このお話は「車椅子外国人と丹頂ツルを見に釧路に行ってきました」 、「車椅子高齢者の一人旅って?しかも外国人だとどんな感じ?」、インド車椅子旅【ビザトラブル編】、「トムの車椅子エローラ探検記」に続く第5回目の最終回です。
これまでのあらすじ
遺跡を見ることを夢見るトムソーヤ(A氏)を支えるためインドに来たミゾヨコ。エローラ遺跡は、アリと言う青年に出会ったおかげで無事に見ることができた。次のミッションはアジャンタ遺跡。
インド
二十三日目の続き
車椅子の代用
未舗装の道を暴走タクシーに揺られて耐えること3時間、アジャンタの遺跡を巡る前からヘトヘトになってしまったミゾヨコ一行。客引きの誘いを断れず、トムの荷物をマドハンドのお土産屋に預けた。これでトムは遺跡を見た後に、このお土産屋に寄ることが決定した。マドハンドは上客との確約が取れたことで上機嫌となり、他のマドハンドに横取りされてはいけないと思ったのか、バス乗り場まで一行についてきてバスが出発するまで見送ってくれた。
バスはアジャンタのチケット売り場から50m程のところに停車した。トムは歩いてチケット売り場まで行く気はないらしく、私は走ってチケット売り場まで行きドーリーを探した。
そもそも、ドーリー(Doli)とは何か。ドーリーとは神輿のことで、竹でできた椅子を4人で担ぐ。アジャンタはチケット売り場からメインの遺跡まで傾斜が強く、階段が多い。そのため、車椅子ではなく人力で人を上まで運んでいるのだ。
料金は明朗会計だった。チケットセンターを少し入ったところに看板が立てられていた。その周りの木の下で、赤いチョッキを着たインド人が何人も待機していた。
「ハローマダム!」
その中でもリーダー格の男がドーリーの営業にきた。今回は値段がわかっているだけに交渉が楽だ。しかし、インドあるあるで、ツアーを終えてお金を払うようになってから揉めることがよくある。それを避けるため、トムは身体が大きいこと、彼の気がすむまで時間をとって見学させてほしいというお願いをした。
「イエス!イエス!アイム、パワフルマン!ノープロブレム!」
ありがちなインド人の返事だ。なんだか不安はあるが、彼を断って他を探すほどドーリーも沢山はいない。仕方がないので彼らとともにトムを迎えに行った。
トムとリーダーは軽く挨拶を交わし、早速椅子に乗り込む。
すると、まるでベルトコンベアーにでも乗ったかのようにあれよあれよと坂道を登り始めた。まあ、考えてみると100キロを4人で割って25キロ。時々休憩し、ポジションを交代しながらなら、やれないことはないか。何回か休憩を挟み、四人とも汗だくになったところで遺跡への入り口にたどり着いた。
「マダム、僕たちが止まるのはここの他にはあと3箇所だからね。他は階段があっていけないから。」
たたみかけるようにリーダーが私に言ってきた。おいおい、話が違う。ゆっくり彼が行きたいころに連れて行ってくれるのではなかったのか。しかし、まだツアーは始まったばかり。必要であれトムも何か言うだろう。反論したくなる気持ちをグッと抑えて、とりあえず成り行きに任せた。
遺跡見学
遺跡の入り口にいる警備員に軽く挨拶をして、真っ暗の洞窟に入る。ヘッドライトを付け、中に進む。なるほど。噂には聞いていたが、エローラよりもペイントが残っている部分が多い。
以前は「エローラ=男女のエロティックな彫刻」を勝手に思い描いていたが、エローラもアジャンタもそんな印象は無かった。
おそらく、カジュラホと間違えていたんだなという結論に至った。おそらく、そのネーミングから安易に結びつけてしまったのだろう。自分の安直さが恥ずかしい。
遺跡を出ると、A氏に椅子に乗るようにたたみかけるリーダー。肝心のトムは強引なリーダーに意見することなく大人しくしている。
「トム、隣の遺跡は見ないで次に行っていいいの?」
うしろ髪を引かれながら恨めしそういしている彼を見ると、流石に私も黙っていられなくなった。
「あそこは何もないからノープロブレム!」
リーダーはそう言い切り、さっさとトムを乗せて次のポイントへ向かって歩き始めた。その毅然とした態度にトムも何も言えず、ただ身を任せて椅子に揺られていた。
そして、いくつも遺跡を飛ばしてどんどん先に進み、あっという間にトム将軍の御一行は遠くに行ってしまった。
運んでなんぼの流れ作業で稼ぐインド人にとって、トムが楽しめたどうかよりも彼がどれだけ早く一周できるかが重要なのだ。やっぱりもっと念押ししておけばよかった。
