いざ、エベレストへ!ローカルバスと徒歩でエベレスト街道へ行くミゾヨコ一行
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  ミゾヨコ

この記事は2014年に書かれたものですが修正して2019年に更新しています。

   まる

2014年の為替は1ルピー=1円です。

ルート選び

エベレスト街道のトレッキングには、予算や日数によって様々な行き方がある。

もっともメジャーなのがルクラまで飛行機で行き、そこからエベレストが見えるベースキャンプまで往復するコース。

エヴェレストトレッキング

飛行時間は30分ほどなんだけど、ここはネパールの重要な観光収入源だけあって、外国人価格というのが存在する。

現地人とのその差、約3倍・・・・。

いや、そりゃ、しゃーない事なんです。先進国からやってきた私たちがお金を使わなければ、この国の経済は回らないんですから。

前回はこのフライトを利用して手早くエベレストを見る予定だったのですが、今回は少し状況が違いました。

そもそも、2年くらいで世界一周する予定で日本を飛び出してきたのに、1年と2ヶ月経ってもアジア圏を抜け出してないミゾヨコ。

もうこうなったら世界1周にこだわらず、行きたいところに好きなだけ行って、お金がなくなったら日本に帰ればいいやって方針に変わっていました。

前回のネパール旅ですっかり仲良くなった山岳ガイドのアレックスとオブセックに助言をもらって、ルートを考えてもらいました。

なので、行けるところまではバスで移動し、そこから一週間ほどかけてルクラまで歩いていく事にしたのです。

そして、ルクラからエベレストは、「エベレスト街道」と呼ばれるハイキングルートがいくつもある。

ミゾヨコ一行は標高5500mのカラパタールの頂上でエベレストを拝んだのち、5000m級の峠2つを通るルートでルクラまで帰ることにした。

そして、ルクラからカトマンズまではの帰りは同じ道なので飛行機を使う事にしました。

Day①【カトマンズ⇨Shivalaya】

2014年11月1日  世界一周420日目

今日からいよいよトレッキングのため、スタート地点シバラヤ村までバスで移動しました。この間まで、バスは隣村のジリまでしか通っていなかってけど、今はシバラヤまで道ができたそうです。

政府はルクラまでの道までバスが通れるようにする方針だそうですが、果たして2019年現在はどこまで開通したのでしょうか。

携帯の電波はジリまではなんとか届いたものの、この村では完全なる圏外。まあ、私は自然を満喫しにきたので電波なんて届かなくてもいいんですが、K氏は遠隔で仕事をしている関係でややイライラモード。

本日は移動だけで1日が終わり。K氏が日本から持ってきてくれたおやつを早くも食い散らかし、荷物を少し軽くする。

これから始まる長い冒険の成功を祈って乾杯。

Day②【Shivalaya1770m⇨Kinja1630m】

2014年11月2日  世界一周421日目 

シバラヤを朝7時に出発。

今日はトレッキング初日ながら、いきなりハードな工程。

標高1600mからスタートして3400mまで登った後は、一気に1300mのくだり。

シバラヤ

すれ違うネパール人に後どのくらい歩けば隣の村にたどり着くのか聞いて進むが、中々村は見えてこない。疲れて何度も休憩を挟む。

家畜のご飯タイム

家畜もご飯タイム。

途中で追い抜いたり、抜かれたりを繰り返す欧米人二人組と休憩が一緒になったので話しかけてみた。

ひとりはイギリス人で、もうひとりはイタリア人。ミゾヨコが気になったのはイタリア人の荷物の多さ。

山小屋を泊まり歩く今回のスタイルでポーターを雇わないトレッカーは、だいたい40リットル以下のバックパックに、重量もせいぜい10キロ以下って人が多い。

なのに彼は60リット級のバックパックに割と荷物が沢山入っている。

その巨大なバックパックから一体何が出てくるのだろうか。まさか、テント?!

