することだ。
他人の、ましてや違う国籍の人のビザ申請などしたことがない。国によってはビザ自体が不要だったり、ビザの申請方法や料金が違ったりする。ややこしそうだが仕方がない。
しかし、ビザの申請は日本人のそれと全く同じであった。申請完了と支払い完了メールを受け取りホッとした。
とりあえず、ダメもとで表示されているビザのサポートセンターに電話してみた。高齢で障害を持っていることを盾にビザの申請を早めてくれないかと交渉してみたが、やっぱりそこはインドだった・・・・。電話に出ても無言のまま切られてしまい交渉すらできない。
なんなの?この無責任な仕事が許されるインドって。と頭にきたが、日本の政治家の騒動も大差ない気がして悲しくなった。
いずれにせよ、できることは全てやった。後は問題なく私の申請したビザが受理されるのを待つだけだ。長い長い一日が終わった。私は、キングサイズの最高に寝心地のいいベッドに倒れ込んだ。
十五日目
ビザの承認は申請してから72時間以内となっている。私の場合はどうだったのかを調べてみると、意外にも丸一日ほどしかかっていなかった。
・・・と言うことは、A氏も今日中にビザがおりれば明日にはムンバイに来ることができる。A氏のフライトは今晩までにビザが下りなければ、変更はできずに捨てることになってしまう。
昨日から変わらず、A氏も私もビザサポートセンターに電話をかけ続けている。はっきり断られたのならまだしも、電話に出なかったり切られたりばかりでまともに話をできたことがない。
そもそも、電話番号の後に個人の番号のようなものがあり、これを使ってくださいとなっているのだが、音声ガイダンスに沿って進んでいってもそんな長い番号を入れるようになっていない。英語が母国語の彼にしても同様で、二人して何の番号か判らないでいた。最低でもこの数字が何を示すものなのか知りたかった。
私たちは問い合わせのメールを送ってみたり、時々サポートセンターに電話をかけたりしながらビザが下りるのを待った。
その合間、せっかくビーチ沿いの豪華なホテルに泊まっているのだからと散歩をしてみたり、ジムに行ってみたりしたが全く落ち着かない。結局10分おきにビザのステータスを確認し、コールセンターに電話をかけてみたりして一日が過ぎてしまった。
十六日目
申請をしてから今日で2日目になる。「72時間以内に返事がある」と書いてあるのだからもう待つしかないのだけど、申請から72時間後に2番目に早く乗れる飛行機は、連休にかかり値段が高騰している。手続きや何かでビザ発行が遅れでもしたら、A氏の出費は多大なものになるだろう。
A氏は成田にある窓口ではなく、母国にあるチケットセンターに交渉をした。すると成田では無効だと言われていたインド行きのチケットを、300ドルの追加で変更できることになったらしい。ただ、帰国の日も延長する関係で、私の都合も聞いてきた。と言うか、予定変更にかかる費用はこちらで払うから1分以内に返事が欲しいと言われれば、もう答えは決まっている。
結局、明後日には遅くともビザは揃っていると言う前提で、インド行きフライトの予約を取り直すことができた。繁忙期のはずなのに運がいい。そうと分かれば、先の予定が見えてきた。ホテルの調整やインド間の移動方法を見直し、予定を立て直す。
A氏は明後日の夕方にはムンバイに来れる。彼を待ってムンバイから一緒にアラウンガバードに行ければ一番いいのだが、列車の新たな予約は難しく、フライトはすでに高騰していた。どの道アラウンガーバードのホテルの日程も変更できないので、ここは彼一人でムンバイから飛行機で来てもらうのが一番安上がりと言うことになった。
十七日目
今日は私がアラウンガーバードに列車で移動する日、そしてA氏のビザが下りる予定の日でもある。
だが全く音沙汰がなく、流石にA氏も私もイラついていた。彼は変わらず頻繁にビザの進行状況を聞いてくる。思い立ったらすぐ行動しないと気が済まないスーパーせっかち君だ。
この朝もパッキングを済ませて朝食に向かう途中に、ビザのチェックをして欲しいと言ってきた。30分ほど前に確認したのだが、A氏もこれから出かけるからその前にもう一度見たいらしい。私は後の予定が詰まっているため朝食を済ませてしまいたい。それに明日のチケットは既にあるのに、今あえてチェックすることに何の意味があるのか。一旦は理解をしたものの、5分しない間に催促がある。彼は私に朝食を急いで食べ、すぐに部屋に帰ってチェックして欲しかったのだろう。こうしている今も、彼は私に賃金を払っているのだから仕方ない。だが私の方もホテルの豪華なビュッフェを前にそこまで急ぐ気は無い。
ムンバイの列車の駅