はあ・・・。エローラで会ったアリがいてくれたらいいのに。でも、ある意味これが本当のインド。怒る気にもなれず、とりあえず彼が観ることのできなかった遺跡を黙々とカメラに収める。
私は先を急ぐトム将軍に追いつくべく、かなり巻いて写真を撮って進んでいた。
歴史に興味ない私にとっては、正直どれもあまり変わりない。しかし、これらの遺跡が全て一枚の大きな岩をくり抜いてできたと言うのはにわかに信じがたい。
これを作る為に費やした月日と労力を思うと圧倒される。
こんな見事な遺跡を観ることなく通り過ぎてしまったのかと思うと、トムに申し訳ない気さえしてきた。
急いで進み、全体の半分ほど行ったところでやっと将軍御一行に追いついた。
リーダーは不機嫌な私に気がつくわけもなく、「将軍のお守りは責任を持ってやっている」と主張するかのよう淡々とトムの様子を報告してくる。その態度に腹が立って、私は彼の顔を覗き込み、思わず言ってしまった。
「彼は遺跡を見るために遥々インドまで来たの。こんなに遺跡を飛ばして進んでいるのに、本当に彼が満足していると思う?」
リーダーの右目がピクついていた。こんなこと、彼らに言っても仕方がない。彼らは彼らの仕事をしただけだ。でもアリの献身的な仕事振りを思い出すと、言わずにはいられなかった。
こうなったら、鼻先に人参をぶら下げるしかない。
「よく聞いて。満足すれば、彼はそれ相応のチップを払うのよ。」
「本当に?」一瞬にして目が輝いた。
「だから彼が行きたいところに行けるように、一緒に手伝って欲しい。」
それまでは興味なさそうに出口で待っているだけだったが、今度は私に耳を傾けるようになり、トムと階段を上がるのを手伝い始めた。
「本当にチップがもらえるの?」「君が彼にチップのことを言ってくれるの?」トムが遺跡に夢中になっている隙に何度も確認してくる。
「彼はそんなことわかっている。貴方は彼をハッピーにしてくれたらいいんだよ。彼がハッピーなら、彼は貴方をハッピーにしてくれるから。」
腹をすかせた馬は、人参を目のまえにして俄然やる気になった。
リーダーはアリのように器用ではなかったが、階段を上がる彼のサポートもするようになった。そして、手のひらを返したように将軍さまのご機嫌を取りを始めた。
本当はもっと前からこうして欲しかった。最初から褒美をチラつかせる方法も無いことはない。しかしそれで納得の行くサービスが受けられないと、チップを払う気が無くなる。すると、チップがもらえると思っていた相手をがっかりさせてしまい、お互いに嫌な気分になる。結局人は、自分の努力は過剰評価するし、他人の努力は過小評価するのだ。他人と自分を同時にハッピーにすることは簡単ではない、いつもそう感じる。
リーダーが将軍にべったりになったところで、私は彼が行きそびれた遺跡を撮りに再び離れた。
本当は説明文も読んで構図を考えてから撮りたいが、仕方ない。ざっと見てライトアップしてある遺跡を撮って急いで帰った。
将軍の集団に再び追いつくと、今度はワザとらしいほど息を切らせてリーダーが詰め寄ってきた。どうやらトムを背負って階段を上がってきたらしい。
100キロはあるあの巨体を背負って登るなんて、尊敬こそするものの、アピールがわざとらしすぎて素直に感謝できない。人は褒美でこうも変われるものなのか。もしチップの話がなかったら、トムはさっさとカゴに乗せられて出口で降ろされただろう。
トム将軍は相変わらずマイペースに遺跡を見ていた。スキップしてしまった遺跡のことが気になる様子なので、帰りに寄ってもらうように提案した。
そして、最後の遺跡まで来た。
26番目の洞窟。
繰り返すが、この遺跡全体が巨大な一枚岩を削ってできている。平地に土台のコンクリートを流し込み、後から仏像を設置したわけではない。全てが一発勝負の真剣勝負で、失敗は絶対に許されない。こんな超大作を紀元前から約1000年に渡り造り続けられてきたのも凄いことだが、これがその後ジャングルに隠れてさらに1000年もの間、誰にも発見されることなく守られてきたのにも相当な価値がある。
しかしながら、私はこの圧倒的な存在感にも神秘的な壁画にもすっかり慣れてしまった。まるで消化試合のように写真を取るだけの私に、どうかバチが当たりませんように・・・。
仏陀涅槃像。ぶっだねはんぞうというらしい。
日本にもタイにもある大きな寝仏。もしかしたら、この仏像から影響を受けて造られたのだろうか。ほこらの大きさの割に仏像が大きすぎて全体を写し切らない。