ミゾヨコの心中を知ってか知らずか、彼はおもむろにバックパックの中をあさりだした。

そして荷物の奥深くから取り出した物をみて一同大爆笑。

なんと巨大チーズが出てきたのだ。

500グラムはあるチーズをおもむろに切り出して満面の笑み。

チーズとイタリア人

彼曰く、イタリア人はチーズとワインと珈琲が絶対必要らしい。

そして荷物にはなんとハムの塊とワインも出てきた。

これでもまだましな方で、彼の知り合いのイタリア人はストーブとエスプレッソメーカーまで持ってエベレストを登ったらしい。恐るべし。

トレッキング風景

その後も抜きつ抜かれつ道中を進んでいく。

今度は日本人のおじさんと20代の女の子に会った。

彼ら曰く、現地人が3時間でたどり着くというのは、あくまでも彼らの身体能力での事。3時間と言われたら私たちの足では4時間以上はかかるのだと。

その頃ミゾヨコ一行は長い登りの道の登りきったところで、まだ14時を少し回ったところだった。

ぐったりのK氏

ぐったりのK氏。

初日からアレックスたちが立ててくれた予定を遅らせるのは気が引ける。

これから後は降りだけ。1時間足しても18時には山小屋につけるのなら、一気にくだってみようとうことになった。

しかし、これがまずかった・・・・。

降りが楽なのは健脚な人にとっての話で、着地の衝撃が登りよりも強くなる降りは膝に爆弾を抱えるミゾヨコにはダメージでしかなかった。

登山道は傾斜がきつく、1時間ほどで膝が痛み始めた。結局、一段一段ゆっくりしか進むことができず、Kinjaに着いた頃には18時を余裕ですぎていた。

気分的にはフルマラソンを完走した時よりひどい疲労感。

心身ともに衰退しきった身体で一番初めに見えた宿にチェックイン。

ゲストハウスはまずまず清潔でいいのだけど、頼んだバケツのお湯が少なすぎて思うように汗を流せず、おまけに夕食のチョウメン(焼きそば)はびっくりするほどまずかった。二人は食欲も満たせぬままベッドに沈み込んだ。

初日からこんなに疲れ果ててしまい、不安になる一行。エベレストと言うか、ルクラまでもたどり着けるのだろうか・・・・。

本日の出費(11月2日宿泊二人分)

Day③【Kinja1630m⇨Lamju La3530m】

2014年11月3日  世界一周422日目

朝6時半に出発。現地の人の話では、昼には目的地に着くと言っていたのに、やっぱりもっと時間がかかる。

ネパールの行商

この苛酷な山を歩いて行商する人。働き者大国の日本代表、おしんでさえも太刀打ちできないだろうな。

Kinja⇨Lamju La

でも今日は登りばかりだったので、まだ膝への負担は少なかった。

Kinja⇨Lamju La

のどか。

車が通ることができない村を渡り歩くって、日本では絶対にない経験。

Kinja⇨Lamju La

お昼すぎには曇りに。

Kinja⇨Lamju La

今日は降りこそなかったが、2000mも標高が高くなった。富士山に登るくらいの過酷さか?