ムンバイからアラウンガバードのに向かう駅は、少しトリッキーだった。と言うのも、ムンバイは大都市であるため、いくつも列車の駅がある。チケットにはLOKMANYATILAK T(LTT) と書いてあるのだが、略語があるのでUberにそのままLTTと入力して出発した。A氏とのやりとりで出発が遅くなってしまったミゾヨコは、地図でざっくりは確認しただけで全く疑いなくオートリキシャに乗っていた。
1時間近くかかり、列車が近くに見え隠れする地域に入った。ドライバーもキョロキョロし始め、時折私の表情を確認する。もう時間も迫っているのにまだ駅は見えてこない。Uberの地図では目的地までもうかなり近くに来ているのに、今度は渋滞が発生しているので中々前に進まない。インドの列車の駅は日本の大都市と同じく、かなりでかい。構内も迷う事が多いので、出発15分前くらいになると流石に焦り始めた。
ドライバーも私がどこに行きたいのか正確にはわからないらしく、現地語であれこれ話しかけてきた。私は列車のチケットを見せ、あと15分しか無いから急いで欲しいと伝えた。どうやらUberでピンが立っていたのはLOKMANYATILAKLTと言う地区だったらしく、駅はまだ2キロほど離れていると言う事が雰囲気でわかった。わかりやすく言うと、「渋谷区」にピンは立っていたが、「渋谷駅」ではなかったという事だ。それがわかってからは、ドライバーの運転技術のおかげで、なんとか5分前に駅に駆け込む事ができた。
いつもは掲示板を見ながら出発のホームを探すのだけど、そんな時間はない。大げさに焦っている表情を作り、近くの窓口に割り込み気味でチケットを見せる。窓口のおばさんは「あら大変もう出ちゃうわよ、急いで7番ホームね。」いつもは騙しにかかる怪しいインド人も、「7番はこっちから行ったほうが早い」と道しるべをかって出てくれ、無事に出発寸前の列車に乗り込む事ができた。
危ないところだった。この列車を逃すと次は夜行が出ているのだが、エアコンなしの自由席しか空いてないだろう。五つ星ホテルの一泊分も無駄になるところだった。ドライバーにアプリでチップを弾み、感謝の言葉も添えて送った。
列車はムンバイを抜けると、乾いた荒野を走り始めた。
それにしても、もうすでに丸2日以上が経過している。なぜこんなに遅いのか・・・・。
実はA氏と共通の知り合いに、ビザが下りず直前になってインド行きをキャンセルした人がいる。彼はA氏の息子とも仲が良く、いわゆる類が友を呼ぶタイプの人物・・・。どうせインドにビザがいることなど知らずに空港に行ったのだろう、と思っていた。しかし、念の為どんなシチュエーションだったのかを聞いてみた。
すると、ビザセンターへの支払いが銀行で止められて、ビザが下りなかったのだと言うことがわかった。事態は思っていたより単純ではなかったことを知り、背中に冷たいものが走った。テロが頻繁にある国だけあって、国をまたいだ送金は厳しいそうだ。
今回は私がビザの申請をして支払い、領収書も送られてきた。しかし、国籍が違う人の支払いと言うこともあり、段々と不安が強くなって来た。それに、もし申請書類に間違いがあったら・・・・。確認に確認を重ねたつもりでいたが、もし英語のスペルが間違っていたらと思うと不安が強くなっていった。
期限である72時間が近くにつれ、その不安は膨れ上がる一方だった。私がビザを申請したのだから、何かあるとすれば私の落ち度も否めない。いや、彼がインドに呼ばれなかったと言う気がしなくもない。
HOTEL Vivanta
ここ数年のインドの発展の中で、一番私が恩恵を受けていると感じるのはUber等のアプリによるタクシーサービスだ。ぼったくられる心配も、変なおみやげ屋に連れていかれる心配もない。しかしインドは州ごとに使える所とそうでない所があり、アラウンガバードでは全く機能していなかった。しかし、これから向かうのはこの街一番の高級ホテル。運が悪いと、行き先を告げるだけで料金は何倍にも膨れ上がり、行きたくもないお土産屋やツアー会社に直行されそうで厄介だ。
列車を降りるといつものように客引きをぞんざいに扱いながら、友人でも待っているかのように振る舞う。とりあえずホテルに連絡を入れ、オートリキシャで行く場合の目安料金を聞く。客引きのインド人の中から服装・見た目・礼儀・ホテルまでの料金などを比較し、後は長年培った経験に頼ってドライバーを選定する。
さすがにVivantaと言う印籠は、持っているのが例え小汚いのバックパッカーでも効果絶大。たった100ルピーしか払わないのに、お姫様のように荷物を持ってくれ、人混みの中をエスコートしてくれる。
ドライバーが通りがかりの仲間に「Vivantaの客」と得意げに耳打ちする。ホテルに送って行く間に私がドライバーを気に入れば、滞在中の移動やツアーは彼にお願いするかもしれない。そんな期待をしているのだ。つまり、ツアーからお土産から食事まで、全てにおいて自分の息のかかったお店に連れて行ける。そうすれば相当なコミッションが彼に入ってくるのだ。私は今、ネギを背負った太ったカモなのだ。