外へ出ると、待っていましたと言わんばかりのリーダーが、あとの3人に手招きして帰る用意が始まった。
トムはまた入り口を振り返り、感慨深そうにあたりを見回している。リーダーがトムのすぐ横に椅子を置き、早く乗って欲しそうにしていた。
「トム、見残したところはないの?」
聞いてみたものの、彼も疲れていたのか、特に見逃した遺跡にまた行きたいという訴えはなかった。彼は椅子に乗り、松葉杖をしっかり握って彼らに自らをたくしただけであった。
日本でいうところの「えっさほいさ」みたいな掛け声は無かったのだが、四人の息はぴったりで、普通に歩いている私でさえ追いつくのが大変だった。
別行動
途中の分かれ道までトム将軍さま御一行と歩き、そのあと私は別の道を散策することにした。遺跡にそってS字に這う川の向こう側に小高い山があって、この遺跡全体が見渡せるようなところが見えたからだ。
通りがかりのインド人に、あれはなんだと聞いてみたら「軍用の監視施設だから一般人はいけないよ」と、もっともらしいことを言われて最初は納得したのだが、よく見ると川を渡る橋とそこに行くまでの階段が見えた。
そこに行けるかどうかの確信はないが、インド人の知ったかぶりには絶対の疑いがある。今更、私のインド人に対する評価がいかに正しいかを読者に証明するつもりはないのだが、もし遺跡全体が見えるとしたら、それを撮りに行く使命は私に残っていた。
「帰りに見たい遺跡があったら、遠慮なくリーダーに言うんだよ!」
トム将軍にもう一度念押しをして、私は橋を目指して降りていった。
階段を下り検問のような細い通路を通ると、橋のふもとに出た。道の端っこで、じっと座っている猿がいた。まだ子どもの割には動きが緩慢だな・・・。と思っていると、何か様子がおかしいことに気が付いた。
よく見ると、右前腕部分の肉が大きくえぐれて大怪我をしている。それを発見し、力が抜けた。助ける手段はないかと考えたが、人間でさえ足がなくなっても物乞いをしなければならない国に私はいる。
ふと、どっしりと椅子に座り、四人のインド人に運ばれるトム将軍との差異を思うと、世の中どうしてこんなに「お金」が中心になっているのかと、やるせ無くなった。でもそのあとすぐ、結局自分もお金をもらって将軍様についてインドまで来たんだったということに気がついた。そしてあのインド人達と同じく、将軍さまのご満悦な表情とその対価であるチップを期待しながら階段を駆け上って行くことにした。
橋を渡りきると、階段沿いに待ち受ける民芸品や飲み物を売るインド人に次々話しかけられながら、黙々と上を目指す。無視されたことに腹を立てたインド人が、私に向かってFワードを呟く。一瞬、ムカっときたが、「そうか、この人たちも同じ人間だった。無視されたら腹も立つわな。」と、妙に納得した。かといって、愛想を振りまく余裕はないのでそのまま登った。
また遺跡と同じレベルまで上がってくると、ハーモニカの吹き口のような遺跡の外観が見えてきた。上の草原と岩の間にも、うっすら入り口のように掘り出されたところがある。ちゃんと部屋になっていないところを見れば、やはり作成中に失敗して途中やめになった箇所もあるのだろう。
さらに上を目指すと、上から二人組の男が降りてくるとのが見えた。なんとなく嫌な予感がした。どうやってやり過ごそうか。悩んだのを見透かされたのか、遠くから
「ノープロブレム、登って来なよ。」
と、これまたなんとなく、どう表現していいかわからないが、あまりいい感じがしない彼らがニヤニヤしながら歩いてきていた。
ここは世界遺産の敷地内だし、特に危ないことはない。それでもなお、私の第六感は嫌な目に遭う前の特有の「何か」を感じ取っていた。
怖い・・・。
でも、ここで彼らにできることは限られているし、せっかく登ってきた道を今更おりる気にもなれない。私は黙々と歩くことにした。
「ハロー。どこから来たの?」
馴れ馴れしく、なんだか偉そうだ。この手の質問はエンドレスに続くので相手をあまり刺激しないように、聞いてる風のヘラヘラ顔を作り、返事はせずに歩いた。
「落ちてるよ。」
これも、外国人に相手にされないインド人が使ういたずらの一種だ。無視された相手に、落し物があると言ってくる。つられてこちらが振り向くと、「聞こえてるじゃないか」とゲラゲラ笑ってバカにしてくるのだが、そんな手に引っかかる私ではない。無視して先に進んだ。
「カバー」
ん?カバー?
カメラを見ると、カバーがなくなっている。振り向くと、本当に落ちてる。
こうなると気まずい・・・。黙って拾っておいて、彼らを無視はできない。それに、教えてもらったことに対してはお礼を言いたい。でも、ここから鬱陶しい会話が広がるのは目に見えている・・・・。
「ありがとう!」
意を決し、明らかな作り笑顔とともに元気にお礼を言ってすぐに上を目指そうとした。すると案の定、これが糸口となって会話が始まる。
「写真撮って!」
振り返ると、写真を撮ってくれということだった。
メールで写真を送ってとかSNSのアカウントを聞かれなかったのでホッとした。
そしてその後から、やっぱり嫌な予感は的中して
「彼氏いるの」「ちょっと待って」「どこから来たの」と男二人がついてくる。
・・・・。
こういうパターンのインド人は、しばしば外国人女性のことを歩く生殖器くらいにしか考えておらず、むやみに体に触れてきたりする。インド人女性に同じことをすると失礼にあたるが、外国人はこういうスキンシップをとることが当たり前だと思っている。こういう時、こちらが黙っていると、どんどん男が調子にのってきて最終的にはレイプに発展するのだ。
こうなると閉口し、相手にしないのが一番だ。この場所で直接手をだすことはないので、堂々としていればいい。
しばらくすると、諦めたのか、二人はついてくるのをやめた。そして、今度は叫び出した。
「あなたと●っクスしたい!」
「あなたと●っクスしたいー!」
「あなたと●っクスしたいいいーー!」
次第に大きな声となり、隣でゲラゲラ笑う相方。しかもSから始まる単語ではなく、Fからの単語連発。まあ、どっちもどっちだが、下品にもほどがある。
見晴台
頂上は、やっぱり見晴台になっていた。
私に軍事施設だと嘘をついたのインド人を怒る気ないが、どうしてわざわざ嘘をつくのか、その心理は是非とも聞きたい。
トム将軍はすでに出口までたどりついただろう。私もここで長居することなく帰り始めた。すると今度は、物売りがやってきて私に水晶を買えという。
これまた適当に挨拶をした後は、無視を決め込んで階段をくだっていたのだが、彼もなかなか手強かった。中腹までおりても、まだついてくる。ヨレヨレの老人だし、石が売れないまま、またこの階段を登って帰らせるのはかわいそうだなと思い始めた。それに石の値段も頂上の200ルピーから、50ルピーまで勝手に下がっていた。水晶はいらないけど、ただお金をあげるのは気が進まない・・・。
「わかった。もしあなたの運が良かったら、その水晶を50ルピーで買うよ。でも、財布に50ルピー札がなかったら諦めてね。」
どケチだが、『自称:弱者には優しいミゾヨコ』は、根負けして賭けに出た。
すると・・・・・あった。
財布にちょうど50ルピーがあった。私は賭けに負けたので、その水晶を買うことを引き換えに、その老人から解放された。
チケット売り場まで降りると、トム将軍一行が木陰で休んでいた。私を見るなり、将軍の一行と思われたインド人が一斉に私の方に駆け寄り、お土産を勧めてくる。マドハンドは1から5ぐらいまでいて、それぞれ絵葉書・水晶・ガイドブックなどを代わる代わる勧めてくる。それらを振り払って将軍の元まで帰ると、彼は私の帰りをにこやかに待っていた。
「じゃあ、バスの方に帰りましょう。」
リーダーは上機嫌でトム将軍をバス乗り場まで送っていった。トムは早々に運転席の後ろに座っていたが、出発するには少し時間があったので、私は外でひとり座っていた。するとリーダーがやってきて、
「将軍はハッピーだったよ。」と教えてくれた。
「良かったね。あなたもちゃんとチップもらったでしょ?」と聞くと満足そうに頷いた。ところが
「まだ、マダムからはもらっていない」と言い出した。
「は?あんた、私に何してくれたの?どうせ将軍からたっぷりチップもらったんでしょ?むしろ、私があなたからチップがもらいたいよ。」
半笑いでそう言うと、彼はニヤニヤしていた。
あとで将軍に聞いたのだが、リーダーは、長年の仕事でアザになった肩を見せ、貧乏暇なし子沢山の不幸話を延々と将軍に聞かせたらしい。はっきりとは答えなかったが、チップを含めて5倍以上の金額を払ったようだった。
その上、私にもチップを要求していたのだから、あのインド人は相当の悪よのお〜〜〜!!!。
モノの価値
お土産屋の近辺に生息しているマドハンドは、バスで降りたところで将軍を待ち受けていた。マドハンドは将軍のご機嫌を取りながら歩き、店にたどり着く頃にはマドハンドは仲間を呼びさらに増えていた。
2畳ほどのスペースの店に、いろんなサイズでできた仏像がびっしりと並んでいた。早速将軍のお土産選びが始まった。
店内に2人、外側から出口を塞ぐように3人のマドハンドがこちらの様子を伺っている。しかし、将軍のお気に召すものがない。何故なら、彼は長年の仏教好きで、すでに家のリビングにはいろんなサイズの仏像があるのだ。これでは彼の購買意欲は高まらない。
仕方がないので、申しわけ程度にすっぽり手のひらサイズの仏像を選んだ。
「これはいくら?」
マドハンドは少し間をおいて、控えめな声で言った。
「9000ルピー」
出た出た。ぼったくりは承知の上でここにはきたが、あまりにも馬鹿げた値段設定だ。私は高らかに笑い、将軍に同意を求めた。
「ありえない」将軍の顔もそう語っていた。
一行はあまりに強欲なマドハンドの申し出を一蹴し、店を出ようとした。すると、マドハンドの一斉攻撃が始まった。しかし、やはりマドハンドはマドハンドでしかなかった。攻撃は「仲間を呼ぶ」と「『これは溶岩でできた高級品だ』」の二択のみ。
膨れ上がるマドハンド総攻撃を受けながら、のろのろと店を出る一行。もともと欲しいものでもないのに、そんな大金が出せるわけがない。マドハンドの価格交渉に応じることなく駐車場へ進む。他のお土産屋からきたマドハンドも、ここぞとばかりに攻撃をかける。
「うちのお店にはマグネットやポストカードもアルヨ!」
焦ったマドハンドは標的を将軍からミゾヨコに変え、耳打ちしてきた。
「いくらなら買ってくれる?」
「私なら100ルピーが良いところだ。でも私は荷物になるので買う気は無い。」
ミゾヨコの攻撃も負けてはいない。マドハンドはげんなりした様子で付いてくるのをやめた。と、見せかけて今度は将軍に反撃した。
「2000ルピー、いや1500ルピー!!!」
9000ルピーから大幅値引き。最初から値段なんてあったものではない。
まんざらでも無い顔したトムの横からミゾヨコが反撃。
「500ルピー!」
マドハンドはすでに弱腰であった。
「1000ルピー」
「じゃあ、900ルピーね。」
こうしてトム将軍は、最初のオファーから9割引きで仏像を買うことになった。
それでも高い荷物の預かり代であったと思うのだが、将軍は9000ルピーが900ルピーになったことでご満悦であった。
暴走タクシーのドライバーは大人しく私たちの帰りを待っていた。
帰りの道は、VIVANTAホテルのドライバーの忠告によって少し揺れがマシになった。デコボコを注意深くさけ、安全運転でアラウンガーバードまでの道をのろのろ運転で帰った。マドハンド達にも大分脅されたのだろう。帰り際、ホテルにクレームをつけないでほしいと現地語に混じって少しの英語でドライバーが懇願してきた。正直なところ、あのマドハンド達の荒ぶりようは、少しやり過ぎのような気がしていた。私たちはドライバーと仲直りして部屋に帰った。
一息ついて私はトム将軍に水晶を見せた。
「これ、いくらに見える?」
すると、口をへの字に曲げて、老眼鏡で品定めを始めた。
「50ルピー」
私は一瞬、ムッとしたが何も言わなかった。
もちろん、心の中では「何このクソジジー!あんなに高いぼったくりショールを買い込んだり、本を値切らずに買うくせに、私の買ったものにはそんな値段をつけるのか。まじむかつく!!!!」だった。
こんなことで腹を立てる私はまだ修行が足りない。いや、一生こんなつまらないことでくよくよする人生を送る。それがわかった瞬間だった。
この日が、この旅で一番疲れた日だった。
二十四日目
ムンバイに移動するため、アラウンガバードの空港に向かった。
空港で車椅子を依頼すると、ひとりの男がぴったりとトム将軍に着き、どんどん搭乗手続きが進んでいく。ゲートに到着すると、男はチップを要求した。空港でもチップは必要だろうと思っていたけど、男は100ルピーでは微動だにしない。もう100ルピー追加すると消えていった。
ムンバイ空港に到着すると、やはり同じように車椅子を押す男が付いてきた。私はトムのお金の両替やこれからホテルまでの移動方法をゆっくり考えたかったのに、ずっと付いてきて無言の圧力をかけてくるその男が鬱陶しかった。「空港を出発する時に車椅子は返すから二人だけにして欲しい。」そうお願いしては見たものの、彼も車椅子を持って帰る責任があるようで、消えてはくれなかった。
しばらくして、一行はホテルまでUberで行くことに決めた。専用の乗り場は少し離れたところにあった。車椅子の男は、2回目に100ルピー札を渡したところで立ち去った。空港で車椅子を借りるには、これが相場なのかもしれない。
乗り場にはUberのスタッフがいて、ドライバーにここまでの道のりを説明してくれた。
ホテルに着くと、トム将軍を見るなりホテルのスタッフ達が慢心の笑みですり寄ってきた。早速荷物を降ろし、車椅子でチェックインに向かう。おそらく、前回一人で泊まった時にチップばらまいたのだろう。ポーター達は我先にとトムの車椅子を押したり、荷物を運ぼうとしたりと献身的であった。
その割に、シャワー室への椅子がないことや、以前に日付を変更した部屋がキャンセルされていなかったりして、相変わらずインドらしい一面もある。
二十五日目
不思議な会話
今日は三つ目の遺跡を見る日。ムンバイの東に浮かぶ島にあるエレファンタケーブだ。インド門までタクシーで行き、そこからフェリーに乗る予定で出発した。
英語があまり喋れないタクシードライバーだが、白人の客が初めてだったのか異常にテンションが高い。A氏に色々話しかけるが、インド訛りのほぼインド語に慣れていないA氏は全く理解ができていない。A氏の方も、英語が第二ヶ国語の人との会話があまり得意ではないので、難しい単語をどんどん使うため会話が成り立たない。
仕方がないので私が間に入って話をするようになる。私がインド人にわかりやすそうな英語でドライバーに伝え、ドライバーがまた彼の言葉で私に説明する。それに半分ほど私の予測をふまえてA氏に伝える。英語とインド語とインド英語の不思議な会話は続いた。
おそらくドライバーは、どの大陸からA氏が来たのかはわからないままだが、彼の家の周りには背の高い木があることは理解した。A氏にしても、ドライバーに娘が一人いるくらいの情報しか理解していない。それでも、インド門に着くころにはすっかりお互いが気を許していた。
ドライバーは、エレファンタケーブが終わった後も私たちをホテルまで送ると言い出し、名刺を渡して別れた。
インド門はテロが一度起こっただけに、広場に入るのにもセキュリティーチェックを受けなければ入れない。そのセキュリティーの前に車椅子の貸し出しがあって、この広場内限定で借りることができた。その車椅子でインド門の真下にあるフェリー乗り場までトムを連れて行き、車椅子を返却する。
フェリーに乗るまでは、結構急な階段が15段ほどある。海べりだけに、階段にはところどころ濡れて海藻がこびりついていたりして滑りやすいところがあった。恐る恐るそれらを避けながらフェリーに乗り込むと、一番入り口に近いところに席をとった。
フェリーは往復一人200ルピーで1時間。カモメ?ウミネコ?がフェリーの周りを飛び回って人間からの餌を待っている。
エレファンタケーブ
船を降りると、すぐに一人の青年が話しかけてきた。
これまた、エレファンタケーブと同様に、アリと名乗る少年。彼は一日ガイドを申し出てきた。差し出してきたボロボロの紙には、あのテロにあった5つ星ホテルのタージマハルと書かれてあった。怪しさ満点のこの流れ。
私は無視して進みたかったのだが、A氏は彼に頼みたい様子でこちらを見てくる。3000ルピーって日本円で4400円くらい。かなり強気な値段である。しかしすでにお昼が過ぎていたし、私が車椅子を探して歩くあいだにA氏は不機嫌になるだろう。それなら彼の希望に従って効率よくまわった方がいい。
一行はフェリー乗り場から出ている列車に乗り込み、ドーリーがいる遺跡の入り口まで移動した。また竹で作られた椅子に座って登っていく。
お土産のバリエーションがアジャンタより多い。大都市ムンバイから気軽に来ることのできる世界遺産だけある。
このエレファンタケーブは6世紀に建てられ、17世紀に侵略してきたポルトガルによって壊されかけたという。
10分ほどかかって頂上まで行くと、いよいよ最後の遺跡の入り口があった。
入り口の右手にある大きな遺跡の前で、アリがこの遺跡の歴史から説明を始めた。彼は歴史についてとてもよく勉強しているようで、A氏はすぐ彼の話に夢中になった。
私はというと、歴史に興味がないのですぐに飽きてしまい、遺跡の写真を撮り始めた。しかし、ここの遺跡はエローラの16番目のそれよりも小さく、あっという間に撮り終わってしまった。
入り口に帰ると、S氏とアリがいた。この場を離れて約15分、二人は先ほどと全く位置が変わっていない。A氏は依然としてアリの話を面白そうに聞き入っている。どうやらA氏は、当りのガイドを引いたようで良かった。
その後も彼らは少しづつ場所を変えながら、話し込んでいる。段差も多くないので、トムのことはアリに託してもいいだろう。
これがシヴァ神の三面胸像である。
侵略されていた頃、ポルトガル兵がこの神々を銃の練習として標的にしていたらしい。罰当たりもいいところだ。そして、「それでも破壊されなかったのはシヴァ神の力だ」という神話が、またひとつ生まれたらしい。
する事がなくなったので外に出てみると、A氏を乗せてきてくれたドーリーの人達が待っていた。彼らと一緒にそこに座り休むことにした。おじさん達の中にはは見るからに歳をとっている人がいた。なんと、A氏より3歳も年上だ。60年近くこの仕事をしているという。凄いとしか言いようがない。
フェリーの最終の時間が近くなり、一行は山をおり始めた。
「ドーリーの人達にチップをあげるように、君からA氏に頼んでくれないか。」
帰りの道で、アリが歩み寄ってきて私に言った。やはり外国人だからといって、チップをくれる人ばかりではないのだろう。
「彼はわかっているから大丈夫。」
参道の入り口まで帰ってマグネットやパンフレットを購入し、ドーリー達にもチップを払ってひと息ついた。
バードウォッチング
ムンバイに帰る船の上、群がるカモメを見てA氏はふと呟いた。
「インドで見た鳥のこともみんなに言わなきゃなあ・・・。」
耳を疑った。と、言うか、腹が立った。
あれだけ駄々をこねて双眼鏡をインドに持ってきたくせに。こちらがリサーチしたバードウオッチングには全く興味を見せなかったどころか、私が鳥がいるよと教えても自分の話に夢中だったくせに。この船にまとわりつくカモメだかウミネコだかにもほとんど興味を見せず、写真すら撮っていなかったくせに。
今の今まで全くその単語をすら発さなかったのに、いまさら「鳥」だと!?!?