K氏は体調が優れないようで早々に寝た。

Day④【Lamju La3530m⇨Phurteng(標高不明)】

2014年11月4日  世界一周423日目

4日目にしてわかったことだが、どうもミゾヨコ一行の歩くペースは、ネパール人の1.5から2倍の時間がかかることがわかった。

Lamju La⇨Phurteng

Lamju La⇨Phurteng

農作業中の人たち。

Lamju La⇨Phurteng

ぐったりのK氏

Lamju La⇨Phurteng

最近は体力がついてきたのか、少々のアップダウンは割と平気。

Lamju La⇨Phurteng

チベットの文字。なんて書いてあるのか不明。

Lamju La⇨Phurteng

今日はフラットな道が多く割と楽に目的地に着くことができた。

Day⑤【Phurteng】

2014年11月5日  世界一周424日目

昨晩、K氏が高熱にうなされた。大事をとって今日は休養日とする。お昼から洗濯したりシャワー浴びたりしてゆっくりできた。

Phurtengの宿のオーナー

宿のオーナーとカリフラワー。サイズ感がおかしい。

ここで毎日奥さんと日向ぼっこしてるみたい。

日本と比べると、ないものだらけ。でも幸せはここにあると思うとほっこり。

洗濯物とK氏。標高が高いので顔が腫れている。

なんとか乾いてよかった。

Day⑥【Phurteng⇨Ringmu】

2014年11月6日  世界一周425日目

ハイキング再開。

Phurteng⇨Ringmu

今日もアップダウンの少ない行程。

Phurteng⇨Ringmu

村の大切な搬送手段はロバ

Phurteng⇨Ringmu

紐をつけなくても、ひたすら荷物を運ぶロバ。

Phurteng⇨Ringmu
Phurteng⇨Ringmu

この頃には、毎日の歩行に余裕が出てきて写真をとる。

Day⑦【Ringmu⇨Bupsa(2300m)】

2014年11月7日  世界一周426日目

本日も道が平坦なため楽に歩けた。

ロバと吊り橋

昔食べたことのある木ノ実。

今日のにゃんこ


今日の山小屋では、ホットシャワーやお湯、ブランケットなどを込みの値段で交渉した上で泊まった。なのに、後になってしっかり追加で請求されてもめた。

でも、それ以上にここのピザは美味しかった。何かしらの欲求が満たせられれば、意外と怒りも早く治まるものだと感じた。

Day⑧【Bupsa(2300m)⇨Lukla(2840m)】

2014年11月8日  世界一周427日目

7時半に出発し、エベレストの玄関口であるルクラを目指す。早くに出発したこともあり、午前中はすいすいと進んだ。

雪山が少しずつ近くなってきた。

しかし、変なおじさんにつかまり、つまらない世間話に時間を取られたあたりから二人のテンションは下がってしまう。軽快だった足取り徐々に重くなり、おまけに進む道を間違えてしまいルクラに着いた頃にはあたりはすっかり真っ暗になっていた。

それでも、空港がある村だけに煌々と光るレストランの光を見ると嬉しくなった。久々に文明に触れることができる。インターネットの繋がる宿に宿泊する。

ここで初めて「ヤク」を食べた。

そうそう、あの「ダメ!絶対!」のやつ。

・・・・・。

ではなくて、本当はヤクと言う山岳高地にしか生息できない牛科のステーキを食べた。

しかし、出てきたのは真っ黒焦げの岩のように固い肉。冗談抜きで、肉とか呼べないカッチカチのやつ。

これが「ヤク」の肉?いや、去年ネパールで仲良くなったサニーちゃんは美味しいと言ってた。初めて口にする食べ物の文句を言うのは気が引けたが、恐る恐るオーナーにこれは普通の固さなのか聞いてみた。

すると、あっさり新しいステーキを焼き直して取り替えてくれることになった。

ん?焼きすぎたけど、文句言わなそうだからそのまま出したの?オバハン、私のことなめてるの?

どこかスッキリしないけど、次に運ばれてきたヤクのステーキは、肉の味がしっかりしてとても美味しかった。

Day⑨【Lukla(2840m)】

2014年11月9日  世界一周428日目

朝はゆっくり目に起きて出発。昨晩は真っ暗の中で到着したのでよくわからなかったけど、ミゾヨコ一行が想像していたよりもこの村は栄えていた。おしゃれなパン屋やカフェもあり、K氏がここで溜まった仕事がしたいと言うのでもう一泊ルクラでゆっくりするとこにした。