「こちらへは観光ですか?」努めて慎重に会話を始めるドライバー。
「仕事。」なるべく会話を広げたくないミゾヨコ。
「その後は観光しますか?」これからの予定を聞き出し、いろんな可能性を探る彼。
「ボスに聞いてみないとわからない。」決定権が私ではないことを暗に主張する私。
「ここは有名なお寺で・・・」「ここは旧市街で・・・」ホテルまでの道のりを案内し始めるドライバー。私の心をなんとか開き、今後に繋げたいのがよくわかる。しかし、なんだか言っていることが至極浅く、自信なさげ。
「ここがこの街で一番有名なレストラン。ベリーデリシャス。」と言ったところで、私が食いついた。情報として、知っておいて損はない。外国人に人気なレストランなら、A氏も行きたいと言うかもしれないからだ。
「何が美味しいの?」
想定外の質問に面食らい、あからさまに焦るドライバー。おそらく、本当は行ったことがないのだ。それを素直に言うのなら可愛げもあるのだが、パンにバターを塗るように、嘘に嘘を塗っているのが丸わかり。こうして彼は私と信頼関係を築き上げることなく、通常よりも安い料金で私をホテルまで連れて行く羽目になった。
今度のホテルはインド屈指の高級チェーンだけあって、テロ対策はかなりのものだった。
車のトランクや下側まで入念にチェックし、ホテルのエントランスでは荷物検査とボディーチェックを受けてやっとロビーに入ることができた。それもそのはず、2008年にムンバイで起きた同時多発テロで、同チェーンのホテルが被害に遭っているのだ。
そんなピリピリした空間をすぎると、今度は映画のひとコマのようなおもてなしが待っていた。大理石のフロアーにはゴージャスなソファー、大きな花瓶には生花がどっさり、光るべきところはすべて完璧に磨きあげられている鏡や柱、黄みの強い照明も手伝って全てが煌びやかに映される。そこにサリーを来た美女が迎え入れてくれ、額に黄色い粉をつけてくれた。続いて今後は男性がウエルカムドリンクを運んでくれたのだが、彼らの一連の動作がひとつひとつ丁寧で、本当にお姫様にでもなったような気分にさせてくれる。
ムンバイでの失敗から、私は今持っている服の中で一番こぎれいな格好で来たつもりだった。それでも私はトレッキングパンツにすっかり汚れたランニングシューズとバックパックと言う、正真正銘のバックパッカーには変わりなかった。おまけに30分前にはオートリキシャの値段まで電話して聞いてしまっている。貧乏丸出しにもほどがあるが、それを恥ずかしがったら負け。自分に言い聞かせ、毅然とした態度でチェックインに臨んだ。
チェックイン
話は変わるが今回の旅で感じたことは、日本人の標準的な責任能力がいかに高いかである。どんなに安いビジネスホテルでも、次の勤務者への報告連絡相談がされていて、誰でも同じ対応ができるようになっている。
それが、ムンバイでも支払いから始まり、A氏の車椅子用の環境整備、ピックアップの時間や便名、追加で予約した部屋の手配、全てにおいて2回以上は事細かに説明している。
ここにしても同じで、A氏が今回の事情を国際電話で説明し、わざわざ追加料金まで支払ってカード決済にしているにもかかわらず、また同じ話を私がしなければならない。骨が折れるにもほどがあるのだが、こんな薄汚い格好では折角のドヤ顔もただの輩にしか見えないだろう。それゆえ苛つきとは裏腹に、いつものだんじりミゾヨコは出てこなかった。
ただ、長旅で疲れた私にいい知らせもあった。このホテルは朝食だけでなく、夕食も無料で付いていたことだった。本格的なインド料理に加えて、コンチネンタル、東アジアのメニューも用意されていた。スタッフも超がつくほど気がきく人が多く、こちらが申し訳なくなる程であった。
ビザの行方
ビザを申請して70時間を過ぎた頃、A氏の緊張も最高潮となっていた。あまりにも絶好調すぎて、頓服の精神安定剤を飲んだと言うのだ。それで落ち着いてくれるのはいいんだが、明日の飛行機に乗り過ごすなんて事はないようにしてもらいたい。(まだビザは下りてないけど・・・・。)
とやきもきしてしていると、新着メールの音がなった。開いてみると、ビザセンターからだった。
ざっと読んだ感じ、申請が下りているような雰囲気。でも早まって間違えてはいけないので、注意深く文章を訳す。
GRANTED=認める、承諾する
やったーーー!
こうしてA氏のビザが下りた。
つまり彼は、インドに「呼ばれた」のである。
つづく
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