「トム!アラウンガバードでいくら鳥のこと言っても全く興味なさそうだったのに、何を見たって言うの?あなたが双眼鏡持っているところなんて一回も見てないんだけど!!!」
つい口を衝いて言ってしまった。しかしトムは全く動じることなく何かブツブツ言いながら一人の世界に帰っていってしまった。おそらく彼には卓越した何かがあるのだろう。そうでなければ、モルヒネの副作用が彼の妄想を膨らませているのだろう。とにかく彼は、インドでバードウォッチングを楽しんだのだ。めでたしめでたし。
黄昏
フェリーの上で沈む夕日を見て、いよいよこの珍道中も終わるのかと少し寂しくなってきた。
港が近くなるころにはすっかりあたりは暗くなり、ライトアップされたインド門が輝いていた。
インド門を眺めながら感慨ぶかい表情でA氏は言う。
「なあ、ミゾ。俺はついにやったよ。色々あったけど、こうしてインドに来れたよ。信じられない。俺はこのアドベンチャーをやってのけたんだ!」
その言葉を聞いて、私までこれまでの日本からの旅を思い出して胸がいっぱいになった。
釧路で再会を果たした時は、A氏が私の助言など全く聞かずに来たことに憤慨し、これからどうなることかと思った。そして、やっぱりそれなりにその代償を被りながらも、こうして何とかインドまでたどり着くことができた。
3つの遺跡を周り、明日でこの老いぼれトムソーヤの大冒険も終わろうとしている。終わってみると、あっという間だった。
「へい、トム。もっと冒険を続けようよ!」
なんて言う気はさらさらないが、それでも込み上げてくるものは少なくない。それを悟られるのが嫌で、小さく頷いて下船の準備を始めた。
帰り道
フェリーはインド門のふもとではなく、セキュリティーのすぐそばに停まった。一行は最後に下船し、タクシーを待つ。15分程待っただろうか。見覚えのある車が私たちを迎えにきた。
A氏は疲れていたのか、私を助手席に指定し自分は後ろに座った。ドライバーは20分ほど走ったところで、料金の説明をし始めた。彼はホテルのある地区に向けて半分ほと帰っていたが、わざわざ折り返して迎えにきてくれたそうだ。
「帰りは2000ルピーね。」
「は?なにそれ。ホテルからここまでは1000ルピーだったのに何で?」「そんなに値段が違うんなら、先に言わないとダメだよ。」「それ知ってたら、君にわざわざ頼まなかったのに!」「そうだ!そうだ!来た時と同じ金額しか払わないからな!」
二人に正論で叩かれ、ドライバーが弱腰となった。それからしばらくは気まずい空気が流れたが、ムンバイの夜景を見ながらのドライブはそれはそれで興味深い。あれやこれやと質問するうちにドライバーの機嫌も元に戻り、また身振り手振りで会話が始まった。
ホテルまであと数キロというところで、市営団地のようなところで車が止まった。ドライバーが誰かに電話すると、仲間と思わしき男がやってきた。怖い感じはしない。軽く挨拶をしたら、彼は去っていった。一瞬、料金のことで腹を立てて変なところにさらわれたのかと思ったが、そうではないようだ。
どうやらドライバーはこの団地に住んでいて、私たちを家に招待してくれたようだ。家にいる娘に会って欲しいと。先ほどの友人にも外国人を載せているのを自慢したかったようだ。
A氏と私は顔を見合わせた。女ひとりだとできない「ウルルン滞在記」が出来そうではあるが、インドの不潔さに免疫のないA氏が彼らの作るチャイを飲みたいはずがない。一行は丁寧にお断りをして家路へと急いだ。
ドライバーは残念そうにしていた。外国人を家に連れて帰ったら娘も驚くし、いい思い出になったであろう。そう思うと心苦しいが、仕方がない。せめてタクシー代を多く払うことで埋め合わせをしよう。
実はお金で揉めた時にUberで今の時間帯のタクシー料金を調べていた。すると昼間は1000ルピーほどだったが、本当に値上がりしており1500ルピー近かったのである。そして、ドライバーはわざわざ迎えにきてくれたのであれば・・・・・。
言葉の壁があり、うまく説明できない。それでもドライバーはヘソを曲げることなく、自宅でもてなそうとまでしたくれた。それだけでもう十分。単純なミゾヨコ一行は、彼ののぞむ金額を渡してタクシーをおりた。
最後の晩餐
「今夜は君にワインを奢りたい。」
普通の男からこれを言われたら警戒するミゾヨコだが、これまで冒険を共にしてきた老いぼれトムからの誘いは何の疑いもためらいもなく受けた。
バーテンのインド人はこのふたりの間柄を興味深げに観察している。
五つ星のバーカウンターから出てきたメニューは、どれも高いワインばかり。トムはアルコールを一切飲まないので、グラスワインを頼むことにした。
味音痴だが、自称ワイン好きのミゾヨコ。旅先でワイナリーがあると必ず立ち寄る。せっかくなのでインド産の赤ワインを頼んだ。ボトルを見たいというと、バーテンは一瞬ひるみ、他のバーテンに何か耳打ちする。
(バレやしないよ)
そんな風に言ったかどうかはわからないが、出てきたボトルは全く違うワインのボトルだった。ワインはラベルに使っているぶどうの種類が記載されている。このバーテン達は、ワインの知識が全くないまま適当に栓の空いた赤ワインを注ごうとしているのだ。
(これ、絶対、酸化した古いワインが来るな・・・・・。)
インド人の適当さが手に取るようにわかるミゾヨコ。まずいワインは飲みたくないが、この場も荒立てなくない。どうしようか悩んでいると、奥から状況を察した責任者がやってきた。古いワインボトルをカウンターから下げ、無事にインド産の美味しいワインを飲むことができた。
日本でもそうだが、居酒屋の店員が皆お酒に詳しいわけではない。やはりインドで確実に美味しくお酒を飲もうとすると、キングフィッシャービールのかラム酒の二択が確実だということがわかった。
二十六日目
今日はA氏とのお別れの日だ。
彼は夕方の飛行機で日本に行き、日本で買ったお土産をピックアップして母国に帰る。しかしインドでも買い物三昧だった彼は、一度日本に入国して荷物をパッキングし直す必要がある。彼には少し難易度が高いタスクだ。
ムンバイ空港へつくと、車椅子を探しに出かけようとする私をA氏が呼び止めた。
「入り口に電話があるだろう。あれで車椅子を呼んできて欲しい。」
なるほど。ムンバイ空港からアラウンガバードに行ったことのある彼は、どのように車椅子を呼ぶのか、すでに要領を得ていた。インドの空港はテロ対策のため、飛行機に乗る者しか空港内に入ることができない。そして車椅子を借りるためには、外の電話から直接航空会社に連絡をするようになっているのだ。
早速電話をかけるのだが、全く電話に出る気配がない。しかし、ここはインドなので驚かない。辛抱強く10分ほどかけ続けたところで入り口のセキュリティーにお願いして、施設内に直接呼びかけてもらった。
しかし今度は、A氏のチケットがない。いや、正確にはあるのだが、プリントアウトした紙もスクリーンショットもないのだ。しまったー。そんなところに落とし穴があったか・・・・。日本から母国に電話して変更したチケットは、コンピューター上にあるだけだ。インド以外の国ならカウンターでパスポートを出せばいい話なのだが、インドではカウンターにさえたどり着けない。
セキュリティーにあれこれ説明する。後ろからしびれを切らしたインド人から野次を飛ばされるが仕方ない。車椅子担当の職員がA氏の責任を持つ事で、なんとか空港内に入れてもらえることになった。
しかし私は、正真正銘、チケットがない。なぜならA氏を見送ってから、少しの間インドを旅することにしているからだ。今晩列車で南下するので、空港へは入れない。
これまでの彼のぼんやり具合を考えると、私が直接航空会社に話をし、日本に必ず入国する必要があることなどを申し送る必要があった。私は彼の専属看護師であり、A氏は車椅子であることを理由になんとかならないかと交渉したが、このコンビでは説明がつきにくい。
A氏は早々に諦め、私に耳打ちした。「ミゾ、大丈夫だよ。実はアラウンガバードに行くとき、僕は二十ドルくらい払わされたけど、それでなんとかなったから。」
結局また金かーい。
どうやら彼はインド人にチップを払うことでいろんなことを解決していたようだ。まあ、いいか。何かあっても、きっとお金があればなんとかなる。そう思うと気が楽になった。
日本についてからのやるべきことは、彼が見直せるようにメールにも送ったし、メモにも書いて渡してある。それに日本から母国までの乗り換え時間も、十分にある。万が一またぼやっとしていてもなんとかなるだろう。
うしろのインド人に急かされながら、二人は慌ただしくハグをして、お互いのほっぺにキスをした。
「ミゾヨコ、ありがとう!君がいなかったら、こんなところまでたどり着けていなかったよ!また、いつでもうちにおいで。」
「トム、こちこそありがとう!またどこかでね!くれぐれも体に気をつけて、元気でいるんだよ!」
涙のお別れをする予定が、車椅子はどんどんカウンターへと進んでいった。見送る私を振り返る間も無く、あっという間に彼は見えなくなってしまった。
あまりのあっけないお別れに、拍子抜けした。でも、とりあえず、A氏を安全に空港まで送りとどけることができた。責任から解放されたことで心が一気に軽くなると同時に、久々に始まる一人旅を思うと少しだけ寂しくなった。
こうして、ミゾヨコとA氏の大冒険は幕をとじたのであります。