欧米人トレッカーのおかげで、ルクラからナムチェまでの間の洋食のクオリティーは高い。

ルクラのカフェ

Day⑩【Lukla(2840m)⇨Monjo(2835m)】

2014年11月10日  世界一周429日目

朝からがっつり、ハンバーガーを食べてスタート。

illycafe

美味しいものをしっかり食べたし軽快に進む。

Lukla⇨Monjo

このルクラからは沢山の登山客がいるため、道もいいし村もこぎれい。

Lukla⇨Monjo

いたるところにゴンパがあり、チベット文字の書かれた石版が沢山。

Lukla⇨Monjo

ゴンパの白さわざとらしくて、なんだか微妙・・・。

と、ここでミラクルなことが起きた。

なんと、ミャンマーで友達になった世界一周仲間のシンシンが、エベレスト側から降ってきたのだ。

この間はT君と再会し、今日はシンシン。地球って意外と狭いのかもしれない。

大きなマニ車。

マニ車

これを回すことにより、読み書きができない人達もお経を読んだのと同じご利益があります。

ランチのお釣りでもらった100ルピー。なんかおかしい。

右下が中国の1元?

残念なことに価値がないお金を受け取ってしまった。すぐに気がつかなかったのが悔やまれる。

100円ちょっとのことだから思い出にとっておくことにしよう。

Monjo

またさらに雪山が近くなってきた。

チェックポストで許可証を見せます。

chhumuwa チェックポスト

ここでロバを借りて上に登ったり、荷物を運んだりもできるそうです。

14時過ぎにはモンジョに到着できた。

太陽光熱のシャワーを浴びて、ゆっくりできた。

本日の宿

後になってわかった事だけど、あまり評判が良くない宿のようだった。

moutkarashlodge&restaurant

ふたりで食事を含む宿泊代が6000円ほど。かなり食べたり飲んだりしたが、この辺りの物価を考えると高過ぎなのかも。でもwifi(も有料だけど)使えるのがありがたい。

ちなみに以前の田舎の宿は2000円かからなかった。

Day11【Monjo(2835m)⇨Namche(3440m)】

2014年11月11日  世界一周430日目

またチェックポスト。

jorsalle entry point

10月は一万人近くの人が訪れているみたい。

jorsalle entry point

いくつかの吊り橋を渡る。

日本ではほとんど見ないが海外では重たい物を運ぶ時、頻繁に頭の上に乗せる。

この人は肩と首で荷物を持ち上げている。首でする相撲があったら絶対強い。

ナムチェに到着。この規模の街はこれで最後。

ナムチェ

ここで買い忘れたトレッキング用品は全て揃う。ミゾヨコは雪の峠ごえを想定してアイゼンを追加で買った。

Day12【Namche(3440m)⇨Tegboche(3860m)】

2014年11月12日  世界一周431日目

朝8時に出発。

宿を出てしばらくずっと登り道。

文明の村でこれからの非常食やおやつを買い混み過ぎて、荷物が1キロくらい重くなった。だって、エベレストをまじかに見ながらビールで乾杯したいじゃないですか。(現地に売っていたのを見たときのショックは計り知れなかった)

今日は標高600m高くなる。600mと言えばそんなに辛くないように感じるけど、スタート地点がすでに標高3400m。酸素は薄いのに荷物はさらに重くなると言う苦行。

こんな山奥でも、巨大な荷物を颯爽と運ぶシェルパの人には尊敬しかない。

道を整備するための募金を募る人。

テンボチェについた。すぐ横に、さらに小高い丘があったので高所順応がてらに登る。

どれがなんて言う山かなんてわからないけど、すぐそこに5000m級の山が見えてると思うとワクワクする。

高いところには必ずゴンパがある。

宿まで降りてみると、ちょうどヘリコブターが荷物を搬送してきていました。

前半まとめ

シバラヤからの道のりは初日がかなりきつめ。最初から張り切らずにもう少し余裕を持った日数配分にすればよかった。

景色はナガルコットと良く似た感じでよかった。